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第29話 隠れ里での会談

 翌朝、ルルイエがフェリアとジャネッタに告げたのは、「朝食を終えたらここを発ちます」という言葉だった。

 朝食を取る間に彼女が簡潔に語ったところによれば、今日会う相手はこの村から街道をはずれて馬車で二、三時間ほど行った先の小さな集落にいるという。

 フェリアとジャネッタは、話を聞いて思わず顔を見合わせたものの、ルルイエの魔力のほどは理解していたので、特別何か反論するといったことはなかった。


 朝食を終えて宿を引き払った三人は、馬車に乗り込みルルイエが示す方角へと出発した。

 しばらくは街道を西へと進んでいたが、途中で馬車は石畳ではない土を固めただけの道へと移った。

 昔、ルルイエがジャクリーヌと共に東方世界を目指した時には、西方世界には最初の聖女ウルスラとアルベヒライカの王が号令して、各国の協力のもと整備した街道以外に、道らしい道はなかった。だが、この何年かで西方世界にはこうした土を固めて作った、馬や馬車でも通れる道が増えたらしい。それは、これまで泊まった村や町の宿で、何度か耳にした話でもあった。

 そして今、彼女たちはその道を走っている。


 ルルイエが宿で口にしたとおり、その道を二時間ほど走ったところで、小さな集落に到着した。

 もっともその集落は、森の入り口の脇にできた窪地を降りていく形になっていて、道も森の入り口付近で終わっているため、そこに集落の入り口があることを知らなければ、たどりつけないかもしれなかった。

「ここは、隠れ里か何かなのですか?」

 狭い道を下っていく馬車の中で、フェリアが訊いた。

「おそらく、そうなのでしょうね」

 ルルイエもうなずく。


 馬車が窪地の底に到着すると、鳥を刻んだ柱の傍に、三十代ぐらいの女が一人彼女たちを待ち受けていた。

 女は、馬車から降りたルルイエの足元に、恭しくひざまづく。

「聖女様、お待ちしておりました」

「アゼリア、顔を上げてください。わたくしは、もう聖女ではありません」

 ルルイエが、やわらかく女に声をかけた。

「いえ、わたくしにとっては、あなたさまこそが聖女様でございますゆえ」

 アゼリアと呼ばれた女は小さくかぶりをふると、つと立ち上がって踵を返す。フェリアとジャネッタは顔を見合わせた。それへ、ルルイエが促す。

「行きましょう。大丈夫です。彼女はわたくしがエーリカで聖女だったころ、仕えてくれていた女官の一人です。きっと、わたくしたちに有益な話をしてくれるでしょう」

「わかりました。行きましょう」

 フェリアがうなずき、ジャネッタも面を引き締めると、アゼリアのあとを追った。


 アゼリアが彼女たちを案内したのは、窪地の底に位置する小さな広場を取り囲むように建つ家の一つで、器を伏せたような形に土を盛って造られた至って簡素な建物だった。

 小さな木の扉から中に入ると、そこは居間兼食堂といった狭い一室だった。長方形のテーブルに椅子が何脚か置かれており、三人は勧められて長辺に並ぶ椅子にそれぞれ腰を下ろした。

 アゼリアが三人の向かいに座したところで、ルルイエはエーリカの様子を教えてほしいと告げた。

 アゼリアは、それへうなずくと、話し始めた。


+ + +


 聖女様が国を出た翌年、聖女となった王妃様は、双子の赤子を産み落として亡くなりました。

 王妃様の死に衝撃を受けたためでしょうか。王様は自室に閉じこもり、いっさい表に出ることがなくなりました。

 それで国政は全て宰相様が取り仕切るようになり……当時の左大臣様の進言で、王妃様の側近女官だった娘が『聖女代行』というお役目を賜ることになりました。ですが、その娘も王妃様を呪い殺したと噂を立てられ国を出て行きました。

 以後、国は徐々に荒れていきましたが……二年前、王女様が成人を機に正式に聖女となり、これでまた国は豊かになると、誰もが思いました。

 しかし、そうはなりませんでした。


 王女様は、たしかに聖女としての力はお持ちでした。

 彼女が祈ると枯れた木々は、たちまち息を吹き返し、季節になれば花を咲かせ実を成らせました。

 ですが、王女様の心は、聖女のものではありません。

 彼女は、自分の住まいや気に入った者たちの住む場所だけに実りをもたらし、それ以外の場所には、一顧だにしません。

 いえ、それどころか、自分に逆らった者の土地を荒らすことさえするのです。……なので現在のエーリカは、城と都のごく一部の地域のみが豊かに実り、それ以外の土地は荒れ果てたままなのです。国内は、都を中心にその外周に行くほどひどいありさまだと、聞きました。


 王女様に、祈りによって実りをもたらすすべを教えたのは、乳母のメノウです。


 聖女様は、覚えておいでですか。

 聖女様が次の聖女として、先代様のもとで学び始めたころ、わたくしと共に当時の王妃宮に勤め、そののちに聖女様付きの女官となった、あのメノウです。

 わたくしにとっては、同輩であり幼馴染であり、姉とも思う同期の女官でした。

 ですが、わたくしより二つ上の彼女は、聖女様が国を出られるより前に結婚して城を辞しておりました。その彼女は、王女様が生まれたのと同じころに、子供を生んでおりました。

