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簡文9  陛下と仏典

中国にいつ頃仏教が渡ってきたかは、

はっきりとしたことはわからない。

前漢ぜんかん半ばころには到達していたようだ。

が、いまいち広がり切れなかった。


なので東晋とうしん代でも、未だ「不思議な異教」

的な扱いからなかなか抜け出せなかった。


例えば、簡文かんぶんさまも仰っている。


「仏典では精神を磨き上げれば

 聖人になれると謳っているが、

 どうなのだろうな。


 高山の頂に辿り着いたからと言って、

 その山を支配できる、

 と言う訳でもあるまい。


 ただまぁ、修練がもたらす功は、

 決して小さからぬとも思うのだがね」




佛經以為袪練神明,則聖人可致。簡文云:「不知便可登峰造極不?然陶練之功,尚不可誣。」


佛經は以て神明の袪練せるを為し、則ち聖人に致すべしとす。簡文は云えらく:「峰に登れるに、便ち極むに造るべきや不やを知らず。然れど陶練の功、尚お誣すべからず」と。


(文學44)




仏教絡みはこのあとにくる殷浩いんこうさんのところで盛大に語られます。まーよくわからん。東晋とうしんから劉義慶りゅうぎけいの生きた劉宋りゅうそう初期はまさしく「仏教浸透速度が最大であった」時代ではあるので、その意味で関心度は高かったんだろうなーとも思うのですが、まあ謎。


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