気晴らしに宿を出ると、そこにはザザが背中を壁につけて待っていた。
「……ザザ」
「お前の所にも招待が来たんだろ?」
ザザはシャルロットの顔を伺わずに云った。
シャルロットは頷いた。
*
「……それって、つまりさ」
お昼の鐘が水路を挟んだ向こう側にそびえたつ時計塔から響き渡った。
公園のベンチに座りながらカルはクリスに自身の悩みの種を打ち明けた。
クリスはとたんに小刻みに震え出し、何故か不安げな顔を見せた。
「カルはオリアナから離れるの?」
クリスの心情を理解しながらも、カルは固唾をのんで言った。
「うん。僕とシャルロットはまだまだ途中なんだ。旅を続けるべき。それは僕もシャルロットも同じように感じている。でもその為には聖都の問題をどうにかしなきゃいけない」
「だからカルはラカイムって言う村に行こうと思ってるんだ?」
カルはゆっくりと頷いた。
クリスは「そっか」と言ってから口が少し開いた状態で放心した。
クリスティーナはカルにとって対等な友達である。
敬語を使わなくていい相手というのは、すごく気楽な存在だった。
それに、カルがクリスの事を好意的に思っているように、クリスもカルの事を好意的に感じているのを知っている。
だから、いわゆる忌憚のない意見というやつを聞けるのではと期待して、カルは相談した。
クリスはしばらく考え込んでから、頭を上げた。
やけに凹んでいるような声色ではあったものの、気持ちは落ちどころにハマっているように見受けられた。
「カルに出来ることはないと思うよ」
「……そうなのかな?」
「だってそうじゃない? 大人の機嫌って子供だと本当に分からないものだよ。これって頭が良いとか悪いとかの話じゃなく、経験的な話でね」
カルは(確かに)と一応納得するも、まだ心の霧は晴れない。
「…………」
クリスの心中は複雑であった。
自身が好いている彼が目に見えて落ち込んでいる姿はあまり見たくなかったし、何より昨日の夜に見せた傭兵への涙は、嬉しそうだった分、落差で拍車がかかっていた。
クリスの本音を言うのなら、カルには残ってほしい。
カルは、その、言い難いが、気に入っている。
一緒にもっと話したいし一緒に街を歩きたい。
もっと過ごしたいんだ。だから余計複雑であった。
彼女の心中は酷く混乱し、そして寂寞としている。
「もしかして、シャルロット以外に何か気になることがあるんじゃないの?」
「え?」
「だって、シャルロットの悩みだけで、カルがそこまで落ち込むのは変だよ。もしかしてさ、カルはシャルロットじゃなくて、別の事でモヤモヤしてるんじゃないの?」
カルは押し黙った。
クリスはじっと彼を見る。
ややあってカルはぽつりと言葉を零した。
「……そうかも、しれない」
カルは胸を右手で抑えながら云った。
「ただ淋しいだけかもしれないよ。オリアナが名残惜しいとかさ」
「……分からないけど、実はそうなのかもね」
カルは心なしか口角を上げながら云った。
クリスはこれだ、と心の中で感じた。
心情は憚られるのに、口は達者に動いた。
「気持ちは分かるよ。ボクだってたまに自分が何を感じているのか分からなくなる。そういう時はね、ボク流でいうなら、それらしい答えに当てはめて処理すればいいんだよ」
「そういうのでいいのかな?」
カルの顔色は徐々に晴れていた。
それに比例してクリスの心はどんどん荒んでいる気がして、冷や汗が止まらない。
「いいんだよ。こういう時に大事なのは、無理やり処理して気持ちを切り替える事なんだから」
でも、口だけは止まらなかった。
今のクリスティーナは、シャルロットと同じ状態であった。
(もっと一緒にいたい)
「――カルはラカイムに行くべきだと思うよ」
言い切った。冬の風がクリスの心を凍えさせた。
体が不思議な浮遊感が宿り、泣き出しそうな顔が作り笑いを見せた。
カルは立ち上がった。
「そうだね」
彼は笑った。
クリスが安堵する笑みを浮かべた。クリスは感情が交差した。
「クリス」
「ん?」
「ありがとう」
「…………」
ぽっと、クリスの荒れ狂った心に灯りが光った。
カルのその一言が火種となり、クリスの交差する感情を静止させた。
「ごめんね、ちょっと酷い相談をして。いつか必ず、この場所に帰ってくるからさ」
「……」
「本当にありがとうね」
「――――」
クリスティーナは微笑んだ。
心の中で吹き荒れていた情景は静まり返り、太陽が昇った。
クリスは可愛い笑顔を見せてくれた。
その顔が、僕に力をくれた。
必ず帰ろう。
クリスという友達の為に、僕はこの旅の終点でオリアナに帰ってくるんだ。
