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24「君はとことん、肝心な時にミスをする」

 廊下には足音が響いている。

 シャルロットの足音と、眼前にいる茶髪の女性の足音だ。人気は全くなく廊下は薄暗い。既に、会場から数分かけて歩いていた。


「…………」


 今の所ついていくだけで進展はないように思える。

 人気のない廊下に足音が響く。薄暗い光の中、肌寒さが次第に心を蝕む。ふつふつと沸騰する不安を振り払うように、シャルロットは前を行く女性の後を追った。


「あの」


 勇気をだして声を張るが、茶髪の女性は止まらずである。ただ少し足取りが変わったような気もする。スピードをあげたのだろう。シャルロットは無意識に口に力を籠め、自分も速度を速める。

 ややあって茶髪の女性は停止した。そして真横の光が漏れている一室までやってくる。

 気が付くと突き当りまで歩いていた。正面の大きな窓から、月光が漏れ出し廊下を淡い雰囲気で覆っている。シャルロットは女性の動作に目を離さないようにした。同時に、背後や壁の裏、正面までも気を遣い奇襲を想定する。


「お待たせいたしました」


 女性の優しい声が聞こえる。シャルロットは彼女の方を見ると、彼女はどうやら光が漏れている一室に入り、自分を手招きしているようである。じっとそれを睨んで不審な部分がないか思案する。

 シャルロットは一歩進み、その部屋に入った。


「ここは?」


 部屋。というよりこの場所は、クローゼットである。中に入るとその圧巻な景色に目を奪われた。天井は高く淡いランタンが壁にぶらさがっており、部屋中に小奇麗なタキシードや使用人のメイド服等がサイズ別に飾られているようだ。ここは恐らく、使用人用のクローゼットなのだろうと感じた。

 茶髪の女性がシャルロットを招き入れると、すぐ部屋の奥のメイド服が下げられた区画まで走り――何か喋り出した。


「――ッ」


 シャルロットからよく見えなかったものの、確かに彼女は『誰か』と会話している。思わず杖をローブのなかで取り出し臨戦態勢をとった。だが、

 メイド服の森から顔を出した人物に、シャルロットは見覚えがあった。


「……あなた」


 ――見覚えのある白銀の頭髪は頬の横でふたつの丸い結び目を作り、まるで天使の翼が左右に広がったかのように繊細に整えられている。灰色のふかふかなまつ毛に、顔のパーツが綺麗に整った顔立ち。メイド服の中から出てきたにしてはやけに『真っ白』な彼女は――まるで『静』を体現したかのような可憐かつ美麗な容姿をした女性であった。

