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6-5.ライラと、対等

♦ ♦ ♦ ♦ ♦


「ライラちゃん、お疲れ様! ナイスファイト~!」


 観客席に戻ると、キッドはいつもの笑顔でライラを出迎えてくれた。その笑顔がかえって辛い。きっと気を遣わせてしまっている。ふと気が付けば、ライラの右隣に席を陣取っていたはずのユークレースが不在だ。


「ただいま戻りました……。ユークレース殿下は何処へ?」

「自分の近衛騎士隊に、激励の言葉を掛けに行ってるわよ。きっと近いうちに戻られると思うけど」

「そうですか……」


 もう話題が尽きてしまった。漂う沈黙が辛い。ライラは、何度か深呼吸を繰り返す。

 次に口を開いたら、言わなくてはいけない。何度目だろう、この言葉を口にするのは……。


「キッドさん……。あんなこと言っておいて結局、無様な試合になっちゃって、ごめ……」

「あー、謝るのダメダメ、禁止ね!」

「え?」


 ライラがきょとんとしていると、キッドはさらに笑みを深くした。

「ライラちゃんが戻ったら、絶対に真っ先に謝ってくるだろうから、『謝らせるな』って言われてるんだよね」

「……誰に?」

「もちろんアルくんだよ」


 ライラが目を見開く一方で、第三試合開始の合図が出されていた。

 どうやらライラが控え室で鎧を脱ぐのに手間取っている間に、第一試合も第二試合も終わってしまったらしい。


 試合会場に目を向ける。後ろ姿ではあったけれど、彼が誰なのかライラにはわかる。

「アルくんだ……! 対戦相手は誰なんですか⁉」

「キャベルネ隊の副隊長のイクスくん。ああ、キャベルネ隊ってのは、サイファー殿下の近衛騎士隊だよ」


 キャベルネ隊の副隊長•イクスは、アルよりもずっと大柄な体格でまるで熊のような男だ。観客席の歓声を一身に受けて、肩から二の腕にかけての盛り上がった筋肉を自慢げに見せつけている。


 ……そんなはずはないと思いながらも、ライラは気づいた。観客席の歓声のほとんどがアルではなく、イクスに注がれていることに。


「キッドさん」

「ん?」

「おかしいです。どうして、アルくんを応援する人がこんなに少ないんですか?」

「……アルくんは、巷じゃ“呪われた王子様”なんて言われているからね。なるべく関わりたくないって人が多いのよ」

「だから、応援しないってことですか……?」


 ライラは驚いた。

 貴族街で以前、アルがひったくり犯から女性のカバンを取り戻したことがあった。そんな大捕り物騒動でもアルを褒め称えるばかりか、まるで腫れ物に触るかのように一斉に引いていった観衆。彼らと、会場にいる騎士たちの姿が重なる。

 まさかアルが城の中でも、ここまであからさまに“呪い”という言葉に縛られているなんて思わなかった。



 イクスが腕の筋肉をしきりに観客にアピールしている間にも、アルは微動だにせず剣を構えていた。表情一つ動かすことなく、感情一つ見せることなく。

 一通りアピールを終えたのか、イクスは歯を見せて笑う。

「アルヴィン殿下! 申し訳ねえですが、ここは勝たせてもらいますぜ!」

 先手必勝とでも言いたげに、大きく剣を振りかぶる男。鎧越しとはいえ、もしあんな強い打撃を食らってしまっては──、


「……アルくん!」


 ライラは思わず目を瞑ってしまった。……だからこそ、何が起きたのかわからなかった。高い金属音に恐る恐る瞼を開くと、試合会場の上空には弧を描く長剣ロングソード。剣が飛んでいる──そう理解した次の瞬間には、それを見事に片手で受け止め、二刀流となった男の姿があった。大男は呆気にとられながら、何も持たない己の両手を見つめている。


 ……アルが勝った。熊のようなイクスを、その体格差をものともせずにほんの一瞬で撃破してみせたのだ。少しの沈黙ののち、観客席からわあっと大きな歓声が広がっていく。先ほどまでイクスのものだった会場中の視線が、喝采が、今度はアルに注がれている。


「……か、勝っちゃった……。すごい、本当にすごいや、アルくん……!」

 アルが勝利を収めたこと……それよりも、彼が騎士の皆から認められていく様に気が昂る。

 完全にイクスのものだった会場の空気を、アルが一変させてしまった。けれどイクスに対して横柄な態度を取ることなく、観客席に視線を送ることもなく、颯爽と会場を後にしてしまうのが実に彼らしい。


 きらきらした瞳で会場を見つめ拍手を送るライラを、

「ライラちゃん、さっきの続きだけど」

 キッドはそっと優しく現実に引き戻してくれる。


「アルくんが言っていたよ。『謝って、許してもらうのは安心するだろう。だがそれが癖になり、繰り返しているようじゃ何も変わらない。第一、何も悪いことをしていないのに謝るのは、自分を惨めにするだけだ』……ってね」

