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第28話 エーリカの噂

 この十七年で東方世界の一番変化したところといえば、大型転移装置が開発されたことだろう。

 それは、複数の人間や荷物を、一瞬で離れた場所に移動させることのできるものだ。これによって、東方世界における人と物の移動は、飛躍的に早くなった。

 とはいえ、この装置の使用に際してまったく何の条件もないわけではない。

 まず、稼働には魔力が必要で、アイアン級以上の魔法使いの同行がなければ動かせなかった。

 また、基本的には国から国を移動するものなので、出国・入国の許可が必要になる。

 そのため、大型転移装置を利用して旅をしたい者は、まずは出入国の許可証のついた旅券を購入し、次に同行してくれる魔法使いを探さなければならなくなるのだ。

 現在では、そういうことを一気に全部やってくれる旅行業者なる職業が生まれていた。

 ただしこれもピンからキリまでで、そこそこの値段でまあまあのサービスのところもあれば、値段は高いが至れり尽くせりのところもある。中にはむろん、詐欺まがいの業者もいて、安価だからと利用して思いがけない国に売り飛ばされたりとか、高額な料金だけ取られて逃げられたりだとかいったことも、なくはない。

 ともあれ、かつてルルイエが一年半を費やして旅したセビーリアとミルカの間の旅程は、今ではほんの一週間ばかりのものとなっていた。

 ちなみに、セビーリアからミルカまでを一気に移動するわけではなく、いくつかの国や街を経由しながら行く形だ。


 そんなわけで、出発から一週間でルルイエたち一行は、東方世界最後の街ミルカに到着していた。

 そこで一泊した彼女たちは、馬車を調達すると東方世界と西方世界をつなぐ橋を渡った。

 西方世界に入ると、たちまち雰囲気はこれまでと一変する。

 整備された広い街道が平原の中をうねうねと続くさまは、十八年前と少しも変わらなかった。

「これが、西方世界なのですね……」

 東方世界を出るのが初めてのフェリアとジャネッタが、目を丸くして周囲の風景を見やる。

 大型転移装置が設置されているのは大都市ばかりで、しかも装置から装置への移動は基本的に建物の外に出ない。なので、巨大な石造りの建物や色とりどりの垂れ幕、タペストリーなどをずっと見て来た目に、その光景はひどく牧歌的なものに映ったのだ。

 実際、街道から見渡せる平原には、野生の羊や山羊がのんびりと草を食む姿が見えたし、街道筋の町や村からは時おり、食事の煙や匂いなどが漂って来る。

「魔法がないと、これほど変わらないものなのですね……」

 ルルイエもまた、どこか懐かしそうに呟いて、周囲を見渡すのだった。


 馬車の旅は快適で、女三人はそれぞれに楽しみながら日々を紡ぐ。

 昔旅した時と違って、日暮れまでに町や村にたどり着けなくとも、馬車で眠ることができたので、その点も気楽だったといえるだろう。

 ただ、ルルイエには少し気になることがあった。

(街道筋の町や村が、昔通った時に較べて、寂れているような……?)

 だけでなく、町や村の数が減っているのだ。

 これについては確証もあった。旅に出る前にジャクリーヌが持っていた西方世界の地図を写させてもらって持参していたのだが、その地図に描かれている村や町が実際にはないということが、何度かあったのだ。

 ちなみにこの地図は、何年か前にジャクリーヌの二番目の兄が訪ねて来たおりに、持って来てくれたものだという。

 ジャクリーヌの一番上の兄と二番目の兄は、家族と共にいまだエーリカ国内にとどまっているようだ。二番目の兄からは、時おり手紙が届いていたが、最後に訪れたあとはそれも途絶えているとルルイエは聞いていた。


