なので、そこにも触れておこう。
例えば
謳われた文章を読み、言っている。
「
五経の伴奏のようなものだよな」
五経。儒教の基礎となる書物、即ち、
ここのサブ的な存在にすらなりうる
書物だ、と言ったのだ。
また
「かれの文才は、何と言うか、
せっかくの艶やかな布地を
小役人の服のために裁断した、
と言った趣だな。
そこにきらびやかな装いはあるのだが、
どうにも、こう、縫い合わせがひどい」
孫興公云:「三都、二京,五經鼓吹。」
孫興公は云えらく:「三都、二京は五經の鼓吹なり」と。
(文學81)
孫興公道:「曹輔佐才如白地明光錦,裁為負版褲,非無文采,酷無裁製。」
孫興公は道えらく:「曹輔佐が才は白地の明るき光錦を裁ちて版褲を負けるに為せるが如し、文采無かりたるに非ざれど、酷く裁製無し」と。
(文學93)
激賞と激サゲ。
いや、この辺の比喩の取り方は
さすがというしかない。
にしても魏の皇族の子孫って、
本当に存在感薄いよな……。