荒廃した廃墟が乱立していた。
今なお寝そべっている木材や溶けた鉄塊が、ざっと眺めただけでいくつも放置されている。
その様相は数日余り前に勃発した紛争によるものであり、紛争が終わったものの戦いの爪痕はしっかりと現場に残されていた。
――その中を颯爽と駆け抜けるローブの男がひとり。
ローブの男は雨に打たれながら逃走していた。
ブーツに何らかの『魔術』を使用しているようで、その速度はおよそ人が出せるものではない。
きっと人目があってもこのローブの男性を目で捉えることはできないだろう。
ただし疑問があった。
どうしてローブを着た人間は、魔術を使用してまで、急いでいるのか?
「……っ!」
逃げていた。必死に逃走していたのだ。
ついさっき、とある物の入れ替えをしにきた瞬間、魔術式らしき微弱な反応を察知した。
すぐさまローブを着た人間は勘づいた。
――『この場所は見張られていた』と。
実際、その勘は間違えていなかった。
ローブを着た人間は突然、片足を地面に立てて激しく急停止した。
眼前に同じようなローブを着た二人組が立っていたからである。
「やっと見つけたわ」
雨音に交じって、甲高い女声が響いた。
「……何モンだ?」男は低い声で問う。
「あんたの想像通り、あの子供ドラゴンの主よ」
言いながら、声の主はローブのフードを除けた。
そこからはふんわりとした黒髪ボブカットに、真紅の瞳をした女性が現れた。
その背後には背の小さいブロンド髪の少年が、軽蔑するような眼光を男に向けている。
「ほう」
それに感心するように不審者もフードを除けた。
そこから現れたのは、茶色い髭に大きな傷の強面な男性だった。
「まさかバレるとは思わなかったぜ? それも、こんな女子供に」
男はそうラフな物言いをすると、真紅の瞳の女性はザッと男に向けて指をさした。
「そりゃね、こんな大雨を
この男がこんな荒野に出向き、そして『入れ替え』をしに来ていたのは、『黒魔術』が関係していた。
「へえ、そこまで把握してんだな。どうやら只者じゃないみたいだ」
この世界には『黒魔術』という危険で規格外な禁術が存在している。
それらは『四大魔女』という存在しか使用できない高等な魔術だ。
しかしとある日を境に、黒魔術は『機械』として世に出回るようになった。
それらは闇市で取引され、通常では手に入れられないものの、それら黒魔術が使用できる機械――【
この男がこの荒廃した廃墟で起動させていたのは【
シャルロットの見立てでは、使用禁止黒機として登録されていた『天候操作基盤』だ。
「嗅ぎつけるのが早かったなあ」
男は邪悪そうニタっと笑って右手を腰に回した。
男はフランクな感じで語るもその一挙手一投足からは、二人を警戒し様子を見ているのが見て取れる。
シャルロットは腕を組んで答える。
「依頼されたもの、仕方がないでしょ?」
「どこまで知っている?」
男は雨音の中でもはっきりと分かるくらい浮ついた声色で威嚇した。
懐で、銀色の刃が鋭く光ったような感覚がカルに走る。
シャルロットは右手を傾げて平然と答えた。
「さあ? 目的が全く分からないわね。雨を降らせて作物でもダメにしたかったのか、それとも洪水で街に大打撃でも与えたかったのか……つい最近まで紛争があった地域ですもん、報復を企てる連中がいてもおかしくないですし」
「……つまり、なんも分かってないってことか」
男は少し気を抜いて正気を疑うように首を鳴らした。
「ええ」
「まあァいいさ」
男は表情を作り直し声を裏返し、腰を低くした。
刃を腰の後ろに隠し、虎視眈々とその時を待っている。
人食い狼が草むらから獲物を狙う時の目つきで、男は、大きく肩を揺らして息を吐いた。
一閃。
黒い光を纏った短剣を突き出し、男はブーツにかかった魔術を再度起動させ、目にも止まらぬ速さでシャルロットに突進した。
