目次
ブックマーク
応援する
20
コメント
シェア
通報

3-4.ライラと、里の風習

 曇りも偽りもない、ライラの本心だった。何度かゆっくりと瞬きをすると、キッドは安心でもしたかのように目尻の皺を重ねる。

「……そっか」


 そんな彼の手元にはいつの間にか羊皮紙。その上を羽根ペンが走っていた。


「あのう……、さっきからなにを書いているんですか?」

「ん、おっさんってメモ魔なのよ。だからさ」

「ええ!? まさか、いま言ったことを!?」

 ライラは焦ってキッドから羊皮紙を取り上げた。こんな決意表明をもしアルに見られでもしたらと思うと。


「安心して。誰に見られてもいいように暗号化してるから。世界広しといえど、おっさんにしか読めない文字で書いてるよ」

 羊皮紙の上には、様々な記号が羅列している。鳥や犬、太陽や蒼月のマークだ。

「日記なんかも暗号でつけてるからね~。恥ずかしいことも書き放題でオススメよ!」

 なるほど、これならアルに先ほどの会話が露見されることもなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「こんなちょっとした会話ですらメモしちゃうなんて、すごいですね」

「まあ、昔から筆まめなほうではあったかな。おっさん、騎士になる前は吟遊詩人を目指してたから」

「ぎんゆ……なんですか、それ?」

「自分で歌を作って、歌って楽器を弾いて、それを商売にすんのよ」

 ライラは目を輝かせた。対して、キッドはバツが悪そうに頬を掻く。

「すごい! 音楽家ってことですか」

「才能が無くて諦めたんだけどね。真剣に目指していた頃は音楽だけじゃなくて、いろんな国の物語や文化のこともたくさん勉強したよ。曲作りに使えるかなーってね。メモする癖も、その時に身に着いたんだ」


 ごちそうさまの一言を言い終えて、キッドは再び羊皮紙を開いた。

「おっさん、竜人族の里にも興味があるんだ。よかったら、どんなところなのか教えてもらってもいいかな?」

 ライラはきょとんとした。

「はい……。でもなんの特徴もない、寂しいところですよ?」

「いいのいいの」


 山菜粥を喉に流し込みながら、竜人族の里での暮らしを思い返す。自分がどんな生活をしていたかなんて、きっと聞いても面白いことは何もないだろうに。そう思いながら。


「渓谷の中の里ですから、吹き抜ける風は強いです。人口は二百人ほど。牛や羊や山羊を育てている人が多くて、畑仕事をしている人もいます。綿花の栽培やお裁縫で生計を立てている人もいて、基本的に物々交換です」

「ほー? それじゃみんな、助け合って暮らしてたんだねぇ」


 ライラは黙ってしまった。そう、キッドは正しいことを言っている。助け合って暮らしていたのだ。“みんな”は。


「ん? ライラちゃん、どうかした?」

「あ……、すみません、続けます。冬は雪が降り積もるのですごく寒いです。作物の蓄えを秋のうちにしっかりしておかないと、冬が越せなくなるので、大変なんです」

「はー、なるほどねえ。じゃあ今まさにこれから大変な時期だったわけだ」


 頷いて、ライラは続けた。


「あとは、そうですね。同族同士でも、あまり肌を見せないのが習わしです。顔と、手首から先までしか露出しないんですよ。家族同士でもそうするらしいです」

って? ……ライラちゃん、家族は?」

「家族はいません。ボクが小さい時に両親が死んじゃったらしくて。両親に代わって当時の里長様に育ててもらいました。その里長様も、ボクが十歳の時に亡くなってしまいましたが」


 キッドはよほど驚いたようで、焦げ茶の目を丸くした。

「十歳って……ライラちゃんって今、いくつなの?」

「十五です」

「それじゃ五年間、ひとりで?」

「はい」

 やはりキッドはまだ驚いているようだ。竜人族の風習の話より、身の上話のほうがよほど食いつきがいいような気がして、ライラは不思議に思った。


「たしか当時の里長様ってグレン様ってお名前だったわよね? おっさんも昔、戦場でお会いしたことあったけど、かなり若かったはずじゃ?」

「はい。持病もなかったのに本当に突然だったので、ボクも周りもびっくりしちゃいました。でも、五年も経つと慣れちゃうものですね。狩猟用の罠を作るのも、畑仕事も、冬の越し方も、だいぶ板についてきましたから」

 ライラが笑ってそう言うと、

「……そう」

 キッドは果物をそっと差し出してきた。貰っていいのだろうか迷いながら、おずおずと受け取る。


「これ、リンゴですか? 図鑑で見たことがあります」

 言いながら齧りつくと、舌に広がる酸味と甘み。シャキシャキとした食感が楽しい。飲み込んだ後も、口の中がさっぱりする。

「わぁ、美味しいです!」

「生で齧って食べるだけでも美味しいけど、焼いてパイにしても美味しいのよ。上手に作れる子を知ってるから、城に着いた後のお楽しみにしよう?」

「パイ、ですか? 食べたことないです、楽しみです!」


 キッドとはまだ知り合って数時間しか経っていない。けれど、彼がとても良い人だということがライラにはわかる。纏う空気は穏やかで、口調も声色も常に優しい。近衛騎士団隊長という肩書きを意外に感じていたけれど、こんな人の側で働ける隊員たちは、きっと恵まれているのだろうと思えた。


 リンゴを食べ終えたタイミングで、アルが茂みを掻き分け戻ってきた。

「おっかえり~。おっさんはライラちゃんと親睦を深めたところです~、いいでしょ~?」

「そうか。羨ましいことで」

 棒読みにも程がある。ライラは隠れて微笑んでしまった。きっと彼のこの態度は誰に対してもそうなのだろう、と。自分だけが嫌われているとか、意図的に避けられているとか、ではないのだろう……そう思いたくて。


 キッドはライラに振り返る。少し困ったような笑顔のままで。

「ライラちゃん。今からアルくんと、竜人族の里についての調査結果の共有をするんだけど──同席する? それとも少しの間、離れてるかい?」

「え……」


 キッドの問いかけに、思わず視線がアルのほうへと吸い寄せられる。目が合った、と同時に琥珀の瞳はよそへ向けられてしまった。

「……おまえの好きにしろ」

 アルはそう言うけれど、まるで試されたような気がして。……それが、なぜか妙に悔しく感じて。

「聞きます」

「無理はしないでね。きっと、聞いてて愉快な気分にはならないだろうし」

 眉を下げながらキッドはそう言うが、ライラは首を横に振った。


「大丈夫です。聞くのは少し怖いですけど……あの日、里で何が起きたのか知りたいのも、本当ですから」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?