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25「云ってない」

 シャルロットが会場から消えて数分後、壇上に登った数人の貴族をみてカルは絶句した。

 カルはすぐシスターの名を呼びながら服を掴む。


「シ、シスターさん」

「カルさん? どうされましたか?」

「あれ、司教です」


 その言葉でシスター、クリスはすぐに視線を巡らせる。壇上に上がる人物の中で、唯一色素が抜けた白衣を着て、豊満な体を見せつける『狼の仮面』を着けた女性が、会場を細目で一望した。

 壇上の司会は次々に壇上の人々を紹介していく。ついに、彼女の出番がやってきた。


「聖都ラディクラムの使節、ラクテハード・シンマンさんです」


 という男性の言葉が会場内に響くと、肌で感じるほど雰囲気が悪くなった。聖都の噂によるものだろう。場にいる仮面舞踏会の参加者はざわざわと小言を漏らし、訝しそうな視線を向けた。

 しかし当のラクテハードは決して顔色を変えず、『狼の仮面』を外しながら壇上の中心へ歩くと、もう一度会場を舐めるように見回し、そしてマイクに向かって喋り出す。


「ご紹介預かりました。私は今宵、聖都ラディクラムを代表してこの場に立つこととなった、第七の司教『失格』の、ラクテハード・シンマンと申します。以後お見知りおきを――ところで、このシンマンという名は嘘でございます」


 脈絡のない嘘の告白に、話を傍聴している全ての人間が疑問を覚える。司会者も台本にないのか、分かりやすく「?」を浮かべた顔をしている。


「私の本名は『ラクテハード・ボルデカ・リヒトライヒ』と言いまして、この本名は『勝負の時』と感じたときに名乗るようにしている、一種のおまじないのようなものです。この文字列自体に意味があるのか、というとありません。しかし、このボルデカという性には聖都ラディクラムで忌避される過去があり、貴族の面汚し、大戦時の裏切り者と虐げられてきました。幸い私は途中で嫁いだことで名が変わり、女なのも功を奏し、偏見からは時間と共に脱することが出来ました。――ただ後の私にとって、このボルデカ・リヒトライヒは、憎しみを呼び起こす合言葉として姿を変え、遺恨を残しました」

「……あの方は、何の話をしているのでしょう?」


 思わずシスターですら零してしまう。ラクテハードが長々と語るこの話に、どういった意味があるのか。そして何をしようとしているのか――。


「この名は、誓いなんです」


 ラクテハードは腕を大きく動かし、豊満な胸を揺らしながら薄赤い瞳を細める。


「これはのけ者にされてきた者の覚悟」


 ラクテハードは――胸ポケットに刺していた白い薔薇を取り出す。


「これは裏切りの血。穢れた血といわれのない言葉をかけられた、純然たる鮮血」


 ラクテハードは――白い薔薇のトゲを右手でぐっと握り、拳から真っ赤な鮮血が滴り落ちる。



「聖書第五章『失格』」



 呟いた刹那、彼女の右手に握られていたのは――血濡れた聖書である。


「……ダメだ」


 思わずカルは呟いた。だが、時はもう遅かった。



「知恵、そは己を滅ぼす『爆裂』となり、混沌を地に降らせたり。されば、人の子らは己が欲するものを求め、貪欲にその手を伸ばせり。か弱き者らを容赦なく奪い尽くし、無垢より生まれし罪なき子の手をも取り上げ、口を極めて辱め、果てはその清らかなる命をも血飛沫が尽きるまで食らいけり。されどその姿は、まさしく人の醜悪なり。その行いこそ、人の知恵の堕落の証たり。かくて教祖は言えり――「彼らは、人の道を失いし者、『失格』せし者なり」と」



 ――鐘が鳴り響く。

 ラクテハードの身体から魔力が放出され、仮面舞踏会の会場は騒然とする。ぱきぱきと何かが割れるような乾いた音が響き、とたんに魔力が彼女に向かって踵を返す。音は徐々にに小さくなり、世界から色の概念が無くなり、カルは周りを見回す――。

 モノクロの世界にたった一人動けるカルは、シスターとクリスが銅像のように動かなくなっていることに気が付いた。


「……ッ!」

「やっぱり来ていたのね、赫病の坊や」


 声がし、振り返る。

 そこには――白い閃光のような質感のドレスを纏い、妖艶な微笑を浮かべるラクテハードが立っていた。


 *


「何をした」


 カルはシスターやクリスの状態を手触りで確認してから呟く。

 同時に周囲を見回すと、壁、地面、天井、そして人々までがモノクロになり、色素が抜け落ちていた。それら全ての色素が抜けたものたちは、どうやら動けない――というより『静止』しているようだった。


