目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

5-8.ライラと、エルフィ

 去り行くアルとキッドの背中を、ライラは馬車の中から見守っていた。冷え切った体をふかふかの毛布で包んでいると、全身が徐々に温められて瞼の重量がさらに増していく。

 ひとつ大きなあくびをすると、滲んだ視界に白い塊が映る。まばたきを繰り返すたび、教会の庭園に浮かぶ白い塊の輪郭はモフモフしたものに変わって──、

「……シュシュ⁉」

 眠気は吹っ飛んだ。シュシュは庭園の花々に混じり、死告蝶を追いかけて遊んでいた。見覚えのない青のリボンが首に巻かれている。


 ライラは馬車から降り立ち、すぐにシュシュのもとへと駆け寄った。シュシュはそんなライラに気づくと、すぐに踵を返し振り返る。

「おいでって、言ってるの?」

 シュシュは短く応えると、教会に隣接した建物に向かって走り出した。後を追うと、外壁に空いた穴にシュシュは器用に入り込んでいく。ちょうどライラの頭くらいの大きさだ。


「は、入れるかな」

 そもそも入っていいのかという疑問をよそにやって、ライラは隙間に頭を突っ込む。同時に視界に入ったのは、朝陽が差し込み、大量の本が並んでいる部屋だった。その部屋の中心にはシュシュ。そしてシュシュのリボンに指を伸ばす、女性の姿。


「……解けかけてるね。おいで」


 凛とした声。伸ばされる白い指がリボンに触れる。


「そうだ、名前でも付けてやろうか。そうだな、どんなのがいいか……」

「……! だ、だめっ!」


 ライラは思わず身を乗り出した。。頭よりも少し大きい程度の、小さな穴の存在も忘れて。

 壁から上半身を生やしたようなライラに、女性が気づかないはずもなく。その突飛な登場に丸くなった眼は、間もなくスッと細められた。


 歳は二十前後だろうか。肩まで伸びた白髪、教会の湖を切り取ってそのまま張り付けたかのような碧眼。おそらく平時であれば美しいと評されるだろうパーツの整った容貌は、闖入者の登場により歪められている。


「あんた、誰? 部外者は立ち入り禁止だよ」


 美しい人の喉から出ているのが信じられないほど低まった声。その声に思わず身を引いてしまいたかった……が、叶わなかった。後にも先にも進めない。どうやらライラの腰回りと壁の小さな穴はフィットしてしまったらしい。もちろん、悪い意味で。

 鏡などなくても、顔色が失せていくのがわかった。


「た、助けてもらえませんか」

「あ?」

「う、動けないです。壁にはまってしまったみたいで」

「……知ったこっちゃないね。自業自得だろ」


 女性は冷たく言い放ち、ライラを見下ろすだけだ。手を貸してくれそうな気配は一切ない。


(え……もしかしてボク、一生このまま?)


 最悪の想像が頭をよぎる。顔色が青からさらに深い青へ。しだいに絶望に染まっていく表情を目にして、女性はしだいに肩を震わせた。

「…………っふ、冗談。助けてやるよ。悪い奴じゃなさそうだ」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 女性は自身を、「エルフィ•ジャノメイル」と名乗った。


「ジャノメイル? っていうことは、オルトさんの……?」

「父さんと会ったんだ? そう、私がこの教会の神官だよ」


 ひりひりと痛む腰を擦るライラに、エルフィは悠然と微笑んだ。引き籠っていると聞いていたから、つい儚げな人物を想像していたが……まさか自分よりも歳も背丈も上の、ついでに言うなら態度も堂々としているような女性だったとは。


 エルフィの手が、シュシュの頭を撫でる。

「昨日は城からの来客があって、この部屋に一日中引き籠っていなくちゃいけなくて……シュシュ、だったね。この子が来てくれたから暇つぶしの相手になってもらっていたんだ。首輪もしていなかったから野良だと思って、帰すなんて発想はなかったよ。悪いことをしたね」


