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35「ほっぺに人差し指」

「…………どうしたの、いきなり」

「いやいや、そんなに引かないでくれよベイビー。確かに事前連絡はなかったけど、いいじゃないか?」


 夜闇に満ちた宿の一室に、蒼穹の気配が空気を揺さぶった。

 シャルロットの前に座る使い魔のドラゴンチビが、突如脳裏にこびりついたとある人物の声を発した。

 穹の魔女だ。


「別にいいけどさ。心臓に悪いわよ」


 「それは申し訳ないね」と穹の魔女は指を唇に当てながら言っている(少なくともシャルロットには、彼女がそういうジェスチャーをしているのが浮かんできた)。


「何か用事かしら」と感情を押し込まず突き放した。


「いやね、変に冷たいじゃない。私達ってそういうドライな関係性だっけ。君は私が見込んだ原石なんだから、嫌われるのは好ましくないんだけども」

「別に、あなたが悪い訳じゃないわ。でも、タイミングよね。幸せを感じていたから余計」


「幸せ」


 と穹の魔女は復唱して少し考えた。


「それは一理あるわね」と口にした。


「悪かった。これでいいかい? 申し訳ないんだけど、あまりこの通信は長引かせられないんだ。変に続けると傍受される」

「傍受って、一体誰に? 魔女の魔力なんて早々察知されない筈だけど」

「聖都ラディクラムだよ。君が厄介になってる奴らだ」

「……知ってたの?」

「随分前からね。君たちが思っている以上に、私たち魔女は聖都ラディクラムと対立しているんだよ。言っておくけど、魔女だからってあいつらとはそこまで戦いたくないんだ。いかんせん私は面倒くさがりだからね」