*
静かな喫茶店に入って、ザザと対面に座った。
ザザは落ち着いた様子でコーヒーを頼んだので、シャルロットはトーストを注文して店員が足早に席から離れていた。
「シャルロットはどうするつもりなんだ」
ザザは問いた。
「私は……」
「…………」
「はっきりと言わせてもらうが」
ザザは沈黙をそれなりに見届けてから、そう息をついて喋り出した。
足を組んで両手を合わせ、ザザは真っすぐシャルロットを見つめた。
「俺は感情について鈍感だ。だから、お前が何について悩んでいるかを察することはできない。正直に話してくれ」
「…………」
「何も始まらないぞ。俺が話せと言ってるんだ。気にすることは何もないだろう」
ザザがそう云うと同時に店員がコーヒーを持って来た。
ザザの方へコーヒーは置かれ、ザザはそれを一口啜った。
次にシャルロットにトーストがやってきた。
トマトソースとオリーブオイルがかかった、カリカリのトーストだ。
シャルロットは、店員が去った後に口を開いた。
「不安なの」
「不安?」
「その……。お茶会とか。集まりとか。そういうのが得意じゃない。私は自由人でなければ元々疲れちゃう性格なの。そういう性格になったの」
「あのシャルロットが、随分女々しいことをいうんだな」
「悪い?」
「別に」
ザザはそこで息をついて間を作った。
「俺だってそういう場所に易々いけるわけじゃない」目を閉じてゆっくりとしたテンポで語る。「シャルロット。お前の処世術には覚えがある。ここだけの話だが、俺もそれに似たような思考だ」
「そうなの?」
ザザは黙って頷いた。
「俺の味覚障害は、後天的なものだ。もう随分前の事だから朧気だが、俺はとある出来事の折り重ねで味覚が消えた」
息をついた。
息は、コーヒーの白い湯気に溶け込んで、やがて消えていった。
「……何かが限界になったんだ。その何かは、今でも分からない。シャルロット。お前も一度、限界になったことがあるんじゃないか? お前の思考は一種の自己防衛に近いと、俺は思っている」
シャルロットは思わず顔を上げた。
ザザの表情はいつも通り真顔だが、不思議と彼から発せられる空気はどこか『寂しさ』を絡んでいるように感じた。
シャルロットはこの一ヶ月、彼と幾度と出会い交流するにつれ、徐々に彼の心情が読み解けてくるようになっていた。
「だから、俺はお前の気持ちは分かる」
ザザはそう云った。
「……ザザには昔、何があったの?」
「誰にも言えない事だ。打ち明けるつもりはない」
ザザは問いを突き放した。
シャルロットはオリアナに来たばかりの頃、彼が自身の秘密について自主的に語ろうとしなかったことを思い出した。
彼はきっとここでしつこく訊いても答えを教えてくれないだろうと思った。
「シャルロットはどうしたい?」
ザザはシャルロットの眼を見て呟いた。
「……乗り気ではない。正直、あんまり行きたくないよ。聖都はこれからも私達の前に塞がるだろうけど、でも、『皆で力を合わせて責務を負う』ようなことは性に合ってないから」
「じゃあ、シャルロットはどうするべきだと思う?」
「それは……。行くべきだと思うよ。他の卵と協力して聖都対策をしていくべきだと思うよ」
「じゃあもう簡単な話じゃないか」
「簡単?」
シャルロットは首を傾げると、ザザは静かに呟いた。
「俺も、お前と同じで気が進まない。でも、やるべきことは分かっている。……じゃあ協力しよう。俺は、自分の心細さに鞭を打って、お前と共に茶会に出席する。お前も自分の不安をかき消せるくらい俺に頼ればいい。共に嫌な行事を乗り越えよう」
「……それ、何だか好きな人に贈る告白みたいね」
「気持ち悪いこと言うな」
「ふふっ」とシャルロットは笑った。
ザザ・バティライトは今、シャルロットとエミリーに恩義を感じていた。
本来なら自身の話を他人にしないし、誰かの悩みを聞こうとも思わなかっただろう。
しかし相手がシャルロットであるなら、話は違った。
そう。ステーキの恩があるのだ。
実際問題、ザザの味覚障害は治っていないし、治る見込みがない事は本人が一番知っていた。
でも、この世界の彩が無くなったままなのは、旅の醍醐味を一部損なっている気がしていた。
だから、シャルロットとエミリーの『創作魔術』に救われた。
ザザ・バティライトは決める。
シャルロットの仲間になろうと。
*
三人はオリアナを発った。
その先にある思惑、計画、謎、真相を求めて歩き出した。
集結せよ、全ての選ばれし後継と、概念司る黒魔術の祖よ。