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34「最近はやけに健康的」


「だぁかぁら、ハルトォ!」


 ……と女々しく両肩を振ってぶりっ子を表現するリーネットは、眼前の赤髪の青年に涙目を見せた。

 すると赤髪の青年ハルトは崩れ落ちて。

 胸のあたりに右手を持って行って同じく涙を流して小刻みに震え出した。


「すまなかった! 本当に、本当にすまなかったリーネット!」


 二人は地面に片手を着けてお互いの顔を至近距離で見つめ合った。

 甘くも辛い恋愛模様、二人の若人が手を取り合い、大袈裟に泣いて小型犬みたいに震える。

 最終的に二人は抱き合い、大きな声でわんわん泣いた。


「うわんうわん」

「愛してるぞ、リーネット――ッッッ!」

「…………」


 そんな依頼主たちの様子をジト目で観察していたシャルロットは。

 若人の熱い接吻が始まる前にそそくさと家から抜け出した。


 *


 オリアナダウンを歩きながらシャルロットは夜闇に呑み込まれる橙色を見上げ、感傷に浸った。

 冬の寒さは劣らず、昨日の雪で積雪も少なからずある歩道。

 また行き交い始めた馬車が真横を突っ切り、視界の端で子供たちが雪を投げあっていた。

 夕陽が沈みかけの黄昏は、どこか心地の良い感覚を人々に与えていた。

 温もりなのか、口から出る白い息が邪念を追い払っているのかはわからない。

 でもともかく、今は気分がよかった。


 年明けから一ヶ月が経過した。


 あの一件でカルに芽生えた『亜人の力』もそろそろ物になって来ていた。

 仮面舞踏会でシスターの血を身体に注がれたカルは、体内の魔物因子とそれが混ざり合い、新たな力をカルに与えた。

 恐らく亜人のルーツと魔物のルーツが近いからだろうと、エミリーは考察していた。


 そう、今のカルはシスターの『血の技』を扱える。

 それは予想していなかったことだけど、これはいいことだった。

 力の制御も順調で悪くない。

 これでやっと、オリアナから旅立っても問題がなくなってきた。

 そろそろ時期が近付いている。次の目的地を決めなければならない。


「あ、シャルロット~!」


 視界の奥で顔を覗かせたブロンド髪の少年カルは、シャルロットに向かって手を振って建物の中に入っていった。

 今日はみんなを誘ってのご飯会だった。


 店に入ると大方のメンバーが揃っていた。

 長机でシャルロットが座ろうとする正面にはエミリーが座っており、その横にシスター、リハクと続いていた。

 手前にはクリスとカルが座り、カルの左隣は空席だった。


「ん、シャルロット。先に私は飲んでいるからね」


 エミリーは頬をほのかに染めながらそう手を振った。


「エミリーってそれなりに酒豪なの?」

「父親譲りでね」


 席に着くと眼前の豪華な料理に息を呑んだ。

 脂が乗っているステーキが全員分並び、中央には風土料理とサラダ、そして動物の丸焼きが鎮座していた。

 エミリー主催のご飯会だからか、えらく豪勢だ。


「シ、シスター。これはどうやって食べるんだ?」

「これはこの部分を持って、反対の手で引き抜くと上手に骨を取り出すことができます。やってみてください」

「こうか?」

「違います」

「それじゃあこんな感じか?」

「違います」

「んんええい! ままよ!」


 と言って両目を閉じ勢いよく腕を振る。

 真横に座っていたシスターに食材の汁がかかった。


「被害が拡大しました。あと、リハクさんに料理は金輪際教えないようにします」


 シスターとリハクはいつも通りだった。

 しばらく共に過ごしていて思うのだが、リハクはお茶目さが愛嬌なおじいさん、といった印象が強くなっていた。

 彼は神父としては一級品なのだが、どうも人としては抜けている部分が多いらしい。

 もちろん、それらはいい個性だ。


「ねえクリス。あれからナナちゃんの様子はどう? 僕最近はこっちにいるから、気軽に孤児院に行けなくて」

「ナナ? まあまあ元気になってきたかな。……そうね。そろそろ歩けるようになるし、カルも一緒に散歩とかどうよ? ほらっ、景色とか、ボク、良い所知ってるし」


 そう云うクリスは、どこか女々しい顔をしていた。

 思わずシャルロットはついさっきの依頼を思い出し悪寒が走る。


「いいね。ナナちゃんの体調にもよると思うけど、気軽に誘ってよ。僕は喜んで」


 カルは無邪気な笑みでそう云うと、一そうクリスの顔が赤くなっている気がした。

(も、もしかして……カルって女たらし⁉)とシャルロットは少女漫画バリの青ざめ方を披露したところで、眼前のエミリーから名前を呼ばれた。


「そういえばシャルロット。そろそろ私にも黒魔術を見せてよ」

「えー」


 お酒を飲みながら訊いてくるエミリー。

 実はこの一ヶ月間、彼女の依頼を完遂するために一緒にいることが多かったのだが、創作者としてエミリーは黒魔術に興味津々なようだった。


「ま、前も言ったけどね。私達『卵』は、使い魔を中継して魔術を発動させているの。だから黒魔術の術式を覗きたいならチビを解剖でもしなきゃ」

「流石に解剖はしたくないけど、でもー」

「はいはい。今度ね今度。開けた場所に行く機会があったら」

「えーん。今みたいよー。今見て魔力エネルギー量とか術式のラフさとかお目にかかりたいのにー、いいじゃん? ね? ちょっとだけでいいから」

「な、なんか悪い酔いしてない?」

「知らないのか?」


 とたん、背後からそんな男声がシャルロットを突き刺した。


