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5-5.ライラと、死告蝶

 翌日の夕方、ジャノメイル教会に向けて出発したのはライラ、アル、キッドの三人とシュシュ。

 王都を出ると西の平原を進み、ウォール山脈とはまた別の山を乗り越えなければならない。その名もマウントハイウッド。国内でも随一、標高が高いのが特徴なのだという。その山を乗り越えた先に小さな集落があり、ジャノメイル教会はその片隅にひっそりと存在しているのだそうだ。


「どうして王都からそんな遠く離れたところに、教会があるの?」


 王都からは馬車で移動しているが、凹凸の激しい道のりに下半身はすでに悲鳴を上げていた。


「だって、この国のヒューマンの神様なんでしょう? 普通は王都からもっと近いところに教会を建てるものじゃないの?」

「行けば……いや、見ればわかる」


 向かいの席に座するアルはその一点張りだ。見てわかることをいちいち尋ねるな、というのが本音なのだろう。けれど、


「そっかあ、見てのお楽しみってことだね」


 のほほんとした笑顔でライラはそう解釈した。彼と出会ってから、少しずつ理解できたことがある。彼の物言いは冷たく感じることが多い──それに心揺さぶられることもこれまでに何度もあった──けれど、ぶっきらぼうな印象を受けるだけで、突き詰めれば言っている内容自体は至って普通の会話なのだと。現にライラの解釈に、アルは異を唱えはしない。


「おやおや、ライラちゃんったらわかってきたじゃない、は難しいのに。額面通りに受け止めてたらこっちの心臓が持たないから、それでいいのよお」


 馬車を操るキッドに、アルが冷たい視線を浴びせた。けれどそれすらもキッドからすればどこ吹く風。


「やだ~、背後から熱烈な視線を感じちゃうわ」

「……気色の悪いことを言うのを止めろ」

「はいはい、了解。そろそろご飯休憩も挟みたいところだねえ」


 会話の流れがスムーズだ。ライラは密かにキッドへ憧憬の念を抱き始めていた。自分もあれくらい気安い会話が、いつかアルとできたらいいのに、と。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 馬車を止め、アルの用意した食事を口にする。野菜と鶏肉のゴロゴロ入ったシチューに、冷えた全身がぽかぽかと温められていくようだった。焚火を囲んで三人そろってのディナータイムに、思わず頬が綻ぶ。


「アルくんって、本当にお料理上手だよねえ。このシチューもすっごく美味しいよ!」

「別に、これくらい普通だ。それにジュリが作ったもののほうが美味いだろ」

「たしかにジュリエットさんの作るお料理は美味しいよね。……でもどうしてかな、上手く言えないけど。アルくんの作るシチューはこれまでの人生で食べた中でも、一番美味しく感じるんだ」


 アルのお屋敷で出される食事は、どれも格別に美味しい。けれどどんなに美味しい食事でも、広い食堂で一人きりというのが少し味気ない──言い換えれば、寂しかったのかもしれなかった。


「やっぱり、こうして顔を見合わせて食べるごはんは、特別だなって思うよ」


 アルがそれからライラに向けて言葉を発することもなければ、せっかく同じ馬車の中で眠るのに会話らしい会話の一つもなかった。けれど、それでもライラの体はぽかぽかしていた。久しぶりにアルと共に食事ができた。眠る時にはそばに彼がいる。それだけで、こんなにも胸の中が温まるのだ。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 一晩明けて、ライラは朝日に向って祈りを捧げていた。霧も濃い時間帯だ。乾燥し冷えた空気に凍えそうになりながらも、体勢を崩しはしない。

 しかし、不意の来訪者には思わず目を見張った。青紫色の蝶が一羽、ライラの近くを飛んでいたのだ。


「わぁ、綺麗……」


 思わず手のひらを差し出すと、蝶は人差し指に止まる。毒蝶だったらどうする、なんてアルに叱られてしまいそうだと思いながら、あまりの美しさに警戒心は不思議と削がれていた。


