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6-4.ライラと、サイファー

 「自分のせいで、モンブラン隊を悪く言われたくない」──その堂々たる主張に、ライラの強い眼差しに、アルは少しだけ目を丸くした。けれどすぐさま、ふうと短い溜め息を吐く。


「……構えてみろ」


 アルにそう言われて手渡されたのは、御前試合で使う剣だ。とはいえレプリカ。大怪我を避けるためだろう、刺突できる刃先はない。が、鉄製のため重さはしっかりある。言われるまま構えたその瞬間に腕がプルプルと震え始めた。対するアルも剣を構え、対峙する形となる。


「俺たちは今、同じ剣を持っている。……おまえ、俺に剣で勝つ想像はできるか?」

「無理です」


 迷わず即答できる。


「それはなぜだ?」

「扱い慣れていないからだよ。それにボクに剣術の才能はない。里でも師範に見限られたほどだし。第一、相手がアルくんでしょ? 体格も腕の長さも違う相手に、剣で敵うわけがないよ……」

「それなら」


 アルは剣を地面に置いた。


「俺が丸腰だったらどうだ?」

「……それでも、無理だと思うよ」

「なぜ?」

「アルくんが丸腰だからって、ボクが剣の扱いに不慣れなのは変わらない。ううん、戦うってことそのものに不慣れなんだ。戦闘慣れしているアルくんに勝つなんて、ボクには逆立ちしたって無理だよ」

「まあ、そうだろうな。……だが、俺が剣を構えていた時よりも丸腰の今のほうが、勝つイメージは湧いただろう」


 アルの言うとおりだった。アルが剣を持っていた間は、どう踏み込んでもアルに防がれ反撃されるイメージが常に脳内にあった。けれど今は、彼の足元や腕につい視線が行ってしまう。打ち込めるところを探してしまっている。

 ……探せている。


「勝敗というのは、勝負の内容で決まるものだ」

「勝負の内容?」

「俺とおまえが剣で勝敗を競えば、間違いなく俺が勝つだろう。だが俺だけ丸腰だったなら。……少しは勝つイメージが湧いたはずだ」


 アルが何を言いたいのか読めない。だから黙って聞いていることしかできない。


「勝敗は、勝負の前からほぼ決まっている。必勝法なんてものがあるとすれば、相手の得意分野ではなく、自分の得意分野で戦うこと。さらに自分にとって有利な勝利条件を突きつけ、勝率を手繰り寄せることが、勝負事で負けないコツだ」

「……つまりアルくんが言いたいことって?」

「今回戦う相手はサイファーで、しかも得物は剣ときた。ヤツとまともにやり合って、おまえが勝てる可能性は万に一つもない」


 ライラは自分で思っていた以上に、アルの発言に動揺してしまった。


「……だから安心して負けろ、ってこと?」

「違う。勝とうとする必要はない、と言っているんだ。余計な怪我をしたくないなら、そうしろ」


(…………アルくんの言っていることは正しい。きっと正しい。間違ってなんか、いない……)


 ライラの頭の中では、アルの意見を肯定する言葉ばかりが渦巻いている。


 けれどまるで、雑踏の中でひときわ目立つ声を耳が拾ったみたいに。もう一つ、別の声がライラの耳に何かを囁いていた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 震える膝をどうにか抑えながら、ライラは試合会場に一歩を踏み出した。ぐるりと囲う観客席の数多の視線が、一斉に降り注いでくる。

 竜人族の実力が見られるという期待。あんな小柄な体型では賭けにもならないという失望。対戦相手がサイファーであることへの同情。

 様々な感情が綯い交ぜになって、全身に纏わりついているようだ。


「サイファー殿下も、ご準備はよろしいですか⁉」

 司会の男の声に、

「はいはい」

 ……抑揚のない声で、そう返事をしている彼の姿をライラは見た。


 サイファー•ファルミリオ•リームンヘルト。


 第二王子だというその人は、ユークレースとよく似た髪の色をしていた。ただしユークレースと違い、色素の薄い色の髪は伸ばしておらず、すっきりと項の見える程度に切り揃えられている。空を切り取ってそのまま眼球に張り付けたような青の瞳が、ライラを見下ろしていた。


「初めまして」


 静かで落ち着いた穏やかな声色──アルによく似ている。そのアルよりもやや低い身長、すらりとした体格。ほんのりと上がった口角からは、「戦闘」や「試合」なんてイメージとはちっとも結びつかない。本の朗読のほうがよっぽど似合いそうだ。


