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6-3.ライラと、御前試合

 ユークレースに導かれ、ライラは御前試合の会場へと向かった。


 御前試合とは、選りすぐりの屈強な騎士たちが互いの剣の腕を競い合い、勝ち抜き方式で優勝者を決めるという催しだ。

 年に一度しかないイベント。力と力、技と技のぶつかり合いがそうさせるのだろうか。まだ第一試合開始まで時間はあるというのに、すでに観客席は騎士の男たちでほとんど埋め尽くされていた。


「あっ、ライラちゃーん、こっちこっち!」


 ぼさぼさの、低い位置の短いポニーテール。人好きのするキッドの笑顔にライラはほっとしていたが反面、キッドはその笑顔を徐々に引きつらせた。


「ユ、ユークレース殿下……。特別席のご用意がされているはずですが……?」


 キッドの不自然な表情にも、ユークレースはどこ吹く風。


「なあに、たまには低みの見物でも楽しもうかと思っただけさ! 僕のことは空気だと思って放置してくれて一向に構わないとも!」


 こんなうるさい空気もそうそうない。

 ユークレースの声に、観客席は何事かと一斉に振り返る。そしてその視界にユークレースを収めるや、ざわつきは大きくなっていった。


「ユークレース殿下だ……!」

「な、なんでこんな観客席に?」

「俺、初めてこんな近くで見た……!」


 これが王族の威光というものか。ユークレースは澄まし顔で腰かけているだけなのに、皆の視線を独り占めしている。そしてそれすらも慣れたものとでも言いたげに一切、意に介していないのだ。


「ライラちゃん……まさかユークレース殿下を伴ってくるとは思わなかったわよ……」


 こそっと耳打ちしてくるキッドに、ライラは目を見開く。


「え……、もしかして、まずかったですか?」


 ライラのその問いかけに答えるのは、キッドではなく周囲の騎士の男たちだった。


「あの子だろ? 竜人族の生き残りって。たしか、モンブラン隊の監視下に置かれてるって」

「ああ、あれが……俺、竜人族も初めて見たよ。でも今、ユークレース殿下と一緒に会場に来てなかったか?」

「竜人族はユークレース殿下を選んだってことだろ?」

「そりゃ、アルヴィン殿下と比べたら……」


 ライラを含む本人たちの意向や思考はまるごと無視されて、好き勝手な憶測がひそひそじわじわと会場中に広がっていく。


「……今のライラちゃんは、あれだね。『モンブラン隊の傘下にありながら、ユークレース殿下を支持しているコウモリさん』みたいになってるね……」

「え⁉ ち、違うのに!」

「あはは、大丈夫、わかってるって。でもねライラちゃん。国王陛下が崩御された今、次期国王が誰になるのかは最もホットな話題なのよ。当然、数少ない投票権を持つライラちゃんにも注目は集まる。ユークレース殿下と共に公の場に姿を現すだけでも変な噂が流れたり、噂に尾ひれがついたりするものなんだ。……もう君はそういう存在なんだってことだけは、忘れないでおいてくれると助かるよ」

「は、はい……。気を付けます」


 ユークレースと共に過ごすことなんて、この先も数少ない機会でしかないだろうけれど。キッドの言っていることはつまり、こうだ。これから先、ライラの言動や振る舞い、一挙手一投足がモンブラン隊、ひいてはアルの評判にそのまま直結しかねないということだ。


(……アルくんの迷惑になることだけは避けないと)


「そういえば、アルくんはどこにいるんですか?」

「専用の控え室だよ。出番はもう少し先だね」


 ふと、出場はしないのだろうかとユークレースを見つめる。そういえば彼は体が弱いのだった。幼い頃から薬に頼った生活をしているのだと、以前キッドから教わって間もない。


 考えていることが伝わったのか、ユークレースはにこやかに口を開いた。


「僕は見た目通り、この上なく繊細だからね……」

「は、はい。そうですね……?」


 彼のこういう一面とどう向き合ったらよいのか、ライラにとっては未だに謎だ。そして今更ながらに思う……アルとユークレースは本当に似ていないな、と。見た目はもちろん、特に性格が。


 その時だ。喇叭ラッパの音が高らかに鳴り響く。と同時に試合会場の中心に、一人の男が現れた。


「これより、第五八五回•御前試合を開始しますッ!」


 良く通るその声と宣言に、観客の騎士たちが歓声を上げる。空気は震え、鼓膜がびりびりと揺れる。思わず背筋がぞくりとしてしまう。ここにいる人たちは皆、戦闘狂か何かなのだろうか。


「まずはルナティア王妃殿下より、開催宣言を頂戴いたしましす!」


 会場中の視線が、観客席よりも高い位置にある二階席に集中する。ライラが初めて謁見した時より着飾った様子の王妃──ルナティアというらしい──が、杖を支えに立ち上がっていた。