 そんな中、ルルイエたち一行は街道沿いの小さな村で一泊した。

 村に一軒だけある居酒屋の二階が、旅人たちのために提供されており、ルルイエたち三人もその一室に泊まった。

「わあっ」

 夕暮れ時、部屋の窓を開けてその眺めに声を上げたのは、ジャネッタだ。

 周囲に高い建物がないせいで、二階の窓からは村が一望できるだけでなく、街道筋や遠くの山までよく見える。

「あれ、一番星ですね?」

 山際に小さく輝く星を見つけて、彼女ははしゃいだ声を上げた。

「そのようですね。……ここは、夜になったら星がよく見えそうですね」

 それへうなずき、ルルイエは笑って付け加える。

 一方フェリアは、小さく呆れたような溜息をついた。

「子供みたいにはしゃいでいないで、しっかり護衛してちょうだい」

「護衛の仕事と今のこれは、関係ないでしょ」

 彼女の言い様に、ジャネッタはムッとしたように言い返す。

「それに、『子供みたい』って、わたしはまだ子供だもん」

 つんと頭をそらして付け加えるジャネッタに、フェリアは再び溜息をついた。

「そこを肯定してどうするのよ、まったく……」

 放っておくと、いつまでも続きそうなやりとりに、ルルイエが声をかけた。

「二人とも、荷物を置いたら食事に行きましょう」

「はい、ルルイエ様」

「了解です!」

 それには二人とも、元気良く返事して階下へ向かう用意を始める。


 こうした宿では、食事の際には武器やそれに類する刃物は部屋に置いて行くのがルールだ。酒が入って諍いになったとしても、命のやりとりにまでは発展させないという言外の含みでもある。

 なのでジャネッタも剣は部屋に置いて来ているが、先頭に立って周囲に目を配ることは忘れない。

 三人で行動する時、基本的には彼女が先頭で、真ん中にルルイエを挟んで後ろがフェリアという形になる。もちろん、実際にはアリアン級魔法使いであるルルイエが一番強いのだが、かといってどこでも強い魔法を発動させて相手を倒せばいいというものではない。言葉や武器をちらつかせるだけでどうにかなる場合もあるのだ。

 ちなみにフェリアは水晶クリスタル級の魔法使いだった。


 魔法使いの等級は、最下級の琥珀アンバー級から最高級の銀級まで、6等級あった。

 魔力はある程度は増やすこともできたが、それでも最も魔力の少ない琥珀級の者はがんばって増やしても鉄級止まりの者が多く、大抵は薬草などの知識を学んで、多少魔力のある薬師として生きて行く場合が多かった。

 琥珀級の次が黄金ゴールド級で、地域によっては見習い扱いされる所もあった。

 その次が鉄級で、ここではじめて一般的には魔法使いとして認識される。

 水晶級はその上で、鉄級が初心者なら水晶級は中堅といったところだろう。

 その上が青金石ラピスラズリ級で、たいていの魔法使いは必死に魔力を増やし、魔法の使い方を研鑽してこの等級を目指す。

 この等級は別名『賢者』とも呼ばれ、国によっては宰相の補佐官など、重要なポストに就ける場合もあった。

 そしてその上が、銀級である。

 これらの等級は、イーリスのように魔法を忌み嫌う国であっても通じる。ただ、イーリスでは銀級や青金石級は魔物と同等に見られて『悪魔』扱いされるし、それより下の等級であっても『犯罪者』扱いである。かろうじて魔法使いと気づかれないのは、琥珀級の者たちだろう。

 ちなみに、ルルイエの父は鉄級か水晶級あたりだったのではないかと、彼女は考えていた。でなければ、数年であっても魔法使いであることを隠してあの国で生きるのは、難しかったのではないかと思うからだ。


 宿の階下の食事処は夜は居酒屋にもなる場所で、今はまだ客の数も少なく、酒を口にしている者も少ない。とはいえ、村の住人らしい姿もちらほら見えて、完全に日が落ちればもっと賑やかになるだろうと予想された。

