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32「時の魔導書」

 負けた。


 *


 父は僕を殴る。よく殴る。不出来な息子を、幾分かマシにするために。叩いて直そうと顔を真っ赤にする。


 *


 負けた。

 ――気持ち悪い。


 *


 井戸の中で凍えそうになる。がくがくと奥歯を震わせて、魔術を使わないと脱出できないとよく強調された。兄弟もそれを止めなかった。だって、僕が出来損ないだからだ。

 この年になっても魔術が怖く、決闘すらも出来ない。僕は、怖がりだった。


 *


 負けた。

 負けた。

 ――気持ち悪い。


 *


 このまま僕は凍えるのだろうか。誰にも見つけて貰えないこの穴の中で、全てを捨てるのだろうか。既に何時間もこの中で凍えている。体の感覚はほとんどない。あるのは、無力感と、遠い場所にまだ残っているひんやりとした寒さ。

 目を閉じてどのくらい経った。

 足を寄せてどのくらい耐えた。

 わからない。ただあるのは、暗闇だ。


 父は云う。

 お前は、一族の汚名を晴らす責務を背負った息子なのだと。兄の失態は、お前がどうにかしなくてはならないと。

 父は面子を気にしている。母も面子を気にしている。

 僕の面子は気にしてくれない。



 思えば、この時の寒さのせいで、口が上手く回らなくなった気がする。


 *


 負けた負けた負けた。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 *


 あの時の寒さの痛みに比べれば、右腕の切断なんてどおってことないだろう?


 *


 負けた負けた負けた負けた負けた負けた。


 *


 うるさい。

 ねえ、うるさいよ。


 *


 負けたよ。


 *


 負けてない。


 *


 いいや、負けたね。気持ち悪い。


 *


 負けてねえって


 *



 *



 *



 負けたんだよ。分かるだろう? この痛みが。



 *



 うるせえよ



 *



 お前は負けたんだ。みんなに負けた。誰からも愛されない出来損ない。

 お前なんか生まれなければよかったんだ。惨めな人生なんておくらなければよかったんだ。



 *



 ……うっせぇ



 *



 お前が生まれなきゃ僕は傷つかなかった。

 お前があの家に生まれたから僕は苦しんだ。

 お前が志願したから僕が司教になった。

 そうだろ?



 *



 お前お前ってさ………………





               お前は、僕だろ?



 *



 ザバクは王城の外れにある民家の手前で、壁に背中を着けている。夜の帳に包まれ、切断された右腕が酷く痛む。血も止まらないし、震えも止まらない。ザバクはただ息をして、真っ青な顔で空を見上げる。


「……」


 (井戸の中で見た景色と似てる)

 とたん、ザバクは身をよじって倒れ込み、そして立ち上がった。

 満身創痍。体の傷は酷く、疲労感も計り知れない。体は重く、頭も回らない。ずっと過去の事を反芻思考している。


「…………れ」


 頭の中で声がする。彼の中の、もう一人の自分だ。かつて否定し淘汰した、あの自分。――弱い自分。


「……………………だまれ」


 (お前は、井戸の中で捨てたはずだろ)


 ザバクは虚ろな目で歩く。切断面から大量の出血をしながら、おぼつかない足取りで地面を踏んだ。次第に体に感覚が戻ってくる。そこでやっとザバクは、自身の体の半分が火傷していることに気が付いた。

 みすぼらしい風貌だった。頭髪は半分燃え、右半身が黒いコゲに覆われている。痛みは、右腕の切断の激痛が勝っているからか少ないが、火傷した皮膚に触れると針で刺されたような痛みが走った。


「………………………………」


 呼吸が早まる。目眩がして、くらくらと視界が回る。腹の底から冷たい液体が這い上がり、それは口から飛び出した。吐血した。


「…………………………………………だまれ」


 ザバクは、歩く。

 骸の様に。


「――――――――――――――」


 目の前に、井戸があった。


 「――――」とザバクは乾いた笑いを出した。

 井戸は普通の井戸である。民家の為にある井戸で、屋根がついており、整備された小奇麗な井戸だ。桶も近くに置いてあるも、それをザバクは蹴って崩し、頭から井戸に落下する。

 水の感覚がした。火傷や腕の傷口に水が染み込み、言い表せない激痛が稲妻のように体を刺す。だがそんなことより、ザバクはその冬の水の冷たさに震えた。


「……………………………………………………………………………………だまれ、ぼく」


 言葉は木霊した。嫌というほど木霊した。


 (けっっきょく、ぼくはなんで生まれたんだろう。あいされず、なしとげられず、まけてばかり。ぼくの人生は、なにがしたかったんだろう。しいたげられ、たたかれ、こうていされなかった。

 ぼくだって愛されたかった。

 ぼくだって肯定されたかった。

 ぼくだって成し遂げたかった。

 これも、なにもかも、ぼくが不器用だからわるいのか?

 なにもかも、ぼくが弱いのがわるいのか?)



 *



 お前は誰からも愛されていない。



 *








 ……………………………………………………………………………………








 *



 だから、死ぬんだ。



 *












「ぉゃぅぃ……」









 (せめて、安らかな死を、ぼくにください)





































「――ク!」

「……」

「――ク! ろ!」

「……」

「ザバク!」

「⁉」


 体を揺らされ目を開くと、そこには、ラクテハードの焦った顔があった。


「ぇ?」

「ザバク! 意識をはっきりと持ちなさい!」


 ザバクは井戸から引き上げられていた。

 上半身を掴み上げ自分も濡れながら、ラクテハードは必死にザバクの名を呼び続ける。

 朦朧とする意識の中で、青年は茫然と彼女の顔を伺った。

 寒さのせいで言葉を発することはできない。

 でも、ラクテハードの必死の呼びかけだけが、頭の中に木霊した。

 もうあの声は、聞こえなかった。



 *



 シャルロットとラクテハードによる救出が間に合った。

 負傷して真っ青になったザバクにシャルロットは治癒魔術を当て続け、彼の意識を取り持つ為にラクテハードは名を呼んでいた。

 カルはそんな必死な二人を遠くから見ていた。

 自分に出来る事はないし、邪魔をしたくなかったからだ。


 しかし。

 シャルロットが井戸に駆けだした時に落としたとある本を、カルは拾った。


「……時の魔導書?」


 ザバクの行方が分からなくなって全員で探し始めたとき、たまたまクリスがあるものを発見した。

 それはシャルロットが持参していたこの本の、とある《無かった筈の記述》である。


 そこには、こう書かれていた。


 《あなたの信念は何だ。その目に入った人を見逃さないことだろう? ならば動け、助けろ、その先にある希望を落とすな。全てを拾いなさい。井戸、井戸へ行きなさい。そこに彼は堕ちている――(解読不能な文字列)》


「……」


 手書きの文章だった。

 そんな文と共に、この井戸の場所が記された簡易的な地図がページには描かれている。

 これは、一体何なんだろうか。


「――ッ!」


 ザバクの意識がはっきりと覚醒した。丁度0時を回る。

 年が開けた。


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