「うふふ」


 ラクテハードはほくそ笑みながら壇上を降り、周囲を睥睨する


「漏れはないわね。少なくともこの場には。で、なんだっけ」

「何をしたと聞いているんだ! シスターさん、クリス、その他の人たちに、なァにをした!」


 カルは顔を歪め声を荒げる。するとラクテハードはそれに「ぷっ」と堪えきれない笑いを漏らした。彼女はそうしながら近づいてくる。


「……そんな大声で喋らなくても聞こえているわよ。だ・い・じ・ょ・う・ぶ。ここにいる人たちを殺したりしてないわぁ」

「なら……何で動かない?」


 カルはこちらに歩み寄る彼女に向かって、右手を突き出して威嚇する。そんな少年の様子をみて、その行動には目もくれずラクテハードは続けた。


「ふふ、それはね――『空間凍結』って知っているかしら?」

「空間、凍結?」


 こつん。ラクテハードのヒールの音が響いて止まる。静寂に包まれた静止の世界で、ラクテハードは悪戯な表情を披露してから右手を胸にあてた。


「別に自分の手の内をぺらぺら喋るのは優雅じゃないけど、まぁ子供相手にフェアじゃあないわね。だから教えてあげる。――私の聖装『絶対結界操術ディスクヴァリフィツィーアング』は条件付きの結界を作れるでねぇ。様々な条件付けをした結界を乱立させることができるの。私が今回この結界に付与した条件は、『空間内の『意識的に選別した物体』及び『人間』から時間を奪う』こと。と『私が意図した人物の時間は奪わない』という二つを条件として行使した結界」


「結界魔術……」


 カルは話を聞きながら、シャルロットが使用していた結界を思い浮かべる。

 結界、層。それがシャルロットの使用していた結界魔術だと覚えている。だが、『結界に条件を付与する』というのは聞いた事がない。


 (これがシャルロットの言っていた聖装。聖都ラディクラムの技術なのか……)


 聖都ラディクラムの技術の結晶。魔術の境地に臨む狂気の産物。聖装は、オーバースペックな代物だ。


「侵食値、四十」

「……へえ。そういうことも出来るんだ」

赫拳レッド・ナックル!」


 カルは駆けだした。肥大化した右腕を大きく後ろへ振りかぶり、


「はあああああああ!!」


 叫びながら全身全霊で拳を前方へ突き出す。


「……ッ」


 まるで壁を殴ったような感覚が奔る。


 『空間を真っ二つに切ったようなモノクロに輝く壁が、ラクテハードの前方には展開されていた』。その壁の裏でラクテハードはカルを見下すように見つめる。カルはその顔をみて恐怖を抱きながらも、赫拳レッド・ナックルを自身の手から引きはがして一歩引いた。

 引いたカルは勢いのまま地面を右手で撫でる。すると触れた個所から芽が伸びるように赫物体が伸び、それは形を成す。

 巨大な赫物体の壁が隔たり、ラクテハードはじっと隠れた少年を探した。


「――赫剣レッド・ソード


 囁くように呟いて、天井付近からカルはラクテハードへ飛びかかった。飛び掛かると同時に赫物体の壁を壊し、その雨もカルに続いて降り注いだ。


「自分がメインと見せかけ、本命はこの壁の残骸ね」


 ラクテハードはカルの戦術を軽々と見抜いた。

 カルとしても大方その通りである物の、赫物体をばら撒く事には別の意味があった。それは魔同共鳴レゾナンスの布石である。場に残した赫物体を遠隔で変形させるこの魔同共鳴レゾナンスは、上手に使えば相手の不意を衝くことができる。これはカルにとっての隠し技でありながら、自分よりも格上の相手にも通ずる技だ。

 相手が壁の破片を本命と見抜くのはむしろ好都合。一通りの攻撃が終えたあと、不意を衝くために……。


「――え」

「私、いつ結界ラオムを貼り直せないって」

「……」

「云った?」


 視界の点滅がほんの数秒起こると、カルは再びモノクロの世界にいた。

 しかし周囲を見回すと、その景色はほんの少し変化している……それは、赫物体がモノクロになっている光景だった。


「ッ」


 カルは剣を掲げ渾身の力で振り下ろす。しかし真っ白に輝く壁が音もなくそれを受け止め、火花すら立たない。また数歩後ずさる。地面に降り立ってよく見ると――


「う、嘘だ……」

「その様子だと、意図的に手口をひけらかしたと本気で信じちゃったんだ。やっぱり、坊やね」


 カルは眼前の理不尽に、鋭い眼光を向ける。理不尽は得意げに言いながら、こつこつとヒールでまた歩み寄ってくる――。


結界ラオムは貼り直すことができる。貼り直しにかかる時間は――1秒」


 パチ。また視界が点滅した。

 その一瞬、本来の仮面舞踏会の景色が戻っていた。


「…………」


 どうやら本当に、結界を一秒で掛け直せるらしい。


 (……勝つ方法が分からない。

 そうか。結界の内にいる時点で、僕は積んでいるんだ。ラクテハードの術式は相手に理不尽な舞台を作ることができる)