 生まれてすぐに母を亡くした王女様には、すぐにでも乳の出る、本当の意味での乳母が必要でした。

 ですから、メノウはちょうどよかったのです。乳が出て、聖女様にお仕えした経験のある年若い女官という条件の彼女は、まさにうってつけでした。

 『聖女代行』が国からいなくなると、宰相様は彼女に王女様の聖女としての養育を任せました。


 わたくしは、聖女様が国を出たあと、一度は城勤めをやめて実家に戻りました。

 しかし、その年の暮れに王妃様が聖女として年の初めの儀式を行うのを手伝うよう乞われ、そこから再び城で、王妃様の女官として勤めるようになりました。

 そして、王妃様が亡くなったあとは、他の女官と共に王女様付きの女官となりました。

 メノウが王女様の聖女としての養育を任せられた時、わたくしと他に何名か、元聖女様に仕えていた者が、それを手伝うよう命じられました。

 ……ですから、最初の数年は、わたくしたち皆で、王女様を先代様や聖女様のような立派な聖女に育てようと、協力しあっておりました。

 それは特別な時間で、わたくしは聖女様にお仕えし始めたころのような楽しい気持ちで、その期間を過ごしました。

 ですが……次第にメノウは、王女様を私するようになって行ったのです。


 王女様が、実の母のように彼女を慕っていたというのもあります。

 また、宰相様やその取り巻きの方々が、彼女の教育が素晴らしいと何かと持ち上げたせいもあるかもしれません。

 なんにせよ、気づいた時には、王女様の養育は彼女だけが行うようになり、わたくしたちはいっさい手出しができなくなっておりました。

 その上、王女様が成長するにしたがって、メノウの城内での権力は大きくなっていきました。

 王女様が十歳を超えたころには、女官長様でさえメノウには何も言えなくなっておりました。身分としては女官長様の方が上なはずなのに、実際にはメノウのやり方に異議を挟むことさえ、できなくなっていたのです。

 そして、王女様の好き嫌いによる祈りの過多は、すでにそのころから起こっていました。

 食べ物の好き嫌いの多い王女様に、無理に嫌いなものを食べさせようとした女官が追放され、その女官の実家のある周辺が、それまでは豊かな緑に包まれていたのに荒れ果てたということがありました。

 また、メノウに嫌味を言った貴族の領地が、突然荒れ地と化したといったことも、ございました。

 そうしたことは、次第に貴族たちの間でひそやかに囁かれるようになりました。

 そんな中、王女様は成人し、正式に聖女としてのお披露目を行いました。

 民の多くは、これで国ももとの豊かさを取り戻すと、安堵したかと思います。

 ですが、最初にも申したとおり、国のほとんどは荒れ果てたままの状態です。


 これによって、民の多くは国を捨てて逃げ出しました。


 国は、民たちの逃亡を咎めようとはしませんでした。

 王様は相変わらず、ご自分の部屋から出て来ようとはなさいませんし、宰相様も国を出ようとする者を捕らえよと命じることはありませんでした。

 そんな中、地方の貴族たちまでもが国外に逃げ始めた……という話が伝わって来ました。

 無理もないとは思います。地方の貴族たちにしてみれば、民が減れば税を取り立てることもできません。もとより土地は荒れ果てておりましたが、それでも人がいればまだしも手を入れて、多少は実りを得ることもできるでしょうが、人が足りなければ、それもままなりませんから。

 そのうえ、食べるものを求めて野生の獣が町や村にまで現れたり、日が落ちれば獣でも人でもない何かが徘徊したりと、命の危険を感じることも増えて来たそうです。


 そうした話を聞き及ぶに至って、わたくしは我慢できなくなり、ある時、メノウに訴えました。

「国全体のために祈ってくださるよう、王女様を説得してちょうだい。あなたなら、できるはずよ」

 ですが、メノウは笑って答えました。

「なぜわたくしが、そんなことをしなければならないの? 聖女様の役に立たないものなど、別にどうなってもかまわないじゃないの。それよりも、早く聖女様をお迎えしてちょうだい。せっかくのご馳走が、冷めてしまうわ」

 その時わたくしたちが話していたのは、王女様のための食堂で、わたくしたちは夕食の最後の確認をしているところでした。メノウと二人きりだったので、ちょうどいいと王女様を説得する件を話したのですが、メノウにはそんなわたくしの配慮も気持ちも、伝わりませんでした。