 実力では圧倒できるくせに、とシャルロットは心で想った。


「まあいいよ、与太話は。本題は?」

「もう、哀しいよ。分かった。話を始めるよ」


 ぱんぱん、と魔女は拍手をした。


「君に招待状が来ている」

「招待状?」

「魔女の茶会だよ」


 ――魔女の茶会。その単語が彼女から飛び出したとき、シャルロットは脳内に疑問符を打ちながらも、その会が仮面舞踏会のような普通の催し物には思えなかった。

 その時、ヴァイオリンが音色を激しく上下に刻んでいるような不安が、

 シャルロットをかき乱した。


「それは何?」とシャルロットは問いた。


「集会、みたいなものだよ。『魔女』と『卵』が一堂に会して、情報交換をするんだ」

「どういうこと? 一堂に会するって、まさか……」

「そうだよ。。丁度今、ザザ・バティライトにも同じような招待状が親の魔女から告げられているころだ」


 シャルロットの心情は一そうかき乱された。

 安寧を手にしていた彼女は酷く動揺し、心の情景が落胆を思わせる感覚を皮切りに真っ暗な漆黒に覆われた。


「……そういうのには興味がないかな」


 シャルロットは正直に言った。

 言ってから、口内には苦虫を嚙み潰したような感覚がじんわりと広がった。


「でも、君は来なければならない。なんせ交換される情報は、『聖都ラディクラム』についてだからね」

「……」

「君の旅仲間であるカルくんは、聖都ラディクラムに追われている。そうだよね。なら、なおさら同じ魔女の卵と意見を交換した方が有益だと思うけど、私としては」

「そう……だけど」

「心情は分かるよ。今私は君の使い魔の体を借りているから、君の不安が直に届いている。大きな戦いが終わって一息つけるって時に、酷い話を持ってきたと自戒しているよ」


 そう語る魔女の口調は穏やかなものだった。

 その優しさに、シャルロットはチカチカと脳裏の不安が点滅した。


「……まあ、決断は君に任せるよ。もし来たくなかったら来なければいい。しんどいなら、無理をするものじゃない。私はベイビーを尊重する」

「――――」


 シャルロットの内に渦巻く感情は、司教という巨悪から逃れられた安堵の後に訪れた急降下によって引き起こされる、拒絶反応のようなものではない。

 確かにそれも一片を担っているものの、実際はもっと巨大な不安が内に芽生えていた。

 それは魔女の干渉による規模感の変化であった。

 聖都ラディクラムとの戦闘は極めて身近なものであると思っていた。

 それこそ、カルが狙われているから流れで自分も、というような、ついでみたいなノリかと思っていた。

 だが魔女の干渉、茶会の発起によりその気楽な考えは打ち砕かれる。

 聖都ラディクラムの干渉は、シャルロットとカルだけの問題ではなく。

 『魔女の卵』全員に関連する重要な事項であることが、シャルロットにとっての嫌な事実だった。

 内々だと思っていたことが、いきなり世界規模に広がって、収拾がつかなくなった感じた。

 魔女たちとの関係を持つことで。

 より大きな戦いに巻き込まれる可能性が高まるのが、怖い。


「……」


 でも、この茶会が有益なのは言うまでもない。

 だが心のざわざわが森が強風に煽られたように狂いだし、その音が耳の奥でしんと鎮座しているのだ。

「……時間が欲しい」


 とシャルロットはとてつもないエネルギーを使って言い放った。


「分かった」


 と穹の魔女は云った。


「もし気が向いたらおいで。崩壊が最も近い村、『ラカイム』に」



 *



「ふうん。なるほどね」


 朝になり目を覚ましたカルに全てを赤裸々に伝える。

 モヤモヤして気が気じゃないシャルロットでも、あの茶会について悪い行事ではないことは重々理解しているつもりだ。

 だが理屈と感情は別個である。

 だからカルに相談し、共に結論を出そうとした。


「僕は行くべきだと思うよ」


 カルはそう言った。


「今回の司教との戦いは、ザザっていうカギになる人物を仲間に出来たから勝てた。でももし、増援がない場所で司教三人とかと鉢合わせたら、きっと僕らは捕まっちゃうと思う」

「そうだね」

「だから出来る事なら、司教の情報を集めた方が得策だと思うよ。今ならまだザザはオリアナにいるわけだし、話をすれば道中の護衛をしてくれるかも」


 (確かに、同じ魔女の卵であるザザが近場にいるのはとても心強いけど……)


「……シャルロット?」


 カルはその時、驚いた。


「うん。分かってる」


 シャルロットの顔は、今までに見たことがないくらい曇っていたからだ。


「…………」


 カルは歩きながら考えた。

 話が大きくなることが怖い気持ちは分かる。

 でも、シャルロットの不安の大きさを僕はしっかりと把握できていない。

 シャルロットは表面上のみ自信家であるように振る舞っているけど、その実情は卑屈で怖がりなのだ。

 僕はそれを知っている。

 いつもの空き地に到着すると、既にシスターさんとエミリーさんが居た。


「今日も時間通り来ましたね」


 とシスターは微笑んだ。


 あの仮面舞踏会でシスターから亜人の血を摂取したことで、僕は新たな能力に目覚めた。

 あの時、彼女の必死だったせいでこうなることは全く想像していなかったが、エミリーさんの分析によると『魔物因子と亜人遺伝子は大本が同じだから親和性があったのかも?』ということだ。

 実際の所、魔物の起源も亜人の起源もまだまだ分かっていないことが多いらしいんだけど、そういう仮説のもと考えると合点がいく。と解説してくれた。


「始めます。血を温めてください」


 その指示に、僕は体内の血液に神経を巡らせた。


「――血稚、茨」


 魔力が迸り、未知エネルギーと血液が蠢いた。

 右腕から即座に伸びた未知エネルギーの茨が空に向かって伸び、最後に軋んで個体化した。


「悪くないですね。血稚の遠隔性をカルくんの赫病と上手に調和することができれば、これまで欠点だった『遠隔操作が出来ない』という弱点が補える」

「そうね。これはいい経過だと思います。ただ、カルくん」


 シスターの総評に賛同しながらもエミリーは名を呼んだ。


「今日は何だか顔色が悪いようね。体調が悪いの?」

「……そうではありません」

「じゃあ悩み事?」

「……」


 カルは黙るしかなかった。

 シスターとエミリーが顔を見合わせ、困った顔をした。

 でもこのことは、二人に相談するには少しそれている気がした。

 だからカルは話すつもりはないという気を表に出して、二人の方へ向いた。


「すみません。確かに昨日のご飯会で泣いた疲れが抜けてないみたいです。今日は早めに訓練は止めておきますね」


 そう言ってカルは二人にお礼を言うと、シスターとエミリーは察したようで、さほど言及せずその日は解散となった。

 カルは宿へ帰る道すがら、横切る馬車を見ながら思考を巡らせた。


(シャルロットの考えも理解はできる。

 度量が分からないから同情は出来ないけど。

 でもさ、こうやって彼女が弱い部分を僕に出したせいで、

 僕が落ち着かなくなっているのは、何だか悪循環な気がする。

 きっとシャルロットは僕がそのことで元気がないとしれば、悲しむだろう。

 ……こういう時って、普通はどうするんだろう。

 僕には彼女ほどの経験もないし、彼女が何を怖がっているのか正確には分からない。

 でも、僕も無関係ではいられない)。


 ふと静止し、反対側の歩道を見る。

 人が歩いている。

 様々な職種の人が、せわしなく行き交っている。

 彼らはこういう時どうしているのだろう。普通はこういう時どうするんだろう。

 とたん、とんとんと肩を軽く叩かれた。

 カルは振り返った。


「んなッ」

「なーにしてるの」


 振り返ると。

 カルのほっぺに人差し指が突き刺さった。

 背後に立っていたのはクリスティーナだった。

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