 でもちゃんと首輪はしておきな、そのリボンはあんたにあげるから。

 そう言いながらエルフィが差し出してきた紅茶は、とても美味しかった。けれどだからこそ、ライラには不安が付き纏った。


「エルフィさん……シュシュのことなんですけど」

「……“ホネクルミ”だろ」

「! 知ってたんですか⁉」

「当然。引き籠っていても神官の眼は陰りはしない。神聖なものと邪悪なものの違いくらいわかるさ」


 深い碧の瞳。彼女の眼に自分はどう映っているのだろうと思うと、少しだけ肩身が狭くなる。それよりも気になったのは、未だにエルフィがシュシュの頭を撫でている現状だ。


「の、呪いの象徴なんて言われているシュシュを、神官のエルフィさんはなんとも思わないんですか?」

「……はあ。まあ、あんたはちゃんと知っておかないといけないかもね、飼い主なんだから。さっき言ったろ、神聖なものと邪悪なものの違いくらいわかるって。ホネクルミは……シュシュは邪悪なものなんかじゃない。むしろその逆。神獣と呼ばれる生き物だよ」


 神獣とは、吉兆を人々に知らしめる生き物。その正体は神の遣いである。昔話に時々登場するくらいで、伝説上の生き物として扱われている。……ということくらいは、ライラでも知っていた。


「そもそも神獣って実在するんですか?」

「大昔に比べたら、数は極端に減っているだろうね。理由はどれも似たようなもんさ。吉兆なんて、人によって捉え方が違うだろ? 時の権力者にとって不都合なものだったなら、それは隠蔽される。神獣を害獣扱いして、駆逐することでね」

「……ひどい」

「国と教会は、そのせいで対立したこともあったんだよ。それこそ昔の話だけどね」

 エルフィは続けた。

「本来、シュシュは崇められるべき神獣だよ。呪われてるだのなんだのと騒ぐ連中もいるだろうけど……あんたが連れていくと自分で決めたんだろ。守ってやんな」

「はい!」

 エルフィの穏やかな微笑みに見とれてしまいそうになる。けれど同時に不思議に思う……なぜ彼女が引き籠っているのか。こうして会話をすればするほど、彼女の人となりを知れば知るほど、それがわからなくなる。


「エルフィさんは、どうして教会に引き籠っているんですか?」

「…………」

「し、失礼なこと聞いちゃってごめんなさい。でも、本当に不思議なんです。次期国王が誰なのか、神託を公にしない……引き篭もりの神官って聞いていましたけど……いま目の前にいるエルフィさんと、どうしてもイメージが結びつかなくて」

「……どうしてそれを知っているの」


 彼女の声色が変わった。先ほどの穏やかな表情とは一転……まるで敵を視界に入れでもしたかのように、碧眼がキッとライラを睨みつける。


「陛下が崩御したことを、なぜあんたが知っているの。まだそれは公にされていないはず──まさか!」


 エルフィは立ち上がると、扉に向かって駆け出した。扉の向こうにあるのは馬車だ。


「国王軍の紋章……⁉ なぜ⁉ 昨日帰ったはず……!」

「エルフィさん?」

「……そう。まさかあんたみたいなガキに騙されるなんてね。私もまだまだってことか。あんた、国からの遣いなんだろ?」


 肯定と否定、どちらを答えても嘘になる質問だ。どうやら彼女はライラを一般人だと思い込んでいたらしい。


「今すぐ出て行って! 私は国からの召喚には応じない!」


 あんなにも冷静で、落ち着いた印象だった彼女から発せられたのは震え声。何かに怯えでもしているかのように。


 その時だった。シュシュが唸り声を上げたのは。幼い歯を剝き出しにして、空に向かって睨み始める。視線の先にあるのは教会だ。

 エルフィは、シュシュの様子を目の当たりにしてさらに表情を硬くさせた。

「……あんたも感じたんだね、シュシュ。ふたりとも、どこかに隠れているといい」

 そう言って彼女が取り出したのは、細腕には不似合いの真槍。

「邪悪な存在モノが、教会の中にやってきた」

「え⁉」


 教会に向かって駆けていくエルフィに、一瞬の逡巡ののちにライラも続く。


「ちょっと……! なんであんたが付いてくるんだよ!」

「だって心配ですし! 邪悪なモノって……なんだかよくわかりませんけど、たぶん危険なんでしょう⁉ アルくんもキッドさんも教会の中にいるのに、ボクだけ安全な所に隠れていたくないです!」

「あんたがいたところで何もできないから言ってるんだよ!」

「弓の心得ならあります! それに」


 ちらりとエルフィの真槍を見れば……切っ先が、わずかに震えている。

「エルフィさんがひとりで行くのも危険じゃないですか!」

 その言葉に、彼女が何を思ったかライラは知らない。エルフィは諦めたように目を伏せ、

「自分の身は、自分で護ってよね」

 ぶっきらぼうにそう言い放つと、教会へ続く扉を開いた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?