 そのやりとりで、わたくしはもうだめなのだと悟りました。

 メノウには、王女様をちゃんとした聖女として育てる気持ちはなく、そしてこのまま国は荒廃していくだけなのだろうと理解したのです。

 その夜のうちにわたくしは女官長様の元に伺い、城を辞したい旨を告げました。

 女官長様は、一瞬わたくしを引き留めたそうなそぶりをなさいましたが、結局何も言わず、受け入れてくださいました。

 そのあと荷物をまとめ、夜明けと共に城を出たわたくしは、そのまま国を出たのでございます。


+ + +


 話終えるとアゼリアは、深いため息を一つついて、冷めたお茶を口に運ぶ。

「国を出て、そのままここへ?」

 ルルイエに問われて、彼女はかぶりをふった。

「いえ、最初はナーラの街を目指しておりました。そこに、わたくしより先に国を出た妹夫婦がおりましたので、それを頼っていくつもりだったのです。それが――」

 彼女は言いさして、言葉を濁す。

 ややあって、ためらいがちに彼女が言うには、ナーラに向かう途中で野生の獣に襲われたところを、旅商人の護衛の騎士に助けられたのだそうだ。そして、彼らから街道を女一人で旅するのは、今のように獣に襲われる場合があるので危険なこと、エーリカを逃れて来た者たちの隠れ里のような村があることを教えられたという。

「……その旅商人たちが、ここを知っていたのですか?」

 尋ねるルルイエに、アゼリアはうなずいた。

「はい。彼らもまた、元はエーリカの民だった者たちでした。王女様が成人するより前に国を出て、旅商人とその護衛として、街道を行き来して生活するようになったのだとか。ここは、彼らと同時期に国を出た者たちが見つけ、村とした場所だそうです」


 二人のやりとりに、フェリアがふと気づいたように口を開いた。

「もしかして、地図にあった町や村がなくなっていたのは、獣の被害のせいですか?」

「それもあるようです。が、ナーラの街とエーリカの間を旅する人が減ったのが、大きな理由だと聞いています」

 アゼリアがうなずいて、付け加えた。

 エーリカは、西方世界の西端にあって、東方世界から来る者たちにとっては、玄関口的な役割を持つ国でもあったのだ。だが、今の寂れ果てたエーリカは、東方世界からの旅人にとって、なんの魅力もない。また、東方世界では大型転移装置の発達によって、旅に魔法使いを同行するのが当たり前になった。そのため、西方世界に入ってからも、かならずしも街道を進む必要がなくなったのだ。

 彼らはミルカで馬車を調達すると、ナーラから先はエーリカへ向かう街道を降りて、目的の国に最速で行ける道を自分たちで切り開く。この村までの道も、そうやってできたものの一つだった。

 実際、魔法使いが共にいれば、多少悪路であっても進むことができたし、騎士や傭兵などの護衛を雇えば、野生の獣の脅威も防ぐことができる。

「エーリカの衰退は、街道筋の町や村にも影響を及ぼしていたのですね……」

 ルルイエが、話を聞いて低く呟いた。


 しばし沈黙が落ちた中、つと口を開いたのはジャネッタだった。

「あの……元左大臣の息子たちとその家族がどうしているか、ご存じではありませんか」

 どうやら彼女は、伯父からなんの連絡もないことが、ずっと気になっていたようだ。

「たしか、ご長男は北の地方の領主に任じられたはずですが……」

 言ってアゼリアは、記憶をさぐるように目を閉じて考え込んだ。が、ややあって顔を上げる。

「思い出しました。王女様が成人した年に、ご長男が領主を務める地方で内乱が起こって、それを鎮圧できなかったと処罰されたのです」

「処罰……」

 小さく目を見張って、ジャネッタが呟く。アゼリアがうなずいた。

「はい。捕らわれて、罪人として監獄に送られたのではなかったかと。ご家族は、平民に落とされたと記憶しています」

 彼女の言葉に、ジャネッタは更に目を見張る。そして、震える声で尋ねた。

「次男の方は……」

「元左大臣様が国を出られたあと、ご家族と共に地方に引きこもられたというお話は、聞いた覚えがございます。ただ、そのあとのことは……」

 アゼリアは言って、小さくかぶりをふった。

「そう……ですか。ありがとうございます」

 礼を言って、ジャネッタは肩を落とす。

「あの……?」

 それを見て怪訝そうなアゼリアにルルイエが、ジャネッタは元左大臣の孫にあたるのだと告げた。

「そうでしたか。それで……」

 アゼリアは驚いたように低い声を上げたあと、何かを思い出そうとするかのように片手を自分の頬に触れる。だが、すぐに小さくかぶりをふって言った。

「申し訳ございません。元左大臣様のご次男については、何も覚えていることがありません」

「いいのですよ。つきあいがなければ、消息を知らないのは当然のことですから」

 ルルイエはそれへ返して、慰めるようにジャネッタの肩に手をやる。

「大丈夫ですよ。あのジャクリーヌの兄君ですもの。きっとご無事です」

「はい、ルルイエ様」

 ジャネッタは、うなずいて笑ってみせる。

 そんな彼女に、ルルイエは励ますように微笑み返した。


 こうしてアゼリアとの話を終えたルルイエたちは、まだ日の高いうちに村を出て街道に戻ると、再びエーリカ目指して馬車を走らせ始めたのだった。

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