表彰式で渡されるのはトロフィーのようだ。王妃•ルナティアの手から直接手渡されるそれは、夕陽を浴びてキラキラと輝いている。
ルナティアが優勝者のサイファーに微笑みかけ、短い祝辞を述べているようだ。
次は、準優勝となったアルの番。……けれど、ルナティアはアルに対してだけ、何も言葉を掛けなかった。視線を合わせることもない。傍らにいる、三位となったキャベルネ隊の騎士にさえ表情を和らげ、声をかけているというのに。
アルに動揺したような素振りが一切見えないのは──これが、常だからだろうか。
ライラは今日一日で、アルの城内での立場がどんなものなのかを知ったつもりでいた。
けれど、王妃のその態度が決定的だった。
この城の誰よりも、アルに冷たかったのはルナティア王妃だったのだ。
いったい、なぜ。そう思っても、誰に聞かれているかわからない、声に出すことはできず。拍手と喝采の真っただ中、ライラの頭の中で疑問符だけが渦巻いていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
御前試合は、閉会宣言をもって解散となった。隊ごとに整列して会場を後にするとのことだったが、キッド率いるモンブラン隊の前にいるのは、どうやらキャベルネ隊の一団らしい。
「いやー、それにしてもサイファー殿下はさすがの強さだったな!」
「ほーんとっすねー!」
キャベルネ隊の集団の中に、ひと際目立つ男がいた。身長が頭一つ抜けているせいで声がよく通る。第三試合でアルに敗れた、イクスだ。周りにいる男たちはその取り巻きだろうか。
雑踏の中の喧騒だと、流してしまえばいい。ライラはそう思っていた。が、
「アルヴィン殿下は毎年二番手ですねぇ。鍛錬欠かしてないとか言ってましたけど、嘘じゃないですか?」
……話題がアルに関するものとなれば、話は別だ。その酷い言い様に、ライラは歯を食いしばる。
「負け惜しみにしか聞こえねぇよなぁ。俺様だったら毎年あんな不様に負けるくらいなら、来年からは出場拒否するわ」
「言えてますねぇ」
……耐えなくては。耐えなくてはいけない。隣にいるキッドだって、きっと聞こえていても無視を決め込んでいるのだろうから。ライラは硬く拳を握る。
「案外、皆の前でボロクソにやられるのが性癖だったりしてな?」
「ただの変態じゃないっすか!」
……下卑た笑い声を耳にしたその瞬間、ライラは固く握り締めていた拳をふっと開いた。キッドの戸惑ったような制止も聞かず人混みを掻き分け、イクスとその取り巻きの背後まで辿り着く。
イクスは試合会場にいた時より、至近距離で見るとさらに大きく感じた。身長も頭二つ分か、それ以上は離れているだろうか。
それでも、
「やめてください」
声に震えはなかった。
言葉を紡ぐ唇も、頬も熱いのに、頭の中は妙に冷静だった。
振り返るイクスの、まだうっすらと笑みの残った表情。ライラはそれを里で何度も目にしたことがあった。人を、嘲笑している時の顔だ。
「アルヴィン殿下のことを悪く言うのをやめてください。自分が負けたからって陰口を叩いたり、サイファー殿下がアルヴィン殿下に勝ったからって、あなたがでかい顔をしたりするのはおかしいです」
「……ああ?」
先ほどまでの調子のいい笑顔は失せて、イクスは遥か高みからライラを見下ろした。きっと彼には、仔犬に吠えられている程度にしか感じないだろう。自分の言葉は彼の心に、何を響かせるものでもないだろう。ライラもそう理解はしていた。
けれど許せなかった。アルを悪く言う相手に、何か一言でも言ってやらないと気が済まない。
「毎朝の鍛錬だって欠かさないし、街ではひったくり犯まで捕まえて、それなのに見返りも求めない……あなたたちが全然知らないだけで、アルヴィン殿下は……アルくんはすごく努力家で、すごく優しいんですから! そんなアルくんのことを馬鹿にするのなんて許せません! 謝ってください! ちゃんとアルくんに謝ってくださいよ!」
ざわついていた周囲がしんと静まり返る。張り詰めた空気に、数多の視線に、ようやくライラの膝は震え始めた。
時を同じくしてイクスが怒りから大きく目を見開く。しかし取り巻きの男たちが腕を引くと、何を思ったのか周囲を一瞥し始めた。面白くなさそうに眉を歪め、間もなくイクスとその取り巻きはその場を立ち去ってしまった。先ほどよりも、やや早歩きで。