 目を見張ると、彼女の瞳が開き、こちらをじっと眺める。

 その瞳は、寂しげな瞳であった。


「オーロラ……」

「……」


 シャルロットが名を呟くと、眼前の美麗な女性は鈴を転がすような優しい声で息をつく。そして彼女もシャルロットを見つめて訝しむように呟いた。


「ひ、ひさしぶ――」

「初めまして、シャルロットさん」

「…………ぇ」


 その声色は決して期待していたものではなかった。彼女、オーロラ王女から自分に発せられている声は、――まるで他人を扱うような嫌味もない静かな感じである。


「まず全ての確認は捨て置き本題から入りましょう」

「…………」

「あなたは司教から追われていますね」


 はっとした。その言葉にシャルロットは息を漏らし一歩後ずさる。


「待ってください。出来れば勘違いせず聞いてほしいと存じます。司教から追われているのはあなた方、これは間違いありませんね」


 思わず押し黙る。先ほどの衝撃の余韻がまだあったからだ。


「……まちがいありません」

「わかりました」


 ぐっと言いたいことを押し込めて答えると、オーロラ王女は「では」と急いで続けた。


「これから、あなた達の安全を王城が保証します」

「え?」


 オーロラ王女の言葉にきょとんとする。『安全を保証する』これはシャルロットが望んでいた希望そのものであった。王女は続けて神妙な面持ちで云う。


「司教たちの干渉を可能な限り阻害し、あなた達の保護を行います。聖都ラディクラムの暴挙にはもう賛同しません。我々は――外面より、内の民を取ります」

「それは困りますね」


 突如、背後から声が響いた。全員が一斉にその場所へ視線を向けると、そこに立っている男には見覚えがあった。


「――――」


 灰色のボサボサ頭に灰色のセータの上には丈の長い白衣を着込んだ男性が、右手で頭をかき回しながら部屋の入口に背中をつけて立っていた。

 ずんとお腹の中にひんやり冷えた重りが伸し掛かった気がした。男は片目を閉じ、気だるそうに壁を押し立ち塞がった。


「あんたは……」

「まさか、ここで会うとはおもいませんでしたよ。シャルロットさん」


 『第八司教』ザバク。あのラクテハードとかいう女と共にいた人物である。

 シャルロットは思わず杖を取り出し男に向けた。その背後でオーロラは茶髪の使用人に守られるような形で息を呑む。


「いやだな、このかんじ。嫌いなんですよ、ぼく」


 ザバクはにやりと笑いながら、目の下の隈がさらに濃く見えるように顔を歪めた。


「……何をするつもり?」

「なにをするつもり。ね」


 ザバクはシャルロットの言葉を復唱し、意味ありげにため息をついた。


「ぼくだってね、女の子をいじめたくないんですよ。誰だっていやなかおされると、傷つく。わかります?」

「……そこを退きなさい」


 言うと、ザバクは視線を巡らせシャルロットの背後を見据えた。


「王女様。またまたの無礼申し訳ございません。ぼくらだって別に嫌がらせをしたいって訳じゃないんですよ。でもね、これは、いただけないですね。言ったでしょう?」


 ザバクはねっとりと言いながらやけに意味ありげに貴族式のお辞儀をし、そしてオーロラの苦悶の表情をみて、



「彼女、シャルロットは説明した通り『魔女の卵』という稀有な存在ですなにより、くりかえすようでわるいですがね。――彼女は『穹の魔女』の関係者だ」



 その言葉に、はっとした。ザバクのその発言は、決して無意味に発していることではない。その発言には明確な意図があった。それは、このオリアナにおける『穹の魔女』を巡る事情についてだ。


 (……オリアナの三条、過去の出来事)


 かつてオリアナの存続を脅かした存在、『穹の魔女』。その関係者であることを突きつけられた。(何故知っている……?)とシャルロットは感じる。どうしてそこまで司教側に『情報が筒抜けになっている』のか。自分が穹の魔女に魅入られ卵を貰った事を、どこで知ったのか。

 だが、今そんなこと考えても仕方がない――。

 たった今、王女による身の安全の保証がなければ、シャルロット、カルの安全が脅かされる。せっかくオーロラはシャルロットたちを助けようとしているのに、この場で、そんな切り札を切るとは……。


「オーロラ! 私達は!」


 嫌な気配を察したシャルロットは焦って振り返り、彼女の名を呼ぶ。

 でも振り返る間、考えうる結末は軒並み悪いものであった。自分を覚えていないこと、自分たちがただの冒険者であること、『穹の魔女』との関係をバラされたこと。全てが致命的なほどオーロラ王女の信頼を裏切る結果になりかねない。

 これは無理だ。そう思った。

 振り返り切ると、そこでオーロラは迷いのない顔をしていた。深いまつ毛とぴんと立て、シャルロットとじっと見つめている。

 そんな彼女の寂しげな瞳の奥で、熱い情動がぬっと蠢いた。


「……一緒に絵本、読みませんか」


「――――」

「え。なんだって?」


 飛び出た素っ頓狂な言葉に、ザバクが困惑するも、

 シャルロットはその言葉で、全てを理解した。


「魔術」

「ヘ?」


 ローブ越しに杖を構え、ザバクに向かい、


「超反発」

「――――ッ!」


 大きな音と共に壁が揺れる。ザバクは吹き飛ばされ、廊下の壁に背中を強打した。


「……ッ、この野郎ッ!」


 両手で体を支えながら、廊下に響き渡る声量でザバクは叫んだ。ザバクが顔を上げると、そこにはオーロラ王女と手を取るシャルロットが居た。


「……シャあルロッットオ!」


 ザバクの声は一そう歪んだものになった。シャルロットは王女を守るように右手を突き出した。速攻で魔術で攻撃を行ったのは訳がある。それは、――人の命を何とも思っていない連中であると、シャルロットはあの藍色の影がかかった路地の出来事で知っていたからだ。

