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30「血稚」

 シャルロットとザザが落下したのを見て、血だらけのカルが駆け出した。

 破壊されたバルコニー部分から下部を覗くも、中庭は既に炎に包まれていることだけしか分からなかった。

 この高さから落ちて死ぬほどの二人ではないと思ってはいるけど、だからといってそこまで過信することはできなかった。


「……シャルロット」


 カル弱々しく呟いた。

 ザザの裏切りが上手くいったからといって、相手は司教だ。

 シャルロットは前回一人で挑み負けかけている。

 それももし司教の『第○○』という肩書が、だと考えるならば。


「シャルロットが苦戦したのは『第十の司教』、あのザバクは『第八』……大丈夫なのかな?」

「予断を許さない状況です」


 声がして振り返ると、そこにはシスターの血で汚れた白銀のドレスを着たオーロラ王女が、同じように下部を覗き込んでいた。

 少し彼女の背後を伺うと、シスターが緑色のオーラに包まれながら息をしており、それに近づこうとクリスが泣きじゃくっている様子が見えた。


「シスターは、大丈夫でしたか?」


 尋ねると、オーロラは答えた。


「治癒魔術師によると、彼女は人ならざるものだと報告を受けました。亜人の生体について、まだ学術会は研究途中であるとしていますが、少なくとも人より頑丈なはずです」


 言いながら、オーロラは右手を自身の胸に当て祈るように瞳を閉じた。


「何より、私があの方を死なせたくありません。カルさん、よく聞いてください。これから騎士たちが下部へ向かい、暴れる司教を捕えます。もしまだお力があるのなら、我々にもう少しだけお力を――」

「させると思う?」


 バリ。と乾いた音がした。

 カルが音の方へ視線を投じた。

 その箇所がモノクロとなり。

 刹那、それは仮面舞踏会の会場を覆い尽くす勢いで広がった。


「…………嘘だ」


 またもやカルは動くことができた。

 カルは銅像のように固まったオーロラを見て、戦慄する。


「よくも、裏切ってくれたわね」


 オーロラの背後からずるずると足を引きずり、はだけた服装を引きずりながら。

 ――ラクテハードは薄赤い瞳を開眼させていた。


「まだ動けるの……?」


 カルは思わず零すと、ラクテハードはニタっと歪んだ笑みを浮かべて近づいてきた。

 カルには彼女に反抗する力はもう残されていない。

 赫物体の制御もままならないし、魔力すら枯渇している。


「遊びはこれまでよ、赫病者」


 カルは後ずさりするも、手に当たった外壁の小さな瓦礫がぽろっと宙に投げ出された。

 背後は落とされたバルコニーなので、これ以上後退すると落下してしまった。

 カルは、高所からの落下に対応できる魔術をまだ学んでいなかった。


「こないで」

「嫌と言ったら? あんたを回収して逃げれば、私達はまだ勝てる」


 ラクテハードは舌なめずりをして迫ってきた。

 カルは後ろに何もなく、前方にはオーロラの銅像があるため自由に動く事はできなかった。

 全身が金縛りにあったように動かなくなり、奥歯がガタガタと震える。


「聖都の、秩序と平和。安寧の為に」


 妄言のように囁いて、ラクテハードは大きく息を落とした。

 バリッ、と乾いた音が聞こえるまで。


「……はあ?」


 ラクテハードはその音に振り返った。

 視線を巡らせ、どこからその『嫌な音』が出てくるのか、必死に巡らせた。

 その音は、結界が禿げる音。

 結界が禿げる人からしか出ない音だったからだ。


「あぁ」


 発見した人物に、彼女は冷ややかな視線を向けた。

 シスターの右目のみ、結界が剥がれていたのだ。

 紫紺の瞳が、ラクテハードをじっと見つめた。


 だが、今回は結界を掛け直さなかった。


 それは単にラクテハードの思考が追いついていないのか、はたまた消耗により結界の再展開が難しいのかは、分からなかった。

 カルはその隙に動き出し、部屋の隅を渡ってシスターの方へ到着した。


「シスター?」


 カルが体を触るも、彼女の体はまだ結界によって時を奪われていた。

 だが剥がれた部分からこちらを見る紫紺の瞳は、カルの方へぎゅるりと向いた。


「あんたのせいよ」

「!」


 背筋がぞっと震える。ラクテハードの声が響いたからだ。


「あぁんたに関わらなければ、私達は失敗しなかった。歴史から排除された亜人の分際で! 人を欺く淫魔の分際で! 平和の使者の妨害をするのはおやめなさい!!」


 バリバリと、口元の結界が崩れ落ちた。

 そしてシスターの冷静な声が響いた。


「平和の、使者……? それは、ワタクシの聞き間違いかしら?」


 シスターは声を裏返してあざけった。


「…………」

「身内以外の一切に不幸を押し付け、技術を提供しつつ利用するために国に近づく。平和とは? 秩序とは? 自分以外は、どうでもいいっていうのですか⁉」


 シスターの口から発せられたにしては、やけに感情的な一声だった。


「我々の崇高な計略を、愚弄するな!」


 ラクテハードはそうヒステリックに叫んだ。

 地団太を踏んで魔力を操ろうと手をかざした。

 だが激昂しているからか、魔力が手のひらに集まっていないことが見て取れた。


「だったら! よその人の住処も、愚弄しないでいただきたい!」


 シスターの裂帛が室内の空気を揺す振った。


「ッ!」

「張りぼての平和を求めて害悪を振りまく虚栄の都、ラディクラム! ワタクシたちオリアナの民は、それに反抗します」


 その強い言葉に、ラクテハードは肩を揺らして鼻で笑った。


「……個人の戯言が、視野が狭い」


 その嘲る台詞にシスターはにわかに目を見開いた。


「お前が、言いますか!」


 その叫びは、会場の全体に突き刺さるくらいの大きさだった。

 バリ、バリっと結界が剥がれ落ちていった。

 ついにシスターは上半身を上げ、ラクテハードの表情を正面からはっきりとみた。


「ザザ・バティライトに裏切られた、お前たち司教がそれを口にしますか!」

「――――」

「ザザ・バティライトは、気が変わったからお前らを裏切ったのではありません! ザザ・バティライトはお金雇われる傭兵として仕事を全うしました! そのお金をどうやって集めたと考えていますか⁉」


