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第34話 王との会見

 小さく吐息をついて、ルルイエは暗い空をふり仰ぐ。

 すでに時刻は24時を回り、あたりは静まり返っていた。

 だが、ルルイエは寝付かれず、外の空気を吸おうと与えられた部屋のバルコニーへと出て来たのだった。


 ジャネッタの伯父・カルドスから王との会見のめどが着いたと連絡があったのが、昨日のことだ。

 そして今日の午後には、城から迎えの馬車が来て、ルルイエとフェリア、ジャネッタの三人とカルドスは、城内の中心部にある王の居住区域へと連れて来られた。

 王との会見は明日の朝になると言われて、この部屋に案内された。

 広い寝室と居間が連なった豪奢な部屋で、ルルイエ、フェリア、ジャネッタの三人はそれぞれが一つずつ寝室をあてがわれた。

 カルドスだけは別の部屋だったが、そこもおそらくは豪奢なものだろう。

 ともあれ、彼女たちは王の客として遇されることになったようだ。


 ルルイエにとってはもちろん、この城は初めての場所ではない。

 かつて聖女としてエーリカにあった時には、城内に彼女の住まいも存在したし、王の居住区域にも足を踏み入れたことはある。彼女は王の婚約者でもあったから、王のご機嫌伺いなどのためにその居室に足を運ぶこともあったのだ。

 とはいえ、聖女だったころのことを思い返してみても、ルルイエには王とそこまで親しく過ごした記憶がない。

(そういえば……)

 バルコニーから暗い空をつとふり仰ぎ、ルルイエは思い出した。

 一度だけ、夜遅くまで催された宴の席に彼女も出席していて、王と当時は側室だった王妃が同席していたことがあった。その時に、王妃は自分の宮に戻ることになり、王にキスでおやすみの挨拶をして立ち去って行った。それがルルイエには妙に新鮮で――同時に、王と王妃は本当に想い合っている仲なのだと感じられて、少しだけ胸が痛かったものだ。

 けして王を、男性として慕っていたわけではない。また、聖女が王の妃となるのは名ばかりのものだということも、理解はしていた。それでも、「婚約者」であるにも関わらず、儀礼的な言葉を交わすだけの自分たちの関係を、どこか空しく感じてはいたのだろう。

 国を出て十七年が過ぎて、実のところルルイエは、もう王の顔も王妃の顔も思い出せなくなっていた。

(それはでも、王様も同じかもしれないわ)

 ルルイエは、ふと思う。

 その死に十七年もふさぎこんでしまうほど王妃を愛していた王は、きっと自分を覚えていないだろう。そもそも、側室だったその人を王妃にするために、聖女だったルルイエを追放したのだ。もしかしたら、名前すら憶えていなかった可能性もある。

 ルルイエは、つと手を伸ばすと自分で自分の頬に触れた。

(十七年が過ぎて、わたくしは変わったかしら)

 三十も半ばを過ぎた彼女の外見には、もはや少女の初々しさはない。だが一方で、幼げだった頬は引き締まり、子供と大人のあわいのようだった体の線は、ゆるやかな丸みの中にもきりりと引きしまったもののある大人のものへと変わっていた。