「ザザ?」


 振り返るとそこには、いつもの格好をしたザザ・バティライトが棒みたいに立っていた。


「あなたも招待されたの? というかエミリーが酒癖悪いの知ってたんだ」

「否応なしに呼び出された。無論、金は払ってもらったが」

「一人でやけ酒するとき、女一人だと蚊が囂しいの。そこでザザよ」

「俺は蚊取り線香らしい」

「ちょっと待って、どういうこと?」


 シャルロットの問いには答えず、ザザは空いている場所に着席した。

 カルは椅子に座ったザザを見て嬉しそうな笑みを浮かべ手を振った。

 ザザは目線でそれに反応した。カルはある事を思い出した。


「ザザってこういうご飯会は苦手なんじゃなかった?」


「その通りだ」ザザは無骨に肯定した。


「人心地がしない」

「そうだよね。でもどうして今日は?」


 「私が呼んだからよ。実験の一環だって」と遠い席でエミリーが説明した。

 そして彼女は自身の杖を取り出し、ザザに向けた。


「ちょっと?」

「気にするな」


 カルが唐突な行動に席を立つも、ザザはそれをあまり気にしていないようだった。

 魔力がエミリーの杖先に宿り、淡い光が宙に残像を刻んだ。


「よし、これでどうかしら」

「あ、そういうこと?」


 その時やっとシャルロットはエミリーが何をしたがったのかを理解した。

 カルは訳も分からず見回すと、ザザもぱっとしない様子であった。

 最近、カルはザザが何を感じているかがオーラとして見えるようになってきた。

 ザザも自分に何が起こったのか分かっていないようである。

 カルは首を傾げた。

 「カル」とシャルロットが名を呼んだ。


「目の前にステーキを食べてみて」

「え? どうして?」

「いいからいいから」


 何故かシャルロットはエミリーが施した何かを分かっているようで、そうやって進めてくる。

 訳も分からず、カルはステーキを一口運んだ。

 ステーキはジューシーだった。

 肉も柔らかく味付けも濃くて滲むような旨さが口内に広がった。

 油に溶け込んだ旨味の部分が舌に浸透し、カルが肉を転がすとその旨味も動きを見せた。

 くるくると咀嚼して呑み込んで、カルは前を見た。


「…………」


 ザザが動揺していた。


「シャルロット?」


 異変に気付いたカルがそうやって視線を二人に投げた。

 二人はどこか嬉しそうな顔を浮かべてザザを伺っていた。

 どういうことなのか分からなかったが、カルも自然にザザへ視線を注いだ。

 隈の目立つ顔立ちに細い体形をしたザザ・バティライトは、味覚がない影響で感情が希薄であった。

 これはカルが彼から教えてもらった彼の秘密であり、やるせない気持ちを抱かせるには充分な事情であった。

 ザザは止まっていた。時が静止したように。

 そしてついに、一言零した。


「これはなんだ?」


 ザザはそう恐る恐る言いながら、カル、シャルロット、そしてエミリーと視線を移していた。

 その顔はまるで赤ちゃんのような驚きが内包されているような気がした。

 エミリーがうふふと笑ってから答えた。

 真相を全て、回答した。


「『感覚共有魔術』。これは私の創作魔術なんだけど、これに――『味覚』を追加した」

「え?」


 カルは想わずエミリーの顔に視線を移した。

 エミリーは、視線でそれを肯定した。


「ザザ……?」


 カルは視線を戻した。

 するとザザは少しだけ口角を上げていた。


「…………」

「どうした?」


 ザザはきょとんとした顔でカルを見ると、カルの目から今にも涙があふれそうだった。

 そうしないうちに、涙が堰を切った。

 カルは何故自分が泣きだしたのか分からなかった。

 ザザも何故カルが泣き出してしまったのかが分からなかった。

 ザザが分かることは、ただ一つ。

 今日はいつもより、胸の内から熱い何かが込み上げてくることだった。



 *



「今日はありがとう。シャルロット。エミリア」


 ご飯会が無事に終了し、店の前でザザは去り際にそう言った。

 相変わらず仏頂面だったが、どこか彼の雰囲気が少しだけ鮮やかに見えた。

 シャルロットとエミリアはそれに手を振って応え、各自は解散した。


「ん、んにゃ」


 カルはシャルロットの背中で眠っていた。

 泣き疲れたのだろう。

 それに今日もシスターと訓練をしていたというし、仕方がない。

 シャルロットはカルを担ぎながら、オリアナの蒼穹を見上げた。

 冬の夜空は、深くて味わい深い藍色だった。


 宿に到着し、カルを布団に寝かせた。

 そしてシャルロットは窓を開け、チビを家の中に招き入れた。


「今日も監視お疲れさま」


 シャルロットはチビの頭を撫でてやると、チビは嬉しそうに鳴いてすりすりと肌を擦りつけてきた。

 流れでシャルロットは窓から星空に照らされるオリアナを見た。

 王城よりかはよく見えないけど、街はそこで呼吸をし続けていた。

 思わず誇らしくなる。私は、自分の信念を貫けたんだと。


「……寝ようかな」

「最近はやけに健康的じゃないか?」


 (……は?)

 シャルロットは声がした方を向いた。


「シエスタ」


 チビが口を小さく開いて、女性の声を出していた。


「久しぶりだな」

「……――」


 シャルロットはその声を、数年ぶりに聴いた。


「穹の魔女?」


 刹那、背筋に冷たいものが走った。



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