「……ごきげんよう。この御前試合は、今年から近衛騎士団に入団した新人騎士にとって、自身の素養や能力がどの隊に相応しいかを見極める絶好の機会です。また近衛騎士団のそれぞれの隊長にとっては、新人登用の参考にもなりましょう。日ごろの鍛錬の成果をぜひわたくしに──、いいえ、この会場中の皆に、見せつけるのです」


 祈るようにルナティアは瞼を閉じると、


「どうか、悔いの残らぬように。御前試合の開催を、ここに宣言します」


 それが合図だったのだろうか、司会の男が再び口を開いた。


「ルナティア王妃殿下より、開催宣言を賜りました。それでは、第一試合を開始します! ゼクト隊から……」


 ふと、そこで声が遮られる。司会の男性に耳打ちする騎士が現れ、何かを告げるとそのまま会場を去っていった。何事かとざわつく声が大きくなる前に、司会の男は口を開く。


「──えー、失礼。進行の行き違いがありました。第一試合を行う前に……昨年の優勝者であるサイファー第二王子殿下、ならびに竜人族の生き残り•ライラ殿によるエキシビションマッチを行います!」


 エキシビションマッチ……つまりは御前試合を始める前に試合を行うということだ。勝敗は試合そのものには無関係の、会場を温めるためだけの……。


「……えっ」


 ライラの口から、間抜けな声が出た。竜人族の生き残り•ライラ。たしかに司会の男はそう言った。けれどライラは事前に何も聞かされていない。隣にいるキッドは口をぽかんと開けているし、ユークレースもまた目を丸くしている。


「ほう。君が出るのか。意外だな」

「し、ししし知らないです! え、なんですかこれ⁉」

「ちょっとー⁉ うちのライラちゃんはおろかモンブラン隊としても何も聞かされてないんですけどー⁉」


 キッドが声を張り上げて、まるで庇うかのようにライラの前に進み出る。けれど司会の男は何も耳に入っていないかのように、


「試合は十分後に行います! 竜人族のライラ殿は、控え室にお越しください!」


 それだけ言い残して、颯爽とその場を去ってしまった。

 観客中の視線やざわつきが、少しずつライラを中心としたものに変わっていく。


「あれが噂の竜人族? まだ子供じゃねえか」

「……女? いや男? どっちだ、あれ」

「竜人族は戦闘力が強いって噂は聞いたことあるが……」

「いくら竜人族だからって、サイファー殿下には及ばないだろ」

「どっちに賭ける?」

「そうだな、俺は……」


 あっという間に、断ることなんかできない空気が出来上がってしまった。もう、こうなっては──、


「……あ、の。控え室って、どこですか……?」


 ……腹を括るしかない。


 涙声になりそうなのをどうにか堪えながらそう問うと、キッドは実に痛ましそうな表情を浮かべた。


「案内するよ……」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 控え室には第一試合に出るはずだった、ゼクト隊の男性がいた。彼はライラを見下ろすと、なにか可哀想なものを見るかのような目をする。


「あんたも気の毒だな。よりにもよってサイファー殿下が相手なんて」

「え?」

「けっこう容赦のない御方だからな。腕を折られた奴も過去にはいたし」


 さーっと血の気が引いていく。


「まあ、がんばれよ! 若いんだからすぐ治るって。な?」


 そんな、何の励ましにも気休めにもならないような一言を残して男は去っていった。ライラは思わず自分の腕を擦る。この腕があと十分もしないうちに、ありえない方向に捻じ曲げられているかもしれない。想像しただけで、体温がぐっと下がった気がした。


「……葬式みたいな雰囲気だな」


 聞き慣れた声に振り返ると、アルが入り口に立っていた。その背後にはキッドもいる。


「アルくん!」

「おっさんから話は聞いた。……なんでまた、変なことに巻き込まれているんだおまえは」

「そ、そんなのボクが知りたいよ! しかも試合で使うのは剣だって言うし。ボク、武術って向いてないんだ、弓以外はてんでダメなんだよ! ね、ねえ、なにか、必勝法とかないのかなこういうのって!」

「少しは落ち着け」

「だ、だって!」


 腕が折られることはもちろん怖い。けれどそれ以上に嫌なことが、ライラにはひとつある。


「もしボクが無様に負けたら、モンブラン隊やアルくんの悪評に繋がるんじゃないの?」

「は?」

「で、『出来損ない』とか『落ちこぼれ』とかは別にいいんだ。『竜人族のくせに弱っちい』とか言われたって構わない。……でも、『モンブラン隊が救い出せたのは、出来損ないの竜人族一人だけでした』なんて……言われたくないんだ。モンブラン隊のことを悪く言われたくないんだ、絶対に!」


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