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2-12.ライラと、賞賛

 深々と頭を下げるライラに対し、アルは事も無げに言葉を落とす。


「おまえに翼があるだろうと早合点して、確認を怠ったのは俺だ。謝罪は要らん」

「で、でも!」

「それに、おまえが堕天だろうがそうでなかろうが、俺にはどうでもいいことだ」


 ライラは目を見開いた。それこそ目玉が零れ落ちるのではないか、くらいに。


(え? そうなの? ヒューマンって、そういうの気にしないの?)


 信じられない気持ちで頭を上げると、視界に入ったのは相変わらずの無表情だった。「そんなことよりも、だ。……おまえは己自身の知識で活路を見出し、この苦境を打破した。この事実は、賞賛に値する」

 またしても、耳慣れない言葉たちで脳内が埋め尽くされる。

「ええっと……しょうさんって、つまり?」


 ライラの問いかけにアルは、ああ、と小さく嘆息を漏らした。


 そして次の瞬間には、ライラの背中に衝撃が走る。バシン! と乾いた小気味よい音。どうやらアルの大きな左手が、背中を強く叩いたようで。けれど不思議とまったく痛みはなかった。それ以上に──彼から初めて、控えめな笑みが向けられたことのほうが衝撃的で。


「よくやった、ということだ」


 アルにとっては、なんてことのない一言だったのかもしれない。誰に対しても軽々しく口ずさめる言葉だったのかもしれない。

 けれどライラの心臓は大いに踊った。褒められてしまった。怒られも呆れられもしない、こんな一日の始まりは──何年ぶりだろうか。

 翼も生えていない、ただ細いだけの自分の背中に、アルが触れてくれた。

 それがこれまでの人生の中でも至上の喜びとして、魂に刻み付けられてしまった気がした。


 真新しい日差しが辺りを包む。全身がぽかぽかと温かく感じたのはきっと、日の出のおかげ……だけじゃない。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 それからアルの指揮のもと、着々と飛行船の中の荷物が外に運び出されていった。これからモンブラン隊と連絡を取り合い、一旦は彼らを捕縛し事後処理を内密に進めていくこととなったのだ。


 ドラルゴの部屋とて、例外ではない。


「兄ちゃん」

 ベッドに腰かけるドラルゴは、アルに声をかけた。

「なんだ、なにか用か」

「俺ぁな、海賊のくせに孤児だったあいつらを拾っちまった。人並みの幸せを与えてやれねえのをわかってて、それでも拾っちまったんだ。……だから俺ぁよ、最後まであいつらの面倒を見なきゃならねえ。自分の足で、自分の力で銭が稼げるようになるまでな。……救った者には、どうしても責任が付きまとう」

「……何が言いたい」

「おめえには、その覚悟があんのかな、と思ってよ。ちっとばかし、あの子から身の上話を聞いたもんだからな」


 あの子、というのは。船員たちに交じり、荷物運びを手助けしているライラを指すのだろうことはアルにもわかった。


「……貴様には関係ないことだ」

「っは、ちげぇねぇ」

 ドラルゴは豪快に歯を見せた。

「あの子は、臆病だな。常になにかに怯えているみてぇだ。──だが、良い子だ。良くしてやんな」


 彼の声はまるで忠告でもあるかのように。妙にアルの耳に、残り続けた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 船員たちの中には怪我人が多い。それゆえに、非力と微力と自覚しながらもライラは荷物運びの手伝いに勤しんでいた。外から見ると、飛行船のダメージは甚大だ。山肌に勢いよくぶつかったせいだろうが、よくこれで死人が出なかったものだ。


「……おい。悪かったな、さっきは乱暴にしてよ」


 ライラにそう声をかけたのは、副船長だった。その声に反射的に体がびくりとしたものの、彼の頭のコブがライラの恐怖心を和らげる。

「いえ。手当もしてもらえましたし。それに、そちらのほうがよっぽど……壊滅的といいますか」

「おう、そうだな。んじゃ、これで貸し借りはチャラな」


 この副船長のことも最初は怖い人だと思っていた。けれど、過去のいざこざもあっさりさっぱり水に流してくれる人だったのだ。海の男の気質とは、こういうものなのかもしれない。


「おまえ、これから王都に行くんだろ?」

「はい。竜人族の最後の生き残りとして、城に招待されているんです」


 本当は次期国王の選挙も絡んでいるのだが、これは極秘事項だ。


「そうか。……せいぜい気をつけろよ」

「気をつけろって、何に?」

 ライラがきょとんとしていると、副船長は声を潜める。

「女王陛下だよ。……ボスの航海に同行した時に、駆逐艦の上にいるのを見たことがあるぜ」


 副船長が語ったのは、嵐の日の出来事だ。

 ドラルゴと共に甲板に出ると、巨大な船が一隻、近づいてくるのが見えた。国旗を掲げていることから国が所有している船であることはすぐにわかったが、その船に乗っている人物を見て、彼らは目を見張った。

 荒れた天候をものともせずに、無表情で腕を振り下ろす王妃がそこにいたのだ。


「巷じゃお優しくてお美しい、聡明な慈愛の女神様、なんてはやされちゃいるが……とんでもねえ。俺たちの船を目掛けて大砲を何発も打ち込んできやがった。精度を確かめたかったんだろうさ。命からがら逃げおおせはしたが、人の命を芥子粒けしつぶ程度にしか考えてないんだろう。あんな冷たい目をした女は、一度だって見たことがねえよ」


 副船長の表情に、冗談や誇張は見られない。これから王都を目指して再び歩き出そうとしているのに……そんな話を聞かされては、足が竦んでしまいそうだ。


「女王陛下に会っても、油断はするなよ。ありゃあ王妃の器に収まるタマじゃ……」

「はいは~い。王妃殿下の悪口はそ•こ•ま•で、ね!」

 突如。割って入ってきたその声に、若さはない。


 副船長の背後に、いつの間にか見知らぬ人物が立っていた。歳の頃は四十代くらいだろうか。後ろで一つにまとめているはずなのにぼさぼさのチャコールグレーの髪。垂れがちな茶の瞳は、にこやかにライラを見つめている。


(だ、誰……っ⁉)


 こういう時──本当に驚いている時、咄嗟に声は出ないものらしい。副船長だって同じだ。見知らぬ男の登場に二人ともが、口をぽかんと開けてしまう。


「遅かったな、おっさん」


 飛行船から降り立ったアルの一言で、ようやく瞬きをする余裕を得たほどだ。


「そーんなことないわよ~? なんなら、アルくんよりも早く船に忍び込んでたりして~」

 おっさん、と呼ばれたその人は、気を悪くすることなく再びライラに向き直る。


 恭しく頭を下げ、その反面、まるで歌うように。

「お迎えに上がりました、モンブラン隊隊長のキドリー•モンブランと申します。ここから城まで同行させていただきますので──どうぞよろしく、ライラちゃん!」

 軽快な挨拶で締めて、おっさん──改めキドリーは、実に人懐っこい笑みを浮かべた。

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