……拍子抜けだ。きっと、何かしら言い返してくるだろうと思っていたのに。拳が飛んできてもおかしくなかったのに。再び動き出した行列。震える膝を押さえながら、ライラはその場に立ち尽くしていた。
「ラーイーラちゃん」
背後から聞こえてきた声に振り返る。人好きのする笑顔、優しくカーブを描く目尻。キッドだ。
その時になって、ライラはようやく事態の深刻さを知った。さっと血の気が引いて、声まで震え始める。
「ご、ごめんなさい……!」
「え、なにが? っていうか、ははは、また謝ってるし……」
「トラブルを起こしちゃいました。行動には気をつけろって言われたばかりなのに、勝手なことしてごめんなさい!」
そう言って頭を下げると、なるほどそういうこと、と。ライラの両肩を掴み、キッドはライラの体勢を戻した。
「謝らないでってば。おっさんはむしろ、ライラちゃんにお礼を言いたいんだよ?」
「えっ……?」
「アルくんもおっさんも立場上、ああいうことを言われても感情的になれないんだよ。器の小ささとか指摘されちゃうから、基本的には言われたい放題なのよね。だから、ライラちゃんが代わりに言い返してくれてスッキリしちゃったわ」
気を遣わせてしまっている……わけではなさそうだ。
キッドが本気で言ってくれているのだとわかる。
「それにね、ライラちゃん。竜人族って世間からどう思われてるか、知ってる?」
「え……」
思いがけない質問にライラは固まる。そんなこと、深く考えたこともなかった。
そして深く考えるよりも先にキッドは答えをくれる。
「『自分のことしか考えない、自分のためにしか怒れない、自己中な連中』って思われてるのよ。あ、気を悪くしたらごめん」
「い、いえ」
「そんな竜人族が、アルくんのためになりふり構わず怒った──これ、かなりインパクトでかいのよ。一連の流れを見た騎士も多かったし、確実に広まるよ。『誇り高い竜人族を配下に置くことに成功したのは、アルヴィン殿下だ』ってね」
ひとつひとつ、言葉の意味を咀嚼する。キッドの言い方はまるで──、
「……それって、ひょっとしてすごいことですか? どれくらい?」
──まるで、褒め称えられているようだ。
「御前試合で優勝するのと同じか、それよりすごいことだと思うよ」
「…………よ……よかったぁ……!」
エメラルドの瞳に、涙の膜が出来上がる。
「ボク、アルくんの迷惑になりたくなくて、足を引っ張りたくなくて。少しでも役に立てたらいいなって、ずっと思ってたから……!」
言いながら、いよいよ溢れそうなそれをライラは必死で隠した。泣いているところなんて、泣き顔なんて、竜人族としては絶対に他人に見せてはいけない。
対して、キッドの声は嬉しさを隠せないとでも言いたげに弾んでいる。
「もしこのことアルくんに伝えたら喜ぶし、『よくやった』って言ってくれるよ、きっと~」
「⁉ そっ、それはだめです! アルくんには伝えちゃだめです!」
「へっ⁉」
溢れそうだった涙が一気に引っ込む。それだけは、アルにだけは伝わるわけにいかないのだ。
「だって……経緯を説明しなくちゃいけなくなります。騎士の人たちがアルくんの悪口を言ってた、なんて……アルくんに知ってほしくない」
「……本当にそれでいいの?」
こくり、とライラは頷く。
「キッドさん、このことは内緒にしてください。……ボクはアルくんに褒められたくて、あの人たちに文句を言ったわけじゃないんです」
潤んだ瞳で。真っ赤な鼻先で。幼さの残る顔つきで。
けれど口にしたのは、堂々たる忠誠心。思わずキッドも目を見張るほどの。
「……ライラちゃんってうまく言えないけど、時々ものすご〜く逞しいわよね」
「ボ……ボクだって男ですから! ……こんなんでも、一応」
ずび、と。赤くなった鼻を鳴らしながら、ライラは再度目尻を拭った。
そうだ、早く屋敷に戻って、ジュリエットに手伝いを申し出なくては。そんな言い訳を口にしながら、顔を俯かせてライラは足早に走り去る。キッドもまた、距離を保ちながらもその背中を追いかけていった。
……けれどライラの思惑とは裏腹に、ライラとイクスのやり取りも、ライラとキッドのやり取りも、階段の陰で休憩していたアルの耳にはすべて届いているのだった。