 ルルイエたち三人は、比較的奥の方の席に座を占める。

 注文を取りに来た女将にお勧めの料理を尋ね、三人ともそれを頼んだ。

 注文がすむと、ルルイエはそっと周囲に目をやる。

 宿の客はそれほど多くはなく、東方から来たのは彼女たちだけだ。他に二組いる客は、どちらも西方世界の住人と見えた。

 ルルイエは、隣のテーブルで一人お茶を飲んでいる商人らしい若い男に声をかけた。

「こんばんわ。わたくしたち、東方から来たのですが……お兄さんは、商人ですよね?」

「ああ、そうだよ」

 男はうなずく。

「わたくしたち、エーリカという国を訪ねて行くのですが、そこがどんな国か、お兄さんはご存知ですか?」

 ルルイエが問いを重ねると、男は思わずといった体で顔をしかめた。

「どんな用があるのか知らないが、あの国に行くのは、やめた方がいいな」

「どうしてですか?」

 軽く眉をひそめて尋ねたのは、フェリアだ。

「寂れ果てて荒廃し、ひどい状態だからさ」

 男は肩をすくめて言うと、続けた。

「もう十年以上も前の話だが、王様が訳のわからない理由で聖女を追い出してしまって、そのあとも聖女になった王妃が死んだり、いろいろあったらしい。それで、王様はいっさい外に出て来なくなって、宰相が国を仕切るようになったんだそうだ。で、その宰相に反発する大臣らが国を出て行き、聖女がいないもんだから――ああ、東方のお人は知らないかもしれないが、西方では聖女のいない国はすぐに寂れてしまうって伝承があって、エーリカは実際そのとおりになってるんだ」

「でもたしか、幼い王女様が聖女になったって聞いたけど」

 言ったのはジャネッタだった。

「ああ。今はもう成人してるって話だが……その王女様がまた、とんでもないのさ」

 男はうなずいて、また肩をすくめる。

「聖女としての力を、自分とお気に入りの者たちだけのために使っているんだと。聖女は本来、国に実りをもたらすために祈るもんなのにさ。それで、エーリカは城の周辺を除いて荒れ放題。民たちも次々に逃げ出して、もう国として立ちゆく状態じゃない……ってのが、最近の噂だよ」

 男の話に、三人は思わず顔を見合わせた。

 そこへちょうど料理が運ばれて来たので、彼女たちは男に礼を言って、食事を始める。


 自分たちの部屋に戻ると、フェリアがルルイエをふり返った。

「ルルイエ様、このままエーリカへ向かうおつもりですか?」

「ええ。……そのために、東方世界を出て来たのですもの」

 ルルイエはうなずいて返す。そして、軽く眉をひそめた。

「それにしても、王様はまだ閉じこもったままなのですね。……王妃様が亡くなられてから、十七年も過ぎるのに。それほど、悲しみが深かったということでしょうか」

「それとも、誰かに閉じ込められているのかもしれません」

 フェリアが厳しい顔になって告げる。

「それは、わたしも思いました」

 傍からジャネッタも口を挟んだ。

「伯父様から聞いた話でも、宰相が王様を操っているのではないかと考える人が多いとのことでしたし……おじい様が後見していた新しい聖女が国を出るよう仕向けたのも、その宰相だと聞いています」

 二人の言葉に、ルルイエは考え込む。

「そういう場合もあるかもしれない……ということですね。亡くなった王妃様は宰相様の御令嬢でしたから、つまり宰相様は今の聖女や王太子様の祖父でもあるということですし……」

 呟いたものの、ルルイエには聖女と王太子の外祖父で宰相である人物が、どれほどの権力を持つのかが、今一つ理解できなかった。もともと政治的なことには疎かったし、こうした力関係は国によっても違うからだ。

 たとえばセビーリアでは王は国政を全て宰相と息子に任せて、自身は遊び呆けている状態だが、一方で災害などがあれば、真っ先に王が近衛の兵士と魔法使いを連れて駆けつけ、被害の収集にあたっている。そのため、王を飾りだと思う国民は少なく、また宰相や王太子も国を私する気持ちは毛頭ない様子だ。また、アイラでは逆に何事も王が先頭に立って行い、民も大臣らもそれに従うといった形だ。むろん、王のやり方がおかしい・間違っていると思えば、意見を言うことも可能な風通しの良さはあって、民らが王に従うのは、絶対的に信頼しているからだといえた。


