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第32話 エーリカ入国

 7月。

 ルルイエとフェリア、ジャネッタの三人は、エーリカの都の郊外に佇むある貴族の別邸にいた。

 といっても、その貴族当人は家族ともども隣国アデライドに引き移っており、邸はそこで知り合った商人に貸している状態だ。そしてルルイエたちは、その商人と共に隊商の一員という体でここにいるのだった。


×××


 ルルイエたち三人が、エーリカの東の関所に到着したのは、6月に入ったばかりのころだった。

 彼女たちがセビーリアを出てから三ケ月――かつてルルイエがジャクリーヌと共にエーリカから東方世界へ向かった時のことを思えば、ずいぶんと早い到着だった。

 だが、それから十日ほどが過ぎても、三人はまだエーリカに入国できていなかった。

 ルルイエはすでにエーリカでは死んだことになっているはずだったが、追放者の一覧にでも入っているのか、関所を通してもらえなかったのだ。

 最初の日は、関所の長官から尋問を受けたあと、都に問い合わせてからでなければ通せないと言われた。改めて出向けと言われた五日後に行くと、ルルイエは通せないと告げられたのだ。

 それで三人はしかたなく、関所のすぐ傍にある町に逗留していた。

 むろん、ここから引き返すという選択肢はなかった。だが、他の関所に行ったとしても、結果は見えている気がして、動くに動けない。


 そんな中、思いがけない人物が彼女たちを訪ねて来た。

 ジャネッタの伯父、カルドスである。

 驚く彼女たちにカルドスは、自分がマリーニアの聖女となったミリエラの啓示によって、ここに来たことを告げる。そして付け加えた。

「東方から来たなら、かならず東の関所を通ろうとするはずだと考えたのだ。それでここに来た」

 その彼にジャネッタは、ルルイエが関所を通してもらえないのだと訴える。

「……万が一にも間違って追放者を通してしまわないよう、各関所には一覧が回っているからな」

 話を聞いて呟く彼に、ルルイエが言った。

「わたくしは国を出たあと、死んだことになっていると以前に左大臣様からの手紙で教えていただいていたので、大丈夫だと思っていたのですが……」

「おそらく宰相は、あなたが生きている可能性をも考慮していたのでしょう」

 カルドスは返して、声を低めた。

「ですが、ご安心ください。私はあなた様を入国させるために来たのです」

 それを聞いて、ルルイエたちは思わず顔を見合わせる。

「何か、良い方法があるのですか?」

 尋ねるルルイエにうなずいて、カルドスは低い声で話し始めた。

「あなた方には、私と共にアデライドに来てもらう。そして、西の関所からエーリカへ入国するのだ」

「西の関所にも、同じ追放者の一覧が回っているのでは?」

 思わず眉をひそめて問うルルイエに、カルドスは笑って返す。

「今あなた方が持っている旅券で入ろうとするなら、そうだろう。だが、アデライドから入国しようとする時、あなた方は名前も身分も別人となる」

 そして彼は、更に詳しいことを話し始めた。


 その翌日、ルルイエたち三人とカルドスは、関所近くの町をあとにして、エーリカの周辺を迂回する旅に出た。

 エーリカは西方世界の一番東端にある国であるため、国境には高い城壁が築かれている。

 四人はその城壁に沿うようにして、西へと向かった。

 ちなみに迂回路は、正規の街道ではなく、旅人たちが作った道であるため、縁石で囲われたり石畳を敷かれたりはしていない。なので馬車は大きく揺れることもあって、街道を行くよりもずいぶんと乗り心地は悪かった。

 それでも徒歩で進むよりはずいぶんと早く、半月ほどでアデライドの関所へと到着した。

 ここでは特段詮議されることもなく、旅券を見せただけで簡単に通してもらえた。

 そこから三人は、カルドスの案内で関所のすぐ近くにある街まで行き、同行させてもらう隊商を率いる大商人チャントと引き合わせられた。

 チャントは年に何度か、大きな隊商を組んでアデライドからエーリカ、街道筋の町や村を巡り、東方世界の国アイラへ行ってはまた戻るといった交易の旅をしているという。

 その隊商は毎回三十人から五十人規模の大所帯で、人員には東方の者も多い。また、魔法使いも何人かいて、この中に紛れ込ませてもらえば、ルルイエたちもさほど目立たないだろうというのが、カルドスの策の一つだった。

