「
内容に踏み込んでみると、
決して誤ったことは言わぬのだよ」
また、このように言ったこともあった。
「劉惔の言葉は朴訥だよ。
だが、そこにはぶれぬ芯がある。
たとえ大いに酔っていたとしても、
彼の言葉がよれることはあるまい」
さてそのように劉惔を評する
簡文さまであるが、一方では同時代人の
「
この曲が言う
『この曲は真髄に達したものでなければ
精密な解析はできないだろう』
とは、劉惔のような人間だと思われる。
また、同じく言う
『この曲は深淵に届いたものでなければ
その境地に接することは叶うまい』
とは、
簡文語嘉賓:「劉尹語末後亦小異、回復其言亦乃無過。」
簡文は嘉賓に語るらく「劉尹が語の末後は亦た小さきに異あれど、回り復さば其の言には亦た乃ち過てる無し」と。
(賞譽118)
簡文云:「劉尹茗柯有實理。」
簡文は云えらく「劉尹は茗柯なれど實理有り」と。
(賞譽138)
許玄度言:「琴賦所謂『非至精者不能與之析理。』劉尹其人。『非淵靜者不能與之閑止。』簡文其人。」
許玄度は言えらく「琴賦に謂える所の『精に至らざる者に之の析理せるを與う能わず』は劉尹其の人なり。『淵に靜まらざる者に之の閑止せるを與う能わず』は簡文其の人なり」と。
(賞譽111)
清談サロンの内輪ぼめ合戦、みたいな雰囲気を感じちゃって仕方ないわけですけれども。けどまぁ、劉惔と言うひとのありようはなんとなく見えてくる感じですね。
ここに
茗柯
茶の芽とされるが、音から「酩酊状態」として隠喩されることもあるんですって。わかるかンなもん。