 ルルイエは、小さく吐息をついて、考えるのをやめた。

「考えてみても、しかたがないでしょう。結局、行ってみなければ、本当のことはわからないのですから。ただ……国が寂れているというのも、事実だと思います」

 顔を上げ、彼女は二人を見やって言う。

「ええ。あの商人が、わたくしたちに嘘を言う必要なんて、ありませんものね」

 うなずくフェリアの隣で、ジャネッタがふと思いついたように言った。

「エーリカから逃げて来た人を探して、話を聞くというのはどうでしょう」

「いいけど、どうやってそんな人を見つけるの?」

 フェリアが尋ねる。

「それは……」

 言いさして、ジャネッタは何か方法がないかと言いたげに、ルルイエをふり返った。

 それへ吐息をついて、ルルイエはジャネッタに尋ねる。

「何か、エーリカのものを持っていますか?」

「あー」

 少し考え、ジャネッタはポニーテールにした髪の根本に手をやった。そこに挿している凝った細工のピンを抜いた。

「これは母からもらったもので、たしか母が祖母から成人の祝いにもらったものだと言っていました」

 言って差し出されたそれを受け取り、ルルイエは見やる。

 たしかに、使われている鉱石や金属も、その細工も東方のものとは違っていた。

「では、これを触媒にして、エーリカ人を探してみましょう」

 言ってルルイエは、室内に一つだけあるテーブルの上に、指先で魔法陣を描き始める。

 魔法の素養のないジャネッタには見えなかったが、フェリアにはテーブルの上があっという間に魔法の場に変じるのが見えた。

 ルルイエが魔法陣の中央に、ジャネッタのピンを置き、低く呪文を呟く。

 すると、ピンから淡い光が立ち昇り、それが空中でいくつにも分かれて小さな粒になると、ガラスをすり抜けるようにして、一斉に窓から飛び立って行った。


 光が全て窓の外に去っていくと、テーブルの上の魔法陣も消えた。

「ありがとう。これは返しますね」

 ルルイエは細工もののピンを、ジャネッタに差し出した。

「もういいのですか?」

「ええ。これの役目は終わりましたから」

 うなずくルルイエからピンを受け取り、ジャネッタはしげしげとそれを見やる。特別ピンには変わったところはなく、いったい何がどうなったのか、今一つよくわからない。

「壊れたり、何か問題があるようなことはないから、安心して髪に挿しておきなさいな」

 それへ言ったのは、フェリアだ。

「あ、うん」

 うなずいて、ジャネッタはピンをもとどおり髪に挿す。

 それを見やって、フェリアはルルイエをふり返った。

「その地のものを触媒にして、人探しをするだなんて……初めて見ました」

「わたくしが、まだ魔法学校の生徒だったころに、友人とやった共同研究でできた魔法です。久しぶりに使ったのでうまくいくか心配でしたが……たぶん、大丈夫でしょう。明日には、次にわたくしたちが行くべき場所が、はっきりしているはずです」

 言ってルルイエは、小さく欠伸をすると、自分のベッドへと向かう。

 ベッドに横になろうとして、彼女はふっと動きを止めた。

「『明日の約束』……」

「ルルイエ様?」

 低い呟きが耳に入って、フェリアとジャネッタがそちらをふり返る。

「いえ……どうやら、もう見つかったようです。その人と、明日会う約束をしました。詳しいことは、朝話しましょう。おやすみなさい」

 小さくかぶりをふって言うと、ルルイエは二人にそれ以上何か言う隙を与えず、そのままベッドに横たわり、目を閉じた。

 そんな彼女に、フェリアとジャネッタは、思わず顔を見合わせるのだった。

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