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7-9.ライラと、馴れ初め

「うーん。気持ち悪いと思われたくないって気持ちはわかるけど。あんたのその心酔っぷりというか盲目っぷりは、今更どうこうできるものじゃなさそうだしね……」

「うう……」


 ヒルダの言うとおりだ。それに、アルに直接確認するわけにもいかないのだ。自分のことを気持ち悪いと思っていませんか、なんて。どんな答えが返ってくるか確かめるのも怖いのだから。


 ライラが黙っていると、仕込みの作業を終えたらしいヒルダが、そっと隣に腰かけてきた。


「……ライラ。少しだけ、私の話をしてもいい?」

「ヒルダさんの……? もちろんです」


 ヒルダは店を見渡すように、すっと目を細めた。


「この店は私の祖父母が始めたんだ。……明るくて、誰でも楽しく過ごせる憩いの酒場。物心ついた頃から店には顔を出していたし、常連さんにも可愛がってもらってた。ところがね……年頃の娘になると、周囲の様子が少し変わってね」


 困ったように、彼女は笑う。


「私の女っぷりがあんまり良かったもんだからさ。言い寄る男たちが絶えなくてね」


 不思議と自慢に感じない。


「わ、わかります! 上手く言えないけどヒルダさんってなんかすっごくそんな感じします!」

「はははっ、ありがと。……キッドも、そんな言い寄ってくる男たちの中の一人だったんだよ」


 ヒルダは思い返す。上司に連れられてやってきた、まだ新人騎士の頃のキッド。「これからはコイツも常連にしてやるからな!」と既に出来上がった上司から紹介を受けたのだ。

 もともとの常連は上司の方だったのだが、いつからか彼以上に頻繁に、キッドは店に訪れるようになっていた。目当てはこの店の料理やお酒……などでは、もちろんなくて。


「まあ、顔を合わせるたびに口説かれたね。結婚を前提にお付き合いしてくれだの、ありとあらゆる甘い言葉を吐いてくるわ、プレゼントを押し付けてくるわ……」

「わあ、わああ」


 なぜか聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。若かりし頃の話とはいえ、キッドのそういう、ガツガツした側面を想像できないせいか。けれど同時に、二人の馴れ初めが聞けるのは嬉しいことだった。


「そ、それで二人はお付き合いを始めたんですね⁉」

「いや、全然」

「ええ⁉」


 思わず口を塞ぐ。この騒ぎで、アンジュを起こしてしまっては続きが聞けない。


「だってさぁ、相手は新人とはいえ騎士様だよ? 上司の紹介を通してお貴族のお嬢様と知り合って、結婚して昇進して……っていうのが基本なのさ。それがこんな下町の、古い酒場の女に求婚なんて……とてもじゃないけど本気だなんて思えなかったのさ。遊ばれるのなんてごめんだったし。安全な仕事じゃないのはわかりきっていたしね」


 いつになったら自分のことを諦めてくれるのだろうか。ひょっとしたら本気なのではないか。けれどそれを確認することもできないまま……ヒルダはキッドを適当にあしらって、ごまかして、先延ばしにして、そんなことを何年も繰り返した。


「そんな時だったよ。十五年前……ヴィソラージア派の人間が、下町に砲弾を撃ち込んだのは」


 幸い、店は砲撃から逃れ無事だった。が、近くまで火の手は迫ってきていた。下町の結束力を総動員して何時間もかけて火消しを行い、被害は最小限に抑えられる。

 ほっとしたのも束の間、ヒルダの耳に入ったのは、下町を訪れていたアルとキッドが、砲撃に巻き込まれ重傷を負ったらしい──という情報だった。


「自分でもびっくりしたよ。考えるより先に、足が動くことなんてあるんだってね」


 城までの道のりを走っている間、ヒルダの脳裏にはキッドの顔が浮かんでは消えた。

 どうして、なぜ、彼のこれまでの言葉を信用してこなかったのか。軽薄な人ではないと、遊びで求婚するような人ではないと本当はわかっていたはずなのに。もし彼が死んでしまったらどうしよう。

 後悔と息苦しさで、胸も肺も押し潰されてしまいそうだった。


 下町から貴族街に入るには、厳重なチェックが入る……普段なら。しかし緊急事態だ。騎士でもない、貴族でもないヒルダには当然、どんなに懇願しても通行の許可は与えられなかった。

 ようやく貴族街へ入れたのはそれから数日後。門兵がヒルダの根強い懇願に折れて、キッドの上司に連絡を取ってくれたのだ。店の常連だった彼に伴われ、城内の医務室にまでヒルダは通された。


 ……想像以上にひどい外傷を全身に負ったキッドを目にした瞬間。それでも意識を取り戻した彼と、目が合った瞬間──、


「もうね、我ながら情けないったら。わんわん泣きながら、私の方からプロポーズしてたんだから」

「わああ、わああ~」


 ぽわぽわと全身が温かくなるようなエピソードに、ライラは思わず両手で頬を包む。


「すごいですね……! 素敵な馴れ初めですね!」

「素敵……かねえ? でもあの砲撃がなかったら、私は自分の気持ちに気づかなかったかもしれない。お互いに別の人と所帯を持っていたかもしれない。そしたらアンジュだって生まれてこなかった。……大人になってから実感するよ。“今”があるのは、過去の積み重ねだってね」


 “今”は過去の積み重ね──ライラはその言葉が、なぜか胸に強く刻まれたような気がした。


「……この一件でね、私は気づいたんだ。相手の気持ちなんて目に見えないものだし……突然、心変わりをすることだってある。それで不安に思うことだって当然ある。けど、それにばかり囚われて、自分の気持ちにまったく目を向けていなかったんだってことに」


 ヒルダの目は優しくライラを見つめる。


「ライラだって、そうじゃない? アル坊ちゃんにどう思われてるか嫌われてないか、不安に思うばかりで、それにばかり囚われて──自分がアル坊ちゃんをどう思っているか……ってことに、きちんと目を向けられてないんじゃない?」

……、ですか?」


 そんなの、決まっている。アルは理想的な王子様で、目標で、憧れの人だ。友達になりたいとずっと思い続けて──、


「……あれ?」


 ──きたはずなのに。


 違和感が募る。この気持ちに嘘はないはずなのに。それだと足りない。なにか大きな気持ちが、もう一つあるような気がする。


「……ボクは、アルくんの……」

「──失礼いたします」


 静かに開かれた扉。店内に入ってきたエリカはまるで内緒話でもするかのような小さな声で、


「今しがたバード便が飛んでまいりました。キドリー隊長からの伝令です。アルヴィン殿下がライラ様をお呼びとのことです」


 ご用事はお済みでしょうか。ライラにそう問いかけた。

 アルがライラを呼び寄せるなんて、これまでに一度もなかったのに。突然のことに、ライラは目を泳がせてしまった。


 慌ててヒルダの顔を見れば、

「行っておいでよ。気持ちを確かめるチャンスじゃないか。自分の、ね」

 そう言って、彼女は快活に笑った。


「は、はい! ヒルダさん、お話を聞いてくださってありがとうございました……!」


 眠気眼のシュシュを抱え、ライラは急ぎ馬車に乗り込んだ。

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