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31「牙凛衣」

 灰色の小さな地這うものが首をもたげた。

 中庭に平和に暮らしていた地這うものはゆらゆらと揺れる残像を目に反射させる。

 その眼には紫炎が激しく踊る。


 オリアナ王城、庭。


 二人の魔女の卵が、地獄の業火に睨み据えた。

 城壁と水路に反射する火と、踊る黒い塵。

 木がめきめきと左右に体を揺らし、薔薇が熱に晒される。

 その薔薇を踏んだ。


「――――」


 ザバク・ジード・アルレイヒは炎の息を吐きながら、二人を睥睨した。

 ザバクと二人の間には噴水があり、それを挟んでザバクはじっと見つめた。

 その瞳は既に人間の物ではないように感じる。

 ――魔物――害獣――亜人――ちがう。

 あの眼の奥深くでこちらを睨むのは――憎悪だ。


「ザザ……」

「シャルロット、何故、奴があの高熱の中で生存できると思う?」

「えっ? それは……」


 シャルロットは右側に立つ男に尋ねた。

 男は二つの足で直立し、鎌を右手で握っていた。


「あれも聖装の効果だ。聖装は身体に魔力回路を組み込む。状態変化を促し、体組織を編成する。決して纏っているだけの衣服ではない。あれは魔術学の禁忌そのものだ」

「身体改造……そこまでして、聖都ラディクラムは何を目指しているの」

「さあな、魔女にでもなりたいんじゃないか」


 ザザがそう云うと同時に、ザバクの背後の炎が音を出して弾けた。


「――とおぶえ、自壊、ぶんちん説い」


 と支離滅裂な言葉を吐き、ザバクはニタっと笑った。


「言語機能もおざなりになり始めたな」

「そんな……それはもう、人間性の欠落じゃない! そんなレベルで魔力回路と溶け込めるものなの……?」

「普通ではないな。あの聖装との適合は常軌を逸している。人間を辞める一歩手前だ、それとも、もう人間になる気がないのか」


 ゆらゆらと激しく踊る猛炎。その中心で微笑む、ザバク。


「シャルロット」

「……」

「来るぞ」


 火柱が天高く打ち上げられ、うねる炎の波が手入れされた庭を駆け巡った。

 獰猛な狼のような速さで烈火は過ぎ去り、そしてそれらは二人の前方へ迫った。


「黒魔術」

「黒魔術」


 二人は唱えた。


「藍臨月」

「水の業火」


 ザザの前方に突如生まれた真っ青な斬撃が、烈火を目掛けて空間を切り裂いた。

 だが藍臨月は迎え撃たれるようにせり上がった炎に呑み込まれる。

 シャルロットが発した真水の洪水は庭園を埋め尽くし、ザバクに向かって直進するも。

 ザバクの紫焔が蛇の首の様にのたうち回り、その水害を真正面から霧と化した。


「火力がありすぎて、属性攻撃じゃダメみたいね」

「ああ。ならやる事は、攻撃主体の魔術になる。使えるよな?」

「私を、誰だと思ってるの」


 シャルロットは杖を振った。

 タクト指揮棒の様に軽快に振ると次第に杖の先端が淡く光り出した。


「――手向け水、塩湖、むじーく、破滅ッ!」


 対し、ザバクの狂言に共鳴した烈火の荒波は、また二人目掛け踵を返した。

 シャルロットはザザの前に立ち、熱風でローブを靡かせながら杖を前方へ突き出す。


「私は無名の魔女よ!」


 巨大な魔法陣が幾重にも重なり、青い閃光と紫の光が綺麗なグラデーションを描いた。


「創作魔術、海域破廻線リヴァイアサン


 キラキラと魔力が可視化され、小さな星の発光体がシャルロットの顔の周りで煌めいた。

 青と紫の光は彼女の全身を照らし、シャルロットの詠唱と共にそれは破断した。

 大水の柱が横たわり、虹色の魔力が星になり、円柱の光線が放たれた。


「――――!」


 ザバクの前方で紫の焔が水のようなうねりを見せ、それはシャルロットの魔術を防ぐように層を重ねる。

 しかしそれら魔術が衝突すると地面が揺れ、大きな悲鳴のような音が響き渡った。


「くッ。水と攻撃魔術を組み合わせても、足りないの⁉」


 シャルロットは青と紫の光の中で、杖を両手で握って叫んだ。