 魔法学校の教師として過ごした時間の賜物か、それとも大魔法使いと呼ばれる者の自信のゆえか、背筋はまっすぐ伸びて顔を上げ、そのまなざしは強い光をたたえている。

 少なくともそこには、かつての清楚ではあるが大人しく、ただ流されるままの少女の面影はなかった。


 外の空気を吸って、気持ちがおちついたせいだろうか。

 いくばくか眠気が襲って来て、ルルイエは寝室に戻った。

 ベッドに横になると、とろとろと心地よい眠りが訪れ、彼女はそのまま寝息を立て始めたのだった。


 翌朝。

 ルルイエたちは朝食を済ませると、迎えの侍従に案内されて、王の居住区へと向かった。

 途中、回廊をいくつか抜けた先の大きな扉の前で、宰相が彼女たちを待ち構えていた。

「この先に連れて行けるのは、ルルイエ殿だけだ。残りの者は別室で待つがいい」

 宰相に言われて、カルドスが代表するようにうなずく。彼らにも、そう言われるだろうことは、予想がついていたためだ。

「ルルイエ様、お気をつけて」

「大丈夫ですよ。お話しするだけですから」

 心配げに声をかけるジャネッタに笑って応え、ルルイエはフェリアとカルドスにうなずきかける。

 そして彼女は、促す宰相に案内されて、扉の中へと足を踏み入れたのだった。


 扉の向こうにも回廊は続いており、あたりは驚くほどに静かだった。

 宰相についてルルイエが歩くと、二人の足音が殊更大きく響く。

 やがてたどり着いたのは、王の私的な応接間だった。サロンのような大勢を招くための部屋ではなく、ごく少数の人と会うための部屋なのだろう。さほど広くはなく、調度も部屋の真ん中に背の低い楕円形のテーブルと、それを囲むようにソファと椅子が置かれている程度だった。

 ルルイエが部屋に入ると、すでに王はソファに腰を下ろして彼女を待っていた。

 ルルイエはテーブルの傍まで歩いて足を止め、スカートの裾をつまんで昔習った宮廷式のお辞儀をする。

「ご無沙汰しています。ルルイエです。本日はお時間をいただき、ありがとう存じます」

「挨拶はいい。座れ」

 向かいの椅子を顎で示して言う王に答えて、ルルイエはそこに腰を下ろした。

 それを見届け、ソファの後ろに移動しようとする宰相を、王が制する。

「そなたは、外に出ていろ」

「王よ、しかしそれは……」

 眉をひそめて言葉を返そうとする宰相に、王は重ねて言った。

「心配には及ばぬ。何かあれば呼ぶゆえ、出ていろ」

「は」

 しかたなく宰相はうなずいて、部屋を出て行く。


 それを見送り、王はルルイエの方に視線を向けた。

「さて。では、話を聞こう」

「はい。……王様、わたくしに、現在この国の聖女である王女様の教育をさせてはいただけないでしょうか」

 うなずいて、真っ直ぐに王を見やると、ルルイエは言った。

「東方世界できままな生活を送るわたくしの夢枕に、今は亡き伯母――かつてこの国の聖女だった方が立ちました。わたくしはそれを一種の啓示だと感じ、西方世界へ向けて旅立ちました。そして、西方世界に入ってこの国に到着するまでの間に、エーリカがどれほどすさんでしまったのかを知りました。……聖女がいないのであれば、それはしかたのないことでしょう。ですが、エーリカは聖女がいるにも関わらず、国の大半は荒れ果て、民たちは逃げ出し、旅人たちですら立ち寄らなくなってしまっているのです。この状態をどうにかするためには、聖女に正しい知識を――聖女とはいかなるものであるか、己が何をしなければならないのかを、理解してもらうほかはありません。そしてそれは本来、先代の聖女がするべきことでした」

「先代の聖女……」

 黙って彼女の言葉を聞いていた王が、ポツリと呟く。

「はい。わたくしは、伯母であったわたくしの前の聖女から、ごく幼いころより、聖女としての心構えや祈りの作法、儀式のおりの作法などを教わりました」

 うなずいて、ルルイエは続けた。

「王女様にも、そのようなことを教え、聖女として導く者が必要であると感じます。そして、かつて聖女としての教えを受けたわたくしであれば、王女様にそうしたことを教えられるのではないかと思い、こうして王様の御前に参ったのです」