「だから……『謝らせるな』ですか?」

「ははは。さすが、手厳しいよね~」


 キッドは困ったように、眉を下げて笑う。

 ライラを気遣いながら、アルをフォローする一言も添えて。けれど、

「……手厳しくなんか、ないです」


 これ以上ライラが惨めにならないようにと、アルが気にかけてくれていた。その事実がライラの胸を温かくさせる。

 あんなに堂々としていて、かっこよくて、悪評も実力でねじ伏せてしまえるほど努力家の彼が──自分なんかを対等に、一人の男として見てくれているのだとわかったから。


(きっとこの会場の、誰も知らない。アルくんがこんなに優しいってこと、誰も知らないんだ……)


 世界中に言いふらしたくて、知ってほしくて。それなのにもうしばらくは秘密にしておきたい。そんな相反する感情が、鼓動を少しずつ速めていく。

 ライラは不思議だった。アルを見つめるだけで、アルのことを想うだけで、こんなにも心揺さぶられる己自身が。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦



 アルとイクスの試合を皮切りに、どんどん会場の熱気が高まっていく。モンブラン隊からは、なんと女性の騎士まで参加していた。背がすらりと高く、艶めいた黒髪のポニーテールを揺らしながらの登場だ。


「まだ紹介できていなかったね。彼女はエリカ•シキ。モンブラン隊の副隊長だよ」


 キッドの説明の間にも、試合開始の合図が出されている。


「えりか、しき……。なんだか、あまり言い慣れないというか、あまり聞かない名前の体系ですね。それに、黒髪って珍しい……」

「東国の家系だからね。まあ、流れている血は東国でも生まれはこの国だから、意思の疎通なんかも問題ないよ」

「そうなんですね。けど御前試合に出るってことは、やっぱり強い人なんですか?」

「まあ……ね。けど、エリカくんが最も得意としているのは縛縄術ばくじょうじゅつだし、相手がゼクト隊だからなあ」

 縛縄術。再び耳慣れない単語だ。モンブラン隊の遠征に同行する以上は彼女とも知り合うことになるのだろうから、その時に話を聞けるだろうか。


 エリカは初手から正々堂々と相手に斬りこんでいた。ゼクト隊の男性からの攻撃をうまくいなし、身軽さを利用したアクロバットな動きで相手を翻弄していく。しかし試合終了の直前に腕部のポイントを奪われ、逆転。僅差で敗れてしまった。

「ああ、惜しい……!」

「エリカくん、ナイスファイトー!」

 キッドの声に応えるべく、兜を取るエリカ。初めてまともに見た彼女の顔は、きっと正々堂々、全力で闘ったからだろう。少しの悔しさも滲ませない、爽やかな笑みを浮かべていた。



 それからも試合ごとにキッドが説明してくれるおかげで、それぞれの騎士隊の特色がライラにもだんだん掴めてきた。

 ユークレースの抱えるゼクト隊は品行方正、出自もエリートの中のエリートで固められているらしい。王妃やユークレースを崇拝する者、城内での地位を高めたい者の多くはゼクト隊への入隊を希望するとのことだった。

 サイファーの抱えるキャベルネ隊は、出自は重視せずとにかく腕自慢が多いのだと。御前試合とはまた別に、隊の中でも定期的に試合を行い、その結果を基にサイファーの護衛役や遠征に同行させる人を決めるらしい。力ある者が地位を得る、ということのようだ。


 対して、アルの抱えるモンブラン隊はといえば。


「うちはね~、もう、誰でも大歓迎! まじめに仕事してくれて、アルくんのあの態度に我慢できるような人なら本当に誰でも! あ、あと基本的に他の隊と違って遠征時の食事は現地調達だから! キャンプとか好きな人にはお勧めかな~?」


 キッドのその軽々しい説明には、笑っていいのかどうか迷いどころだ。おそらく入隊希望者が少ないということなのだろう。呪われているだの縁起が悪いだの言われているのだから無理もない。


 いよいよ試合は決勝にまで及んでいた。

 ここまで順調に勝ち進んできたアル。対戦相手はサイファーだ。

 決勝戦ということもあって、観客席はいよいよヒートアップ。こころなしか、周囲の気温も上がっているような気もする。

 それにしてもここまでこうも露骨に、アルよりもサイファーを応援する声の多いことに驚く。


「アルくん、頑張ってー!」


 アルの耳に届いたかはわからない。凄まじい圧倒的な物量と声量を押し返すように、ライラは声を張り上げる。


「それではいよいよ、決勝戦です。お二人とも、準備はよろしいですか? ──試合、開始!」

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