 ぞっと血の気が引いていく。カルは次の一手を、まともに考えられないほど、取り乱してしまった。


「脅かし過ぎたかしら? まだ本番はこれからだと言うのに」

「ッ、ぅ」


 外の冷気が体に降りかかったみたいだった。寒気が走って、心が沈んでいく感覚がする。どうすればいいのか。どうやればいいのか分からない。――とにかく、震えているということだけが分かる。


「ごめんねぇ」


 気が付くと、ラクテハードが目の前に立っていた。


「わっ」


 彼女はカルの首元をぐっと持ち上げる。カルは震える手で彼女の腕を両手で掴んで藻掻くが、その手は鉄の様に固く抜け出す事はできなかった。

 彼女の顔がまじまじと伺える。薄赤い瞳には微かに光が宿り、こちらを喰らおうと舌なめずりをしているように感じる。カルはついに『敗北』の二文字が頭をよぎるものの、すぐそれを打ち消して目の前に集中した。


「さて、もう一個、あなたに云ってないことがあるの」


 彼女の薄赤い瞳が、そのときに限って獰猛な捕食者のソレに見えた。


結界ラオムは、一度に一個しか張れないとは」










「云ってない」









 ――全身に重圧と吐き気が交互に押し寄せる。


 カルは思わず唾液を吐き出し、力が抜けて両腕をだらんとさげる――だが倒れるまではいかなかった。カルは自分が倒れたと思った。でも実際は、――


「――『下半身が動かない』」

「ッ!」

「『吐き気がして目が回る』『全身が重くなる』『焦点が合わせられない』『息がまともに出来ない』――計、五個の結界が張られたけど、感触はどうかしら」

「らぁ、くて……」

「そう、喋れるのね。『口を開けない』」

「ぁっ」

「うふふ、あはは! 最初の二つの条件を覚えてるかしら? 『空間内の『意識的に選別した物体』及び『人間』から時間を奪う』と『私が意図した人物の時間は奪わない』ってやつ。これが一個の結界で張られていると信じ込んじゃったなら、あなたは戦闘で喋らない方がいいわ!」

「ッ……」


 不快な高笑いが鼓膜を殴る。カルは意識が朦朧とし、今にでも気絶してしまいそうな苦しみに耐えていた。目の焦点が合わず今にも内臓が口から零れるくらいの吐き気。


「ねえちょっと、もしかして私のこと憎んでたりしないわよね? やめてよ? これ手心だから。私ね、ぱって首を取って殺しちゃうのは残酷だと思ってるの。だって面白くないじゃない? その人がちっぽけな人生で育んだ経験と技術、それをぱって奪うのは、味気ないじゃない⁉ だぁから!」


 ラクテハードは片目の焦点が合わないカルの首を掴み上げ、カルの顔面に唾を飛ばす。


「私はあんたを殺さず負かす! これが私の信念! 私は“過干渉”しない!」

「…………」


 負けた。

 惨敗だ。

 カルは薄れゆく意識の中で、そう感じた。ラクテハードは強かった。驚くほど強く、狡猾で、そして何より姑息だ。少年相手にここまで不愉快な大笑いができるラクテハードという人間は、過去、自身も虐げられた人生を送って来たと壇上で語っていた。

 あれはきっと、こうなった時にカルの神経を逆なでするための方便だ。

 司教は、悪魔だ。


「…………あ?」

「ワタクシはしますよ」


 ――その声は、静寂を切り裂いた。振り向いたラクテハードの視界を埋め尽くしたのは、紫紺の瞳と鋭い拳の軌道だった。


「過干渉」


 言葉になっていない悲鳴を叫びながら、ラクテハードは美貌を歪めて吹き飛び、その豪華なドレスは埃にまみれた。顔を歪めながら彼女は荒い息を吐いて立ち上がろうとするも、衝撃で上手く立てないように見受けられる。

 カルは何が何だか分からず、ゆっくりと前方へと視線を移す……。


「――――」


 そこに立っていたのは、シスターだった。


「何故」


 ラクテハードの声だ。彼女の声は先ほどより荒んでいた。


「何故、結界が効かない?」

「……何故? ご自分で云っていたじゃないですか」

「はァ?」

「『意識的に選別した物体』及び『人間』から時間を奪う』。それって、要するに」


 シスターは自身の右手を口の前に持っていき、不敵な笑みにギザギザな歯を輝かせて、


「『吸血鬼ヴァンパイア』には効かないってことですよね」


 彼女の紫紺の瞳の中で、燃え盛る激情がラクテハードに降り注ぐ。ラクテハードは壇上にもたれながらきょとんとして、じっとシスターを見つめ考察する。


「――――」


 (あの女の片足、まだ結界がやや残っている。私が最初の結界を貼った時、赫病者以外の漏れがないことは目視して確認した。……ここから考えるに、あの女は最初から動けたというより、やっとの思いで結界という殻を破ったのだろう。じゃあ、何故破れたのか……

 まて、吸血鬼ヴァンパイアっていった――?)


 そう、――『亜人』であるシスターは『人間』ではない。

 鮮血と吸血の視線が交わる。



「月光は御好きかしら」



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