披露の機会をそれまで逃していたが、ライラの弓の腕前は申し分ない──なんてレベルではなかった。夕暮れまでに射抜いたウサギの数は三羽。どれも急所を狙い撃ち。おかげでその日の夕食は、昼とは違い豪勢なものとなった。捌いたウサギの肉に調味料をまぶし、焚火で炙っていく。
「……おまえはずいぶん、弓の腕が立つんだな」
アルに褒められたのが嬉しくて、ライラはつい口が滑らかになる。
「毎日、弓の稽古をしていたんだ。ウサギは罠にかからないことも多いし、冬にはみんな姿を隠しちゃう。保存食にするために、秋のうちにたくさん捕まえておかなくちゃいけなかったんだ。貴重なお肉だからね」
その発言に、アルが眉を顰める。
「おっさんから聞いたが。里には食肉用の牛や羊もいたはずじゃなかったのか」
「えっと。ボクが特別、ウサギが大好物だったんだ」
そう言って、ライラはローストされたウサギの足にかじりついた。それ以上、喋らなくても済むように。
慣れない塩気に驚かされつつ、慣れ親しんだ肉汁を舌に乗せる。自然と口角は緩やかに吊り上がった。
この旅路で、ライラは己の体力の無さを改めて露見することになってしまった。けれどアルにキッド、そしてシュシュと共に歩く旅路は、自分が足手まといとわかってはいてもすべてが新鮮で、ひとつひとつの些細なことが心に強く焼き付いた。
身長より大きな岩。引っ張りあげてもらった手の温かさ。血のにじむつま先。消毒液の香り。焦げた川魚。ウサギの肉を美味しそうに頬張るシュシュの姿。賢い種というだけあって、三日目にしてお座りを習得したのも。なぜかアルにだけは一向に懐かないのも。
まるで永遠に続くかのように思われた三日間だった。けれど、どんなことにも終わりは来るのだ。
日が完全に傾いて、三人と一匹がほとんど闇に呑まれたその時だった。
「ふー、ようやく見えてきたね」
キッドが体の関節をポキポキと鳴らしながら、後方のライラを手招きする。
「見えるかい? あれが王都だよ」
ライラは誘われるまま、恐る恐る崖から身を乗り出した。眼下に広がる光景を目の当たりにして一番に抱いた感想は、「眩しい」だった。
重苦しい夜空の下、オレンジ色の明るい光がいくつも連なり、まるで火の粉が舞っているかのようだ。行き交う人の数も桁違い。
祭りでもやっているのだろうか。そうキッドに問いかけたけれど特別でもなんでもない、これがただの日常風景との答えだった。
街から遠く離れた高台にぽつりぽつりと光が瞬いて、その巨大な建造物の輪郭を知らせる。
「あれがお城?」
暗闇の中で炎がぽつりぽつりと等間隔に燃え盛る様は、まるで巨大な誕生日ケーキだ。
「ガンドール城……俺たちが目指しているのはあそこだ。日付が変わる前に、せめて城下町には着いておきたいところだな」
さして興味もなさげに、アルは城を横目に再び歩き始めた。
「え、そのままお城を目指さないの?」
「あははー、ごもっとも」
ライラの質問に、アルに代わりキッドが答える。
「まずね、ライラちゃん。例の飛行船の件は、もう少し俺たちモンブラン隊で情報を精査してから王妃殿下に正式に報告したい。つまり今はまだ、誰にも知られちゃならんのよ」
「は、はい」
これはなかなか重要なことではないかとライラは思う。王妃にも伝えてはいけないことがあったとは。
謁見した際には口を滑らせないように気を付けなくてはならないな、と頭の隅にメモをした。
「次に、おっさんはユーシュヴァルに着いた時点で行程表を国に送ってるんだ、バード便を使ってね。飛行船に乗り込んだおかげで近道できちゃったわけだけど、通常この山脈を人の足で超えるにはどんなに早くても一週間はかかるのよ。それをたった数日で国に帰還しました、なんてことになったら、どうなると思う?」
