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羊曼   宴会のごちそう

晋書しんしょ羊曼ようまん伝には、

以下の通りの記事がある。


陳留阮放爲宏伯,髙平郗鑒爲方伯,

泰山胡毋輔之爲達伯,濟陰卞壺爲裁伯,

陳留蔡謨爲朗伯,阮孚爲誕伯,

髙平劉綏爲委伯,而曼爲濌伯,

凡八人,號「兗州八伯」,蓋擬古之八雋也。

また阮放げんほう郗鑒ちかん胡毋輔之こむほし

卞壺べんこん蔡謨さいも阮孚げんふ劉綏りゅうすいとともに

兗州八伯えんしゅうはちはくと呼ばれていた、と。

そこで兗州八伯と、またこれに近似した

江左八達こうさはったつという名士集団を追っていきたい。



貴族らが江南こうなんに移ってきたとき、

官職を得たら宴を開くのが

慣例になっていた。


羊曼ようまん丹陽尹たんよういんになった時、

早い時間に到着したものは

豪華なごちそうにありつけたが、

遅い時間に来たものは

残り物にしかありつけなかった。


一方、羊曼の親族の羊固ようこ


自治体長官としては丹陽尹より

三つか四つグレードの落ちる

臨海りんかい太守に任命された時、

かれの開いた宴会は、

早く来ようが遅く来ようが

豪華なごちそうにありつけた。


時のひとは囁き合う。


「羊固さん、

 羊曼に張り合いすぎでしょw

 羊曼のあの率直さに較べると、

 どうしても見劣りしちゃうよねw」




過江初,拜官,輿飾供饌。羊曼拜丹陽尹,客來蚤者,並得佳設。日晏漸罄,不復及精,隨客早晚,不問貴賤。羊固拜臨海,竟日皆美供。雖晚至,亦獲盛饌。時論以固之豐華,不如曼之真率。


江を過ぎりて初、官を拜さば、輿に供饌を飾る。羊曼は丹陽尹を拜し、客の蚤きに來たる者、並べて佳設を得る。日の晏るに漸く罄、復た精なるに及ばず、隨客は早晚、貴賤を問わず。羊固は臨海に拜し、竟日に皆な美供す。晚きに至れると雖ど、亦た盛饌を獲る。時論は以て固の豐華なるを、曼の真率なるに如かずと。


(雅量20)




羊曼

王導おうどうさまの属僚として王導さまから「はぁ……西晋時代のあのキラキラした日々が懐かしい……」ってしょっちゅうグチられてた人。つらい。しかもその後、蘇峻そしゅんの乱で殺される。報われない。


羊固

清廉潔白で褒め称えられている。むしろどうしてこんな頑張ってんのに「羊曼の闊達さに較べるとしょぼいよねーw」って言われちゃうのかわからない。まぁ、さすがに最終官位からしてもグレードが低いですしねぇ……。

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