 更にカルドスは、彼女たちに行ったとおり、偽の旅券を用意した上に外見をも変える用意をした。

 三人それぞれ、髪の色を染料で変え、肌の色や目の形なども化粧で変えたのだ。

 それでも、果たして関所を抜けられるだろうかとルルイエたちはいささか不安ではあった。

 だが実際に、隊商と共に西の関所に出向いてみると、驚くほどあっけなく彼女らはエーリカに入ることができたのだった。

「この関所の者たちにとっては、この隊商は年に何度か通る馴染みのものです。しかも人数が多いので、お役目とはいえ、一人一人細かく詮議していては日が暮れてしまいましょう。ですので、どうしても少ない人数で通ろうとする者たちよりは、詮議が雑になります」

 拍子抜けするルルイエたちに、チャントはそう言って笑った。

「それに、東から来たあなたたちが、まさか東へ行く隊商に混じっているとは、関所の者も思わないだろうしな」

 カルドスも補足するように言って、笑う。


 ともあれ、そうやってエーリカに入国したルルイエたちは、チャントやカルドスの言葉に従って、隊商と共にこの邸に滞在することになったのだった。


×××


 外は雨が降っている。

 すでに22時と幾分遅い刻限だったが、ルルイエはまだ起きていた。

 ベッドの上に半身を起こし、本に夢中だ。

 というのも、この邸には持ち主の貴族が残して行った蔵書がかなりの数あって、その多くは西方世界の歴史について書かれたものだったからだ。

 ルルイエも、聖女としての教育の中で、西方世界の歴史を学んではいたけれど、研究書のようなものを読むことは少なかった。中でも、聖女が現れる以前のこの世界については、彼女にはかなり興味深く、ついつい夢中になってしまうのだった。


 と、ドアにノックの音がして扉が開き、フェリアが顔を覗かせる。

「ルルイエ様、今よろしいですか?」

「ええ。……どうかして?」

 声をかけられ、本から顔を上げてルルイエが問い返した。

「その……本当に国王に会いに行くおつもりなのですか?」

 フェリアはベッドの傍まで歩み寄って、訊いた。

「ええ、そのつもりよ」

 本をベッドの傍の小卓に置いて、ルルイエはフェリアを見やるとうなずいた。


 ここに到着してすぐに、三人はカルドスも含めてこのあとどうするかを話し合った。

 その中でルルイエは、一度王と会って話したいと言ったのだ。

「王様と会って、聖女の必要性を話し、許していただけるならば、わたくしが王女様を正しく聖女として導き諭して差し上げたいと、そう思うのです」

 その時彼女は、そんなふうに自分の想いを他の三人に告げたものだ。

 それについては、カルドスも賛成だと言った。

「ルルイエ様が聖女に戻られるとなれば、反発する者もいるでしょうが、今聖女である王女様が正しく在れるよう導くならば、反対する者は少ないでしょう」

 彼はそう言った。

 とはいえ、王に会うのは容易いことではない。なので、それについては彼がどうすれば一番いいか、うまく行くかを考えてみることになったのだ。

 それから数日経つが、邸を出て都に向かった彼からの連絡はない。


 うなずくルルイエに、フェリアは思い詰めたまなざしを向けた。

「国王に直接会うのは、危険だとわたくしは思います。国王を説得するにしても、誰か……たとえばカルドス殿を代理として差し向け、書状をお渡しするとか、他の方法を考えた方が良いと思います」

「フェリア……」

 ルルイエは、軽く目を見張ったものの、ただ黙って彼女の次の言葉を待つ様子だ。

 それに勇気を得たように、フェリアは続ける。

「エーリカ国内で、ルルイエ様が死んだことになっているのも、国王や宰相がルルイエ様を害しようとした結果なのでしょう? だとしたら、そのような者たちと直接会うのは、とても危険ではありませんか」