 ラクテハードは右目をぴくぴくと動かし苛立ちを露にし、カルはシスターの怒りに口を開いて驚いていた。

 そしてもう一人、その話を聞いていた人物がいる。

 全身が氷の様に固まり振り返ることは出来ないものの、シスターの糾弾は嫌というほど耳に入ってきた。

 まだ右手と胸と耳しか結界が解けていないが……。

 その人物は今、自分が語らなければならないと強く感情を揺さぶられていた。


「彼はお金で寝返った! そのお金は、お前ら聖都に対する反感で集められた! これの意味が分かりますか!」

「――――」

「ザザ・バティライトを買ったのは、!」


 彼女の声には、亜人として長年虐げられてきた過去の憤怒と、オリアナの孤児たちを守るという信念が込められていた。

(二人の言い合いがよく見えない。

 でも、この会話に入らなければならない。

 これは王女としての責務。

 私がここで声を上げなければ、民を守る資格などない――!)

 瞬間、結界がバリバリと割れる音が響いた。

 全員の視線がその音の元へ集中すると――『亜人の血』を浴びていたオーロラ王女が振り返り、そしてラクテハードを真っすぐと見据えた。


「……なんで、あなたも」


 ラクテハードは殆ど涙目を浮かべていた。

 しかし、いくら泣こうが、彼女らは既に取り返しがつかないほど。

 救いようのないほど。


「――金輪際、南の王国オリアナはあなたたちに一切、協力致しません! 聖都ラディクラム、いや、あなた達を『逮捕』し『裁判』にかけ、私の民を愚弄した罪を償ってもらいます」


 この国を脅かしてしまった。


 仮面舞踏会に、王女の一声が轟いた。

 そのオーロラの言葉は、はっきりとした敵意を内包した拒絶の言葉であった。

 ラクテハードは思わず両手を脱力し、結界は無気力に解除された。

 即座に会場に喧噪が広がり、その中でラクテハードは勢いよく崩れ落ちた。


「オーロラ様⁉ 今の……お言葉は」


 シスターの治癒に取り掛かったまま固まっていた治癒魔術師がそう呟いた。

 その反応から『シスターの血液』を浴びた人物のみ、結界内で意識を保っていられたのかもしれない。

 それをふんわりと察しながらも、オーロラはすぐ右手を振った。


「治癒魔術師! とにかくそのお方を」

「――しねよ」

「…………は?」


 崩れ落ちて俯くラクテハードは、ぽつりとそう呟いた。


「みんな、しんじまえ」


 ――刹那、計り知れない重圧と死の気配が蔓延し、仮面舞踏会は一瞬にして狂乱に陥った。

 カルも同じように胃袋に穴が開いたような痛みと吐き気がし、思わず地面に手をついた。

 ラクテハードによる、結界の条件付け。

 会場にいる全ての人間にかかる重圧な吐き気――。

 その渦中で立ち上がり、笑みをこぼしたラクテハードはぽろっと呟いた。


「もうどうでもいい」


 失意の囁きにしては、やけに同情できない言葉だった。

 だが、ラクテハードの中に渦巻く大義がことごとく粉砕され馬鹿にされたことで、彼女の中に存在した希望は、意味をなさなくなった。

 ――すべてが崩れ去った。

 自分の信じてきた大義も、理想も。

 ラクテハードの中で何かが壊れ、絶望が笑みに変わる。


「――――」


 理不尽の体現である彼女は、

 戦いという栄誉ある行為にとっての『失格』だった。


 黒い粒が地面から次々と浮かび上がり、まるで宙に浮く毒の霧のように渦を巻き、視界が波打つ中でラクテハードの薄赤い瞳が怪しく輝いた。

 それを深手の苦しみの中で見ていたシスターは、

 自身の目の前にカルが手をついて悶えているのを発見した。

 シスターは迷ったものの、すぐ決意を固めた――。


「へ?」


 シスターはカルの首元に噛みつき、吸血した。


「ぁ」

「なにしてんの?」


 二人の奇行に唾を吐きながら言い放つラクテハード。


「カル、さん……」


 シスターは首から口を離し、驚いたままのカルを見て名を呼んだ。


「あなたの体内に、『亜人の血』を、流し込みました……、唱えて」



「血稚と」



「…………血稚」

「――――」


 カルの未知エネルギーで作られた赫いコウモリ達が羽ばたいた。

 それはクリスの時と同じようにラクテハードへ飛びついた。


「……あっそ。もういい、疲れた」


 最後にラクテハードはそう呟いて乾いた笑いを漏らした。

 じきにコウモリの群衆に呑まれ、『失格者』は力なく膝をついて脱力した。


 もうそこに居たのは上品な司教ではない。

 ただ一人の、極めて人間臭い女性だった。




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