オリアナを発ち、だいたい一ヶ月が経とうとしたころである。
まだ残る肌寒さも次第に暖かさへと変わり始めている頃、
シャルロット一行はとある街に到着した。
オリアナから南に進んだ場所にある、シーラという街である。
シーラはカシーアよりも大きい街で、中心部では行商人が行き交い市場を開いている。
シャルロット一行は、ここ数日の天候を確認しつつ休息を取ることにした。
荷物を置いて廊下へ出ると、ザザが横からこちらに歩いてくる。
「俺は市場の方を少し見てこようと思う」
ザザは手短にそうシャルロットへ伝えた。
「何か用事でもあるの?」
「興味だ」
「わかった。夜ご飯までには戻っておいでよ。天候を確認し次第、ここは早々に経つからね」
「了解」とザザは希薄に言って、宿を出て行ってしまった。
次はシャルロットの背後からカルが近づいてきて、背中をとんとんと叩いた。
「シャルロット。僕も新しい本を買ってこようと思うんだけど、おこずかい貰ってもいいかな?」
「新しい本……? もう読んじゃったの?」
カルは頷いた。オリアナを発つ前に数冊か購入した本は、カルの背中のバックパックに詰め込まれている。旅の道中だとどうしても荷物がかさばるので定期的に売らせているが、カルはどうやら荷物が重くても気にしていないようだった。
「いいわよ」
シャルロットは本を何冊か購入できるだけのお金を手渡し(昼飯分も入れておいた)、カルにチビをつけて行かせた。
シャルロットは宿で一人になり、しばらくは机の上で自身の荷物を広げて整理している。
物資の替えが必要なものはないか、古くて使えなくなりそうな装備はないかと。
「……そういえば、オリアナでローブを燃やされたままね」
ふとザバクに燃やされたローブを思い出した。
別にローブに特別なこだわりがあるわけでもないが、あった方が何かと便利な場合が多かった。
ここ一ヶ月は違う防寒具で凌いでいたけど、着慣れっているものがやっぱりいい。
シャルロットは宿を発ち、街に繰り出した。
シーラは比較的栄えている街である。
今日がちょうど市場の日だったこともあったようだが、それなりに人々が行き交い道を埋め尽くしていた。
シャルロットは冒険者ギルドへ向かい、その周辺の用具屋でローブを探した。
ローブがそれなりに揃っている場所を見つけることができた。
シャルロットはかけられたローブを一枚一枚、触りながら確かめていく。
そうしていると、いつの間にか真横に立っていた店員が声をかけて来た。
「お探しの商品はありましたか?」
クリーム色の長髪を後ろでまとめ、赤い縁の眼鏡をかけた美人な店員さんである。
「うーん、もう少し分厚いものがあればいいなと思っていたの」
シャルロットは前にかけられているローブを触りながら呟くと、店員は「でしたら」と両手を合わせ、店の奥へ消えてしまった。
しばらくして出てくると大きな木箱を抱えており、それを地面に勢いよくおいて、店員は中からローブを丁寧に抜き取った。
「こちらは如何でしょう」
そうやって見せてきたのは、鼠色でフードが付いている小奇麗なローブだった。
シャルロットはぴんとくる。
「そうそう! こんな感じなのがよかったのよね。うわ、ここポケットがついてる。前のは無かったからありがたいわ!」
「お気に召したようで幸いです。一応、こういう品でありましたらこのくらいの値段で」
と店員は胸ポケットから取り出した用紙を左手で持ち、右手で杖で振って文字を書いた。
「……ちょっと高いわね」
シャルロットはその金額を見て零した。
「も、もう少しお安いものはないかしら。ほら、きっと、材料とか拘ってるんですよねこれ」
「そうでもありませんよ。一般的な素材で製造されたローブで、これが一般的な値段となっております」
「……まさか、オリアナって物価が高い?」
シャルロットは、恐る恐ると店員の顔を伺いながら訊いた。
店員は困った顔をしながら静かに頷いた。
*
「オーロラよ、物価を下げてくれぇ」
シャルロットは購入したローブをさっそく着ながら、小声で悔しそうに呟いた。
シーラの街並みはオリアナより雑多でありながら、活気に満ちていた