「…………いろいろ怪しまれちゃいます?」
「ご明察! とりあえず辻褄合わせのアリバイ作りってことで、向こう二日はおっさんの家でのんびりしましょーや」
ふんふんと調子外れの鼻歌を奏でるキッドは上機嫌だ。その足取りは軽い。家に帰れるのが相当嬉しいらしい。
「キッドさんのおうちは王都にあるんですね」
「っていっても貴族街じゃないよ、下町のほうだけどね~」
下町とは、王都の外れを指すのだという。キッドの提案に、アルは渋り顔を隠さない。
「『のんびり』とは聞こえがいいな、子守り要員が欲しいだけじゃないのか」
「まあまあ、その通りだけどそう固いこと言わないの!」
「子守りって?」
鼻高々、といったところか。キッドは胸を張って答える。
「ふふーん。おっさんの家にはねえ、自慢の愛する妻と、可愛い天使がいるのよーん」
ライラはびっくりして、思わず石に躓いてしまった。
「て、天使が……天使が、キッドさんのおうちにいるんですか⁉」
「期待するのはやめておけ。おまえの想像している天使とは違うからな、絶対に」
そう諫めるアルの表情は、珍しくげんなりとしていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
下町に着いてからの人通りは凄まじかった。酒場通りなのだろうか、テーブルを囲い酒を飲み交わすヒューマンたち。大きな牙と爪が特徴の狼人族も多数いるようだ。種族に関係なく彼らは互いに笑い合っている。アルコールと燻製の混ざった香りにむせ返りそうだ。
「あまりきょろきょろするな。目立つぞ」
アルにそう釘を刺されてしまったけれど、従うのは難しかった。五感で感じ取れるものすべてが、ライラにとっては目新しいものばかりだったから。
やがて、既に消灯済みの一軒の酒場に入ると、目深に被ったフードをキッドが取った。
「ただいまー」
店内に客は一人もいない。店仕舞いを終えたばかりのようだ。カウンターの奥、赤いバンダナを巻いたロングヘアの女性が目を丸くした。
「おや、おかえり。早かったね! たしか三か月は帰還しないって言ってなかった?」
キッドの登場に驚きつつ、喜びを隠せないとばかりに口元に笑みを浮かばせる。
「それがいろいろあって、途中帰還。俺たちがここにいるのは、できれば内密にしてくれると助かるわ」
「はいはい、わかったよ! ……おっと?」
焦げ茶の視線が、キッドの背後の二人と一匹に移る。
「そ。今回はアル坊っちゃんも一緒。それとこちらはライラちゃん。わけあって、一緒に城に帰還することになってるんだ」
キッドは振り返り、女性をライラに紹介してくれた。
「それと、こちらはヒルダ。おっさんの奥さんね!」
ライラはぺこりと頭を下げる。
「初めまして、ライラといいます。よろしくお願いします」
「あっら、まあ……。まさか山越えしてきたの⁉ 泥だらけじゃないか! ほら、突っ立ってないで入りな!」
ぱたぱたと全員を手招きするやいなや、ヒルダは部屋の奥へと姿を消した。かと思えば東奔西走、せわしなくテキパキと動いているのがよくわかる。小麦畑に似た髪が激しく揺れている。
「シャワールームをすぐ使えるようにしてきたから! 着替えも用意するからちょっと待ってて!」
「ああ、いいよヒルダ。俺がやるよ!」
マントを脱ぎながら、キッドが慌てたようにヒルダの後を追う。
「泥だらけなのに走り回らないでよ! 掃除が大変だろ⁉」
「ああああ、ごめん、ごめんて!」
当然ながら今、この店に客はいない。けれどこれまでに通りかかったどの酒場よりも、この店が一番賑やかに思えた。