短剣が彼女の顔面に突き刺さりかけたが、それを見逃さなかったカルは遅れながらローブを脱ぎ捨て、その『赤黒い右腕』を振りかざしたが、刹那。
「ッ!」
耳を塞ぎたくなるほど大きな金属音が空気を乱す。
男は気が付くと空中に吹き飛ばされていた。
男は空中で視線を巡らせる。シャルロットの仁王立ちが見えた。
一瞬何が起こったのか男は理解が遅れたが、徐々に彼女との距離が生まれると視野が広がり、その技に対して、はっきりとした畏怖の念を覚えるくらいには、男の思考が追いついた。
泥だらけの地面に着地し男は体勢を整え、カウンターを想定し、すぐさま魔術で地面を蹴り上げた。
土がせりあがるほどの衝撃波が水溜りを破壊し、雨がゆっくり見えるくらいの素早さで男は再度追撃を試す――しかし、男は気が付いた。
畏怖の念を抱いた理由であることが、確信となったのだ。
彼女は自分から目を離していない。
「っ」
――彼女の背後に出現した円形魔法陣から『紫の剣』が射出され、自分の攻撃が弾かれたことを覚えていた男は、そのシャルロットの驚異的な視力に戦慄した。
……だが、ここで連撃を止めるわけにはいかない。
男の得意戦術は短期戦である。
慢心してはいない。
ただ、自分が一番得意な技で戦わなければ、万に一つすらないことを瞬時に理解していたのだ。
逃げる選択肢もあったかもしれない。
でも、――彼女から溢れる強烈な【黒魔術】の気配と異常なほどの余裕から、既に男からすれば、素直に逃がしてくれないのだろうという憶測さえ容易であって、だから選択は一つしかない。
短期決戦だ。
自らの得意技を使った最大限の行動、疾走、相手をひるませれば御の字であると決め、男は短剣をまた構えた。そして切りかかる、寸前に、
――魔術、鏡幻。
幻影と本体の二段攻撃、幻影生成からの軌道離脱は男の常とう手段であったから息を吐くように成し遂げ、その姿を悟られないうちに別角度からの追撃を繰り出した。
それら技は通常の冒険者では歯が立たず、気が付くと首を跳ねられている。
「――――」
だが男の眼前には、彼女の手のひらがあった。
「は?」
「おとといきやがれ!」
「ガァッ!」
瞬間、パチンと響いた乾いた音と共に、男水しぶきをあげ背中から倒れた。
今度は着地の体勢をまともに取れず、地面に体を強く打ち付けた。
男は一瞬ぐったりと脱力するもすぐ起き上がり、歯を食いしばりながら右手で地面を押して、距離を取る。
「幻影魔術にあの身のこなしは、流石に私じゃなきゃ危なかったわね?」
「……」
シャルロットは飄々と言いながら。
背後で赫い腕を構えたまま唖然としていたカルに視線を向けた。
「心配してくれたの?」
悪戯顔にムカっとしながらも、カルは腕を引っ込んで呟いた。
「……まあね」
「可愛くないな~」
そんな二人の会話を見た男は、かちんと怒りが込み上げたように顔を歪める。
見切られた。自分の最大の技を、そして最高の矜持を。
それもあんな堂々楽々に、まるで苦とも思っていないような言い草でだ。
――一体、何者なんだ、あの女は。
男は苦虫を嚙み潰したような顔をして、無意識に右手に力を入れて地面を掻いていた。
シャルロットは正面を向いた。
「さて、観念しなさい。洗いざらい話してもらうわよ」
その時、男はとある存在に気が付いて、ぞっとした。
言葉だけ読み取ればなんの威圧感もありゃしないが、男の視界の端に映った巨影の形を見て、男は身の毛がよだつ感覚と、全身の血が急速に冷えるような感覚が身体に染み渡った。
濛々とした雨の中で『巨大な生物』の影が鎮座していたのだ。
荒い鼻息と真っ赤な眼光が男へ向けられる。
奥歯が震えて足がすくんだ。声が漏れ力が抜けた。
そうして男は威圧に負け、意識を手放した。