 ライラは急ぎ膝を折る。


「初めまして、ライラと申します! サイファー殿下との初めての謁見がこのような形となってしまい、申し訳ございません!」


 頭を下げてそう挨拶をすると、

「君が竜人族の生き残りかぁ。ふーん、へえ」

 ……そのセリフを口にしたきり、サイファーは黙ってしまった。


 ライラが恐る恐る顔を上げると、彼は空を見上げている。まるで、もうライラへの興味を完全に失ったかのように。


「……ああ、ごめん。ぼーっとしてたよ。始めようか」


 サイファーの纏う空気は独特だった。決して緊張感を煽るような口調でも表情でもない。それなのに彼が剣を取り出した途端、会場中が生唾を呑み込むものだから、思わずその空気に流されてしまいそうだ。

 ライラも彼に倣うように剣を構えると、間合いを取って対峙し合う。


 ルールは単純かつ簡単。制限時間は五分。五分以内に、剣を相手の体に多く当てた方の勝ち。剣を吹き飛ばされた場合も戦闘不能とみなされる。鎧に身を包むのは、大怪我を負い今後の業務に支障のきたすことのないようにという配慮らしい。

 けれど視界も狭まれる上、重たい鎧。さらには扱い慣れていない剣。対するは、御前試合で常勝のサイファー。


「──試合開始!」


 “勝てるはずない”。そう思ってしまう自分が、ライラは歯痒かった。




 結論から言ってしまえば、試合は「酷い」の一言だった。

 そもそも剣をまともに構えることすらできないのだから当たり前と言えばそうだ。


 一度だけ、たった一度だけ。ライラはサイファーの頭部に剣を当てることができた。しかしそれも、ライラの隠された実力が覚醒して……などというわけはなく。ただ単にサイファーが、ライラからの斬撃を儀礼的に受けてくれたに過ぎない。

 初めてライラにポイントが入ったものの、そこからは防戦一方だった。頭部、腕、足、腹、背中。しなる鞭のように全身を襲い来るサイファーの剣技。鎧越しでもその衝撃は少なからず伝わる。避けることもいなすこともできない。関節を狙われれば痛みで全身に鳥肌が立つ。


 体格、体力、パワー、スピード、テクニック……とにかく戦いに必要な能力のすべてが、ライラはサイファーに劣る。


 「勝てるわけがないのだから、勝つ必要はない」。アルにそう言われたことを忘れたわけではない。

 それでも、


(負けたく、ない……!)


 せめてもう一度、もう一度だけでもポイントを奪いたい。そう強く思っても、逸る呼吸、忙しなく鳴り響く心臓が邪魔をする。

 立ちはだかる壁はサイファーだけではなかった。本当の敵は彼ではない。体力の少ない、持久力も圧倒的に低い、己自身の体だった。


 永遠にも思えた五分間。圧倒的な点差で試合を制したのはサイファーだ。あまりにも意外性のない、見ごたえのない試合だったことだろう。観客席の白けた反応、乾いた拍手が物語る。おそらくサイファーの部下なのだろう男たちが、高らかに勝利宣言をしているのだけは聞こえてきた。

 全身の疲労に耐えきれず、ライラは膝をつく。肩は上下する。眼球に容赦なく汗が入り込み、目を開けていられない。


「……立てないの?」


 アルに似た声が上から降ってくる。何度かまばたきをすると、試合相手のサイファーが佇んだままライラを見下ろしていた。

「た、立て……」

 立てますと口にした瞬間に、腕を強引に引っ張られる。無理やり立たされたに近いけれど、これはひょっとして、心配してくれたのだろうか。いつまでも鎧を付けたままでは失礼か、と兜に手をかけたその時、


「少しは楽しみにしていたんだけどな。……時間の無駄だったね、お互い」

 ……ライラの耳にしか届かない、けれどやけにはっきりした声で、彼はそう囁いた。そうしてそのまま、試合会場を後にする。


 悪意を向けられるのは初めてではない。里にいた頃なんて、もっと口汚く罵られることもあった。そしりの言葉がどんなものだったかなんて、もう思い出したくもないけれど。


 竜人族と戦える機会なんてそうそう無かっただろうから、さぞやサイファーを落胆させたことだろう。期待はずれだったことだろう。それはライラにもわかる。


 けれど、兜を掴む手は、食いしばる歯は、


(……悔しい……!)


 ──そう言っていた。


 控え室でのアルとの会話の最中にも感じていたことだ。

 アルの言うことは正しかった。間違ったことは何一つ口にしていなかった。「勝てない勝負なのだから、勝とうとしなくてもいい」……けれどそれは、ライラにまったく期待していないからこそ出る言葉だ。


 嘘でもいいから、せめてもう一度だけ。

 アルに、「がんばれ」と言ってほしかった。



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