「ふふ、かわいい」


 蝶は指先から髪の毛に移動し、まるで一緒に遊ぼうとでもしているようだ。


「おや、もう起きたの?」


 馬車から身を乗り出したキッドが、微笑ましいと言わんばかりにライラを優しく見下ろしている。


「キッドさん、おはようございます」

「おはよう。まあ、おっさんは周辺の警護をしていたから眠ってないんだけどね」


 アルほどではないが、キッドの目の下にもうっすらと隈が出来上がっていた。細められた視線が、ライラの周囲を飛び交う蝶に向けられる。


「へえ、珍しいこともあるもんだ。死告蝶が人に懐くなんて」

「しこくちょう?」


 キッドが馬車を下りて近づいたせいか、蝶はライラから離れてしまった。


「初めて見た? 『死告蝶』……人が死んだ時に現れると言われてる蝶だよ。ゆっくり飛ぶ姿から、魂を乗せて運んでる、なんて言い伝えもあるんだ」

「魂……」


 あまり縁起の良い蝶ではなさそうだ、なんて思う一方で、そんな言い伝えがあってもおかしくないくらい、神秘的な生物だとも思う。


「死告蝶は、これから飽きるほど見ることになると思うよ」

「そうなんですか?」

「死告蝶は、正確な生息域は不明なんだ。この国中の至る所で見かけることができる。けれど不思議なことにどこで見かけたとしても、すべての死告蝶はジャノメイル教会に向かって飛んでいる……ってね」


 先ほどの死告蝶を、ライラは追いかけた。崖を舞い降りていく蝶を視線で追うと、深い霧の向こう側に小さな集落が見える。かすむ景色のせいでよく見えないが、巨大な湖もありそうだ。

「あれが、ジャノメイル……」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 アルが起床し、三人で朝食を終えたところで、再び馬車は走り出した。

 かくしてキッドの言うとおりになった。馬車を走らせるほどに、見かける死告蝶の数は増えていく。濃霧に映える鮮やかな青紫。ジャノメイル集落に辿り着いてからは、まるで花畑にでもいるのではないかと錯覚してしまうほどに、死告蝶が辺りを飛び交っていた。


 馬車はいくつかの家々を通り過ぎた後、真っ白な教会に辿り着く。

 ライラは腕の中でうつらうつらしているシュシュを、少し物悲しい気持ちで見つめていた。


「シュシュはお留守番でしょうか?」

「まあ一応、教会だし……ね。呪いの象徴たる生き物を連れていったら、先方を怒らしちゃうかもしれないから」


 キッドが言いにくそうに答えるので、ライラはかえって申し訳ない気持ちになった。


「そうですよね。……ごめんね、シュシュ。良い子で待っててね」

「ワフ?」


 まだこちらの意図をすべて汲み取るのは難しいのだろう、シュシュは死告蝶がちらついているのを不思議そうに眺めるだけ。馬車の取っ手に紐で繋げておくと、少し不服そうな表情を浮かべもしたけれど。


 馬車を降り荷物をまとめているうちに、世間話に花が咲く。


「このジャノメイル教会は国内でも一番評判の良いところなんだよ。結婚式をここで開く人も多くてさ」

「それじゃ、キッドさんたちもここで?」

「おっさんは地元の小さな教会。ヒルダがそこが良いって言ってくれたんだ。おっさんの父親の足が悪いから、気を遣ってくれたんだろうね」


 キッドの妻•ヒルダの明るい笑顔が頭に浮かぶ。見ているだけで元気をもらえるような人で、ライラは彼女のことがとても好きだ。そんなエピソードを聞かされてしまっては、ますます好感度が上がってしまう。


「ヒルダさんって本当に良い人ですね」

「あははっ、ほーんと。おっさんには勿体ないくらい」

「ヒルダさんにもまた会いたいです。アンジュちゃんのお世話、少しでも協力出来たらいいなぁ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない。ヒルダも喜ぶよ、おっさんもね」


 などと歩きながら会話を交わしていくうちに、手入れの行き届いた庭園の花々と、純白の巨大な教会が目前に迫っていた。王都から遠く離れた、山を越えた先にあるにもかかわらず、結婚式場として人気なのも頷ける。


「こんな所で将来を誓い合えたら、きっといつまでも忘れないね」


 アルにそう話しかけるも、鼻で笑われてしまった。


「フン……おまえにそんな相手ができるとも思えないがな」

「ボ、ボクの話はいいんだよ!」


 ろくに言い返すこともできない。アルの言うとおりだと思ってしまったから。いつか結婚するだとか、そもそも誰かと交際するだとか、恋愛するだとか、そんなイメージがまったく湧かないのだから。


「アルくんこそ、早いとこ結婚相手を探さないとね。一応適齢期は過ぎてるわけだし?」


 からかうような口調のキッド。アルは黙りこくってしまった。


「わぁっ、そうなんだ! 素敵な人、早く探さないとね」

「……想像できないな」

「そうなの? アルくんって好きな人、いないの?」

「いない。今の俺にそんな余裕があると思うのか?」

「そっかあ、忙しいもんね。……ん? 今はってことは、昔は好きな人がいたの? 初恋の思い出とかあるの? 誰と、どんな⁉」

「やかましい、そんなのいちいち覚えていられるか」


 触れられたくない話題だったのだろうか。それきりアルは何も言ってくれなくなった。単純に、教会の扉が開いたせいもあるだろうが……。

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