 思い通りにならないとなれば何をしでかすか分からない。そんな恐怖があった。だから、多少強引だったが、魔術を行使し先制攻撃を行ったのだ。


「逃げましょう」


 王女の手を引いた。オーロラは目の前で起こった事に理解が追いついていないようだった。


「王女様……!」


 するとあの茶髪の使用人も同じようにオーロラに声をかけ、やっと彼女は我に返ったように頷いて、共に走り出した。


 *


 廊下をしばらく女性三人で走っていると、「いたっ」と声が漏れる。舞踏会用に来ていたドレスを踏んでしまい、オーロラが横転してしまう。


「王女様! 大丈夫ですか⁉」


 茶髪の使用人が地面に臥せるオーロラに飛びついた。


「っ、シルバー……? すみません。足を取られてしまい」

「いいのです。とにかく、私の肩を使ってください。騎士団まで進みシャルロットさんを届けられれば守る事はできます」

「……っ」


 オーロラはシルバーと呼ばれていた茶髪の使用人の肩を借り、ゆっくり歩きだした。その時やっと、彼女とシャルロットの目が合った。

 走りながらシャルロットは冗談めかしく呟く。


「ちょっと、運動不足なんじゃないの?」

「公務に運動はないもの、いいでしょ?」

「か弱い王女様って、あの時一緒に読んだ絵本みたいね」

「絵本に憧れちゃ悪いかしら……!」


 彼女は必死に歩きながら、ふふと笑う。その様子にあの頃の面影を見て、シャルロットは感慨深くなった。


「よく私って分かったわね、オーロラ」

「最初は気づいていなかったわ。クローゼットで顔をみて、驚きましたの」

「まあそうよね。名前、違うし」


 「ほんとよ」とオーロラは息をついた。すると合間を見計らい、シルバーさんが口を開く。


「会場に待機させている騎士が居ます。私が状況を伝えれば、すぐにでもお連れの方も保護できるかと」


 シルバーさんは説明してくれる。……どうやら本当に、王城は司教たちの行動に目をつむっていたわけではなかったらしい。


「何から何まで、迷惑をかけるわね……」


 胸の上に右手を持って行き、ぎゅっと拳に力を籠める。


「気にしないでくださいよ」


 と云ったのはオーロラであった。


「あなたが生きていた。それだけで私は、あの頃の私は救われます」

「――――」

「生きていてくれて、ありがとう」


 そんな台詞を言うオーロラの瞳には、滲むように涙が浮かんでいる。

 そしてあの頃の幼さを残したまま、彼女は静かに、微笑んだのだ。


「……うん」


 ぐっとその言葉を噛みしめる。彼女、オーロラとの再会を果たしたこと、そして何より、『自分が生きていた』ことを伝えることが叶った。それだけでシャルロットは、過去に捨てたはずの後悔の一片を、やっと捨てることができた。

 「心配かけてごめんね」と、逃げている最中のせいで小さく呟くことしかできなかったが、しっかり受け取ったのかオーロラは、「うん」と頷いた。


「……は?」


 ――刹那、鳥肌が立ち思わず急停止すると、一帯の風景が変化した。


「なに、これ……」


 これまで走っていた王城の廊下、照明がなく、窓から漏れる月光だけが揺れる場所が――変化した。月光の淡い温もりは消え、廊下全体の色味がすっと引いて消えていったのだ。空間がまるで『静止』したかのような異変に、シャルロットは戦慄した。

 焦って振り返る。と、そこには、


「え?」

「し、しるばー?」


 使用人シルバーも同様、色素が抜けた銅像のようにその場で固まり、名を呼んでも応答しなかった。「何ですか、これは……」と言いながらオーロラが触れる。するとシルバーの体は本当に『銅像』の様に固く、ひんやりとした質感であった。


「やっと見つけたよ」


 声がし、二人は前方へ視線を投げる。

 そこにはザバクが、モノクロの世界に立っていた。


「まさか、あんたが何かしたの?」


 思わずシャルロットが問う。


「ちがうよ、これはラクテハードの技さ。ああ、そっか。シャルロットさんにはぼくの肩書を伝えていないんだった」


 とやさぐれていうと、ザバクはふとオーロラをみて舌打ちをした。パーマに右手を突っ込み、髪の毛を激しく揺らし苛立ちを募らせながら、


「ラクテハード……、君はとことん、肝心な時にミスをする」


 ドッ。という重低音がした。廊下が一瞬揺れる。


「シャルロットさん」

「なに」

「投降はしてくれませんよね。ぼく、嫌いなんですよ。自分のわざ(聖装)を使うの」

「生憎、そうとはいかないかしら」

「だよね」


 ひらひらと両手を振り、ザバクは隈の目立つ目元でじっとこちらを観察する。その動きに並々ならぬ悪寒が駆け巡り、シャルロットは杖を構えた。


「そうだ、」


 ザバクは唐突に口を大きくして云う。


「こたえあわせしてあげますよ。ぼくらが何故、あの路地裏でザザ・バティライトに戦闘を任せたのか。それはね」


 ドッ。という重低音がした。廊下が強く揺れ、どこからともなくガラスが割れた音が響き、真っ赤な閃光が煙を出した。


「ぼくのわざ聖装は、街で使うにはあまりに危険すぎる」


 熱風が、廊下を通り抜ける。ドッという重低音が建物を揺らし、その正体がありありと見えてくる。ザバクの背後で燃え盛る焔が、その音を出すたびに波紋を広げていた。そして、逆光の中心に立つザバクは、右手でつまむように――聖書をぶらさげ、


「第八の司教『爆裂』のザバク・ジード・アルレイヒ」


 ボンッと、何かが爆ぜるが旋律が轟いた。爆風が廊下を貫き、熱風が肌を刺す。燃え盛る炎の中に立つザバクの姿は、まるで地獄の使者のようだった。






「ぼくらは代弁者である」






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