「そうですね。けれども、だからこそ、わたくしは王に直接お会いして話す必要があると感じるのです」

 ルルイエは言って、一つ低い吐息をついた。

「十八年前、王様がわたくしに追放を言い渡した時、わたくしは実のところ、そのことをさほど深く考えませんでした。もともとこの国の生まれではなく、誰も係累のいないわたくしにとっては、生きていく場所は、どこであっても変わらないと思ってたからです。また、次の聖女もいずれは見つかるだろうと思っていました。歴史的なことを言えば、聖女は不在の期間が多少空いても、いずれかならず見つかる、あるいは王やその周辺が見つけてくるものでした。ですから、どうにかなると、そう思っていたのです。……まさか、聖女がいても国が荒れるようなことになるとは、当時は思ってもいませんでした」

「それはですが、ルルイエ様が責任を感じるようなことではないと思います」

 フェリアは即座に言い募った。

「それは国を追われた者が考えることではありませんし、ジャネッタのおじいさまが動いて下さらなかったら、ルルイエ様は命を奪われていたかもしれないのですもの」

「かもしれませんが……本来なら、次の聖女を見つけて正しく教育するのは、当時聖女だったわたくしの役目でした」

 柔らかく微笑んで、ルルイエはそれへ返す。だが、フェリアは納得がいかないようだ。

「それを言うならば、マリーニアへ亡命したミリエラという女官にも責任はあると思いますが」

「フェリア、それは違います。ミリエラ様は、エーリカでは聖女としての教育も受けてはおらず、それどころか正式にはそうと認められてもいなかったのですから、責任を問うことはできません」

 ルルイエは小さくかぶりをふって言った。

 ジャネッタを含めた三人は、カルドスからミリエラのことを改めて聞かされている。

 ルルイエの言葉にフェリアは、小さく溜息をついた。彼女がどうあっても考えを変える気はないと、理解したのだ。

「ではせめて、その会見の席にはわたくしやジャネッタをお連れください」

 せめてそれぐらいは……と言い募るが、ルルイエはまたかぶりをふった。

「おそらくそれは、受け入れてはもらえないでしょう。わたくしとて、あなたやジャネッタが一緒の方が心強くはあります。ですがあちらは、もしも会見を承知してくれたとしても、東方の魔法使いとジャクリーヌの娘というあなたたちの身元について、警戒するでしょうからね」

 言ってから、ふいに彼女はクスリと笑う。

「もっとも、本当に一番警戒しなければならないのは、わたくしでしょうけれども。魔法のないこの世界で、わたくしの持つ魔法の力は、きっと大きな脅威だと思いますよ」

「ルルイエ様……」

 フェリアは小さく目を見張った。そしてふいに、一つの可能性に気づく。

「ルルイエ様、まさか魔法で国王をねじ伏せるつもりなのでは……」

「さあね」

 小さく笑ってルルイエは、「教えてあげない」と呟く。

「ルルイエ様!」

 思わず声を上げるフェリアに、ルルイエは更に笑って軽く上目遣いにそちらを見やった。

「あくまでも最終手段です。王様と宰相様がわたくしを追放した時の理由が、わたくしが『病人を癒せず海水を真水にできず、なんの奇跡も起こせぬから』というものでした。けれど、今ならばわたくしにはそれができますもの」

 それを聞いて、フェリアは小さく吐息をつく。

 日常の中に魔法が存在する東方世界であれば、それはある程度は当たり前に受け入れられるものだ。しかし、魔法のない西方世界では、それは驚きだけでなく恐怖をも持たれるかもしれないとは、両方の世界を知る者には、簡単に想像がつくだろう。

(この方は、まったく……)

 フェリアは少しばかり呆れた思いで、かぶりをふる。だが一方で、そこまで考え、覚悟して臨むのであれば、エーリカの王との会見もそこまで危険視しなくてよいのかもしれない、とも思う。

「わかりました。もう反対はしません。ただ、会見の場に立ち会うのは無理でも、城まではわたくしとジャネッタを同行させてください」

 うなずいて、フェリアは言った。

「ええ、それはもちろんです」

 ルルイエも、それには笑顔でうなずいた。

 その彼女に、フェリアは就寝の挨拶をすると、そのまま部屋を立ち去っていった。


 カルドスから、王との会見のめどがついたと連絡があったのは、それから数日後のことだった。

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