 途端、杖を右へ払うと、大水と焔の軌道が逸れた。

 シャルロットは再度、ザバクを睨んだ。

 彼はもう人と呼べないような風貌をしていた。

 頭の後ろにある光輪は回転し、生やしたツノは形を常に変えていた。

 白い服が全て燃えて塵となり、鍛えられた上半身にきめ細かな魔法陣が回転している。

 そして常に顎が外れたように口を開き、舌を空中に投げている。

 彼の瞳は憎悪に染まっていた。

 爆裂するような憎しみが、彼の瞳に揺れていた。


「なるほどな」


 ザザはその様子をみて、納得したように呟いた。

 そして彼は急いた呼吸のシャルロットの肩に手を置き、名を呼んだ。


「シャルロット」

「何よ……?」

「お前は生身で炎に飛び込めるか?」

「え?」


 ザザはシャルロットの顔からザバクへ視線を向けた。

 その表情は、いつもより少し強張っているようだった。彼は口を開いた。


「俺は出来る」


 ザバクは鎌を両手で握り、中腰になって構えた。

 シャルロットは彼の行動に、一歩下がる。

 ザザは、対象をじっと見据えた。

 爆裂の炎は翼の様に伸びて広がる。

 彼の周囲は既に業火であり、近づく事すらできない。


「豚の牙」

「…………」


 ザザはぽつりと呟いた。


「不躾な凛、いざなう衣」


 それは詠唱だった。

 とたん、ザザの鎌が真っ赤に光り出した。


「⁉」


 鎌は即座に魔力を大気から略奪し、形を奪った。

 杖には禍々しい赤が伝い、ベースとした。

 紫の魔力が生体のように張り付き、脈打つように音を鳴らす。


 豚の牙、不躾な凛、いざなう衣。


 詠唱を終えて、ザザは鎌を前にかざした。

 そして自若とした顔のまま云った。


「――牙凛衣魔術礼装


 ザザの右肩を覆う『黒い肩当て』に、巨大な鎌の刃が光った。

 その刃は三メートル以上に伸び、赤と紫の生物組織のような風貌の鎌は、ザザの『魔術礼装』であった。

 シャルロットはその姿を見て絶句した。

 彼の鎌から感じる死の気配は、シャルロットに忽然した不安感を植え付けたのだ。

 だが同時に、シャルロットは確信した。

 ザザ・バティライトは、生身で炎に飛び籠める人間だと。


「リか、スピなー、た、棚。醜イ!」


 怪人となったザバクは譫言を投げ捨て、そして右手をザザにかざした。

 ザザは腰を下ろして構えの姿勢をとった。


「骸に還そう、大鎌ソリテール


 その台詞と共にザザは消えた。


「っ⁉」


 即座に、庭園を覆っていた烈火に巨大な大穴が開いた。

 シャルロットはそれを横目に驚くも、すぐその空洞が何か、いいや、何が通過したのかを理解した。

 (ザザの、目で追えない移動――!)

 シャルロットは気が付くと微笑んだ。

 そして杖を構え、彼女もザバクへ視線を投じた。


「……見ているだけじゃ、示しがつかないわね」


 杖を振る姿は可憐。

 息を呑む姿は壮麗。

 シャルロットは両足に手を添え念じた。


 (部分適応)


「通り抜けろ、黒肢ヴィテス


 白いロングブーツのような形態になったシャルロットの両足。

 それは、魔術礼装を足に使用した姿であった。


「……目指すは、本体」


 (私は、生身で炎に飛び込もうとは思わない。けど)


「仲間の為なら、迷わず炎を走れる!」


 真っすぐな閃光が、炎を突っ切った。

 空間が靡き薄い烈火に穴が開いて。

 ――シャルロットの視界に、炎の残像が焼き付いた。

 シャルロットは疾風のように城壁を駆け抜ける。

 正面切って肉体で突撃するのは流石に危うい。

 薄い炎の幕なら突撃で穴を開けられるが、炎の出どころであるザバクの周りではそうはいかない。

 あの中心で何が起こっているのかは想像もつかない。

 でも、飛び込まない事には始まらないのだ。

 城壁を駆け抜け、ザバクの裏に回った。

 そこでザバクの方向へ視線を向けると、既に広がっている猛炎が四方八方に切り裂かれては霧散し、集まりを繰り返していた。

 もう何度も見ているから見逃す事はない。

 あれは、ザザの攻撃だ。


(ザザもあの炎に直接攻撃が出来てない?

