膝を折り両手を重ね、瞼を閉じて朝日に祈りを捧げる。
陽光が降り注ぐ、ウォール山脈の狭間。ライラは旅支度をまとめ終えると、再び王都を目指そうと、飛行船の外へ飛び出した。
「これ、本当に貰っちゃっていいんですか?」
そう問いかけながらライラがドラルゴに見せたのは、弓矢だ。
飛行船に潜伏していた時に、武器庫の中から適当に拝借したもの。こうして落ち着いて見てみるとなかなか上質な代物のように思える。竜人族の里でも弓矢は狩猟によく使われていたが、ここまで軽量かつ体型に合ったものには巡り合ったことがない。
「いいんだ、餞別に持っていけ。身を守る術はひとつでも多いほうがいいってな」
ドラルゴの顔色はすっかり良くなり、自力で歩くことまではできずとも立ち上がることはできるようになっていた。
「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて……大切にします。ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ。達者でな、ライラよ。風邪ひくんじゃねえぞ」
「皆さんも、どうかお元気で!」
ライラがそう挨拶すると、船員たちに体を支えられながらも、ドラルゴは豪快に歯を見せた。
ドラルゴ一行と別れたライラとアル、そしてキドリーは山道を進むことになった。
「それじゃ、改めまして」
こほん、と咳払いをひとつ済ませ、ライラの隣をキドリーが歩く。
「キドリー•モンブランっていいます。名前の通りモンブラン隊の隊長をしていてね。アルくんの上司……ってことになるかな。よろしくね!」
「そうなんですね。よろしくお願いします……」
ライラは不躾と自覚しながらも、意外だな、とキドリーの姿を上から下まで眺めてしまう。
国王軍の近衛騎士団。その一部隊を任された隊長ともなると、それはもう筋骨隆々のたくましい男性を想像していた……のに。
目の前にいる彼は中肉中背。うなじが隠れる程度のチャコールグレーの髪を雑にひとつに束ねている。申し訳程度にうっすら生えた無精髭からは、威厳というものを一切感じさせない。それに加えてにこやかな表情。飽き足らず、
「キッドって呼んでいいからね!」
「は、はあ……」
この気安さ。鼻筋を横切る一筋の傷跡が、辛うじて彼の威厳を演出してくれている。
さらにライラを驚かせたのが、
「おい、おっさん。一体いつから船に忍び込んでいたんだ?」
アルのこの傲岸不遜っぷりだ。さすがに上司本人を目の前にしたら敬語を使ったり、恭しく「隊長」と呼んだりするものだろうと思い込んでいた。
「ん。ちょっと長くなるけども」
一方のキドリー……もといキッドも、アルの態度を窘めるでも叱るでもなく、自然に受け入れている。近衛騎士団という組織は案外ゆるいところなのでは……などと邪推してしまうほどだ。
「おっさんはね、アルくんの後を追っかける形で、街で聞き込み調査してたわけよ。そしたら山から異音がするとかいう情報と、竜人族を捕まえて万能薬を手に入れちゃおう……ってな、男たちが物騒な話をしているのを耳に入れちまってね」
キッドがちらりとライラを見やる。
「男たちを尾行しながら登山したらまあ大変、でっかい飛行船があるわ、ライラちゃんが拉致されてるわ、船は飛び立つわ。アルくんが潜入しているのを確認したあと、俺はひとまず操舵室に行って、船を止めてくれるよう設計士の……ヒューバートくんだっけ、と交渉してたってわけ。まあ、最初は抵抗されたんだけど」
細められた目に、ライラの体はなぜか強張った。
「そこにライラちゃんのファインプレー! 人質を取って要求してくれたおかげで、操縦桿もスムーズに握らせてくれてさ」
流れるような説明にストップをかけたのは、アルだ。
「……待て。それじゃまさか、あの無茶な着陸をさせたのは……」
「そう、おっさんでーす! 山肌にぶつけて船を停止させたのも、わざと。向こうさんが最後まで、取引に素直に応じてくれるとは限らなかったからね!」
ライラとアルはそっと振り返る。遠い視界の向こう側、ドラルゴ一行は温かい笑顔で見送ってくれている。
三年にも及ぶ製作期間を経てようやく完成させた船を、損壊させた張本人がここにいるとも知らないで。
……いや、いつ知られてもおかしくない。
「……なるべく自然に早歩きで行くぞ……!」
「そ、そうだね……っ」
「ちょっとぉ、おっさんに山道の早歩きはきついんですけどぉ」
ドラルゴ一行の笑顔が眩しくて、あまりにも良心が痛む。背を向けてまるで逃げるようにしながらも、三人の旅路は続いた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
キッドによると、ここはウォール山脈の半ばを過ぎたところらしい。飛行船に乗っていたおかげで険しい道のりも半分以下で済んで、得しちゃったわね、と彼は笑った。
「そういえば、ドラルゴさんたちの処遇は決まりましたけど、あの飛行船はどうするんですか?」
「うーん、精査中。他国との争いの火種になりかねないから、慎重に取り扱いたい案件ではあるかな。この山脈は俺たちモンブラン隊の管理下にあるから、ひとまずは隊の第二班に指示して、山の中に隠しておいてもらうとするよ。それでいいでしょ? アルくん」
「…………」
問いかけられたアルは返事をしない。目の下のクマがより色濃く見えたのは、顔色の悪さがそうさせているのだろうか。
「アルくん、体調でも悪いの?」
「少し、休む」
アルの呟きから、キッドの行動は素早かった。
「はーい、簡易テント張ったよ。中に寝袋もあるから使っていいよ。ただし加齢臭がしたらごめんね?」
「するだろうな……」
「ひっどぉい」
こんな会話の最中にもぴしっと綺麗に簡易テントを張って、アルを中に招き入れる。ライラにはその早業を観察することくらいしかできない。
アルは寝袋の中に入ると、すぐさま寝息を立て始めた。寝顔は見えないものの、既に深い眠りに突入しているようだ。
「……アルくんったら無茶しすぎ。あれは数日間ほとんど眠ってなさそうだね?」
やれやれといった調子でキッドは肩を竦ませる。彼のその発言に、ライラははっと息を呑んだ。
アルがライラを闇オークションから助け出してくれたのが二日前。その夜もアルはほとんど休めていなそうだった。異音の調査をするといって出かけた時も仮眠すら取っていない。つまり丸二日、彼はまともに睡眠を取っていないのだ。加えてユーシュヴァルでのライラを抱えての逃走に、飛行船でのドラルゴ一行との激しい戦闘。疲弊していないわけがない。
それもこれも全て、
「ボクのせい、ですよね……」
「あ、違う違う。アルくんがあまり眠らないのは、元々なんだよ」
どういうことかと首を傾げる。
「アルくんはあまり長く深く眠れないんだよ、だから常に睡眠不足。普段からそうだけど、遠征中は特に気を張ってるからね」
「どうして、ですか」
こんなに強い人がどうして、そんなにも気を張る必要があるというのだろう。ライラの疑問にキッドは、
「この世界には敵ばかり……そう思って、生きているからだろうね」
困ったように、目尻に幾重も皺を寄せた。