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王羲之7  褒貶の言葉

王羲之おうぎし魏晋ぎしん期の名士、

陳泰ちんたいについてこうコメントしている。

「ごつごつとした気骨の人だ」


親戚の王臨之おうりんしについて。

「うちの臨坊は、突き抜けて清廉だな」



また王羲之おうぎし王脩おうしゅう許詢きょじゅんと仲が良かった。


が、二人の死後、

二人についての批判を

厳しくくわえるようになった。


これを聞いた孔巌こうげん、王羲之に言う。


「王羲之様は、王許のお二方と

 とても親しくなさっておられました。


 そのようなお二方が亡くなった後に

 悼むこともなく

 こき下ろされるような振る舞いは、

 貴方様に統べられる者としては、

 とても感心できません」


この頃の王羲之は会稽かいけいの長官で、

孔巌は会稽の住人。

なので、そう言ったのだ。


王羲之、孔巌に諭され、

大いに恥じ入るのだった。




王右軍目陳玄伯:「壘塊有正骨。」

王右軍は陳玄伯を目するらく「壘塊として正骨有り」と。

(賞譽108)


王右軍道東陽「我家阿臨,章清太出」。

王右軍は東陽を道えらく「我が家の阿臨、章清なること太だ出づらん」と。

(賞譽120)


王右軍與王敬仁、許玄度並善。二人亡後,右軍為論議更克。孔巖誡之曰:「明府昔與王、許周旋有情,及逝沒之後,無慎終之好,民所不取。」右軍甚愧。

王右軍と王敬仁、許玄度は並べて善し。二人の亡きたる後、右軍の議を論ぜるところ更ごもに克せるを為す。孔巖は之を誡めて曰く:「明府の昔に王、許と周旋し情を有せるに、逝沒の後に及びたるに、慎終の好無きたるは、民の取らざる所なり」と。右軍は甚だ愧づ。

(規箴20)




王臨之

もう一編にも登場してるのだが、そっちは登場人物の親戚ですよ、と名が上がるのみ。よって実質ここにのみ登場。父親の王彪之おうひょうしは東晋宮中でキャスティングボートを握ったこともある大物ではあるのだが、王羲之さんは彼のことを「できの悪い親戚」と言っている。トンビが鷹を産んだ、と言う感じなのかねえ。経歴的にはむしろ鷹がトンビを産んでる感じだけど。


そして後段は、王羲之がやり込められる、珍しいエピソード。と言っても機知でのやり合いではありませんが。ただ、どう言ったことを王羲之は批判したんでしょうね。どちらも卓越した文人ではあったが、その人品には、多少なりともアレなところがあったのかしら。ちなみに王脩は王濛おうもうの息子、王恭おうきょうの叔父です。

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