 単純に近づけないというわけではないだろうし、

 炎の壁が想像よりも分厚いのか?

 それとも……まさか!)


 シャルロットはザバクの裏側に移動し、それを発見した。

 ザバクの身体には拳くらいの厚さがある膜がかかっていた。


(ザバクが自身の炎で焼かれない理由は、

 そもそも炎の熱気を遮断して物理的な接触をしないような聖装の仕組みだから?

 ……あの膜、熱を通さなくて炎との接触を避けているということは、

 膜に強度があるということ。

 これが、ザザが本体を叩けない理由?)


「なら――」


 その瞬間、シャルロットの前方から蛇のような業火が壁を伝ってきた。

 シャルロットはすぐさま飛び上がり、城壁の下部にある水路の上を駆けた。

 だが頭上からすぐ業火が近づいてくる。


(ザザには出来ないけど私に出来ること、それは確実にあるはず。

 考えろ。私に出来る最善策――)


「ッ!」


 眼前に業火が落ちた。

 背後、頭上にも火の手が迫っていた。

 ――水路の上で火の手が激突すると同時に、シャルロットはぎりぎりで庭園の方へ抜けた。このまま直進すれば、ザバクの本体に直撃する。


 (触れられれば、可能性はある)


 シャルロットはそうして、腹を決めた。

 三本の炎が絡み合い、三方向からシャルロットを包囲した。

 一つの炎は神速で打ち破るが、残りの二つは破れるくらい薄い訳ではなく空間を焼き尽くしながら急接近した。

 が――ザザの斬撃による援護でその二つは切り刻まれた。

 残り三十歩。シャルロットは口を大きく開けて叫んだ。

 全てを決め、全てを無視して、あの青年に触れることに全てを捧げた。

 熱が伝わった。

 足が、顔が、手が熱い。

 発火しそうなくらい高温である。


 残り、十歩。


 ローブが発火し燃え盛ったので、シャルロットは走りながらそれを脱いだ。

 体が熱い。顔面の皮膚がただれていないか心配になる。

 でも進むことは止めない。止まる事はしない。


「――祭儀、孤島」

「⁉」


 頭上から連鎖するように、まるで海が割れるように炎が除けていく。シャルロットから見て縦に伸びていた炎が一刀両断され、ザバクの周辺の炎も一時的に霧散した。

 ザザの一撃が、シャルロットの道を作ったのだ。


「はあああああああああ!!」


 シャルロットは右手をかざした。

 ザバクに触れるその一瞬、それが勝負時である。


「――――」

「――――」


 ザバクの右胸にシャルロットの手が触れた。それは、一瞬の出来事だった。

 シャルロットはその時、確かに『硬い』膜に触れることが出来たのだ。


 (エミリー、借りる……!)


「――『硬い物を柔らかくする魔術』」

「ハ⁉」


 刹那、シャルロットは体を燃やしながらもザバクを通り過ぎ、受け身を取れずに地面に転がった。

 一瞬意識を失いかけたが、すぐ立ち直し片手を着いて起き上がった。


「ハ、ハぁ、ハあああアアアア⁉」


 膝をつきながらザバクへ視線を投げた。

 ザバクを守っていた膜はふにゃふにゃになり熱の高温に耐えきれていないようだった。

 ザバクにはじわじわと熱が伝わり、すぐにそんな取り留めない叫びをしていた。

 自身の熱に晒され、炎に呑まれる。

 まさに、爆裂の、自爆。


「ザザ!」


 シャルロットは叫んだ。


「分かっている」


 ザザはいつの間にかシャルロットの真横に立ち、答えた。


「祭儀、孤島――ッ!」


 ザザが巨大な鎌を振りかぶった。

 そして放たれた見えない斬撃は、ザバク目掛け打ち出された。

 刹那、シャルロットは青年と目が合った。

 大火、業火、烈火の中で苦しむ青年の顔を見た。


「――――ハハ」


 彼は諦めたように泣いていた。

 ザザの斬撃が命中し切断された右腕を飛ばしたザバクは、言葉になっていない絶叫を響かせ、そして巨大な炎の爆破を皮切りに、その絶叫は静寂と夜の帳に呑み込まれた。




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