 ルルイエが話を終えると、王はしばらくの間、目を閉じて考えを巡らせるふうだった。だが、ややあって顔を上げると問うた。

「そなたは、実際にこの国の様子を見たのだな? この国は、本当にそんなにひどいありさまなのか?」

 その問いに、ルルイエは小さく目を見張る。王が国の惨状を知らないことに、驚いたのだ。だが、すぐに彼はずっと部屋に閉じこもったままだったのだと思い出す。

 ルルイエはうなずいた。

「はい。都の一部や城内は、緑に包まれ昔と変わりませんが、都は中心部を離れるにしたがって草木は枯れて人の姿もなく、そのせいでしょうか、通りや建物なども汚れたり朽ちたりしている所が目につきます。都の外はもっとひどく、どこも荒れ果てております。エーリカに入る前に、この国の民だった者に会って話を聞きましたが、民だけではなく貴族も他国に移り住む者が大勢いるそうです。また、旅人の多くは、エーリカを迂回して他の国へ行くため、街道とは別に道ができているありさまでした」

「そうなのか……」

 王は、いささか呆然とした顔で呟く。だが、すぐに気を取り直したように、顔を上げた。

「わかった。そなたに、王女の聖女としての教育を任せよう。……細かいことは、宰相と話せ。私は……」

 一瞬言葉を切ったあと、王は小さく肩をすくめる。

「そなたも聞いておろうが、私はもう長らく、王としての仕事をしておらぬ。実務的なことは、何もわからないのだ。だから、あとは宰相と話して決めてくれ。城内のどこに住むとか、報酬はどうするかといったようなこととかをな」

「王様……」

 彼のあけすけな物言いに、ルルイエは思わず目を見張る。だがそれが、彼の精一杯の誠意なのだと察して、頭を垂れた。

「提案を受け入れていただき、ありがとう存じます」

「ああ」

 王はそれへうなずき、宰相を呼んだ。

 入って来た宰相に王は、ルルイエを王女の聖女としての教育係とすることを告げ、今後の細かいことを決めてやるよう命じた。

 それを聞いて宰相は、驚いた顔になる。だが、反対や問いの言葉を口にすることなく、ただうなずいた。


 そのやりとりに、ルルイエは椅子から立ち上がると王に辞去の挨拶をして、踵を返そうとした。

 それへ王が声をかける。

「待て。そなた、黒いドレスと黒いヴェールの、白い髪の女を知らぬか」

 足を止め、ルルイエは軽く眉をひそめた。そして、すぐに思い当たった名を告げる。

「それは、最初にこの西方世界に現れた聖女、ウルスラ様のように思います」

「最初の聖女ウルスラ……」

 驚いて目を見張る王に、ルルイエは更に言った。

「たしか、王妃宮のエントランスにウルスラ様の肖像画が掛けられていたと思います」

「そうか」

 王がうなずくのを見やって、ルルイエは再度退出の挨拶をすると、踵を返した。そのまま、宰相に案内されて、部屋を出る。


 そのあとは、再び宰相に案内される形で回廊を巡り、あの巨大な扉の前へと戻って来た。

 そこから宰相に連れられて、扉の近くの小部屋へと向かう。そこは長方形のテーブルと椅子が何脚かあるだけの、簡素な一室だった。

 その小部屋で向かい合って座り、宰相が口を開く。

「まさか追放された元聖女が、王女の教育係になるとはな。だが、あれに教育を施すのは、骨が折れるであろうよ」

「そうなのですか?」

 ルルイエは、軽く首をかしげて問い返した。王女がわがまま放題しているという話は、噂ではあるが、彼女も聞いている。

「あれは、勉強嫌いで聖女の仕事も好いてはいないからな」

 肩をすくめて返す宰相に、ルルイエも肩をすくめた。

「勉強はともかく、聖女の役目は好き嫌いでやるものではありません。……そのあたりはおそらく、周囲にも聖女の役目を正しく理解している方が、おいでにならないからではないでしょうか」

「ずいぶんと、自信満々だな」

 彼女の言い方が気に障ったのか、宰相が軽く顔をしかめて返す。それへ、ルルイエは言った。

「そういうわけではありませんが……王女様をちゃんと聖女に育てないと、この国は立ち行きませんから。それに、多少は人に教えた経験もありますから、それは役に立つだろうと考えております」

「……まあいい。では、実際的な話をしようではないか」

 小さく鼻を鳴らして告げると、宰相は彼女のこれからの住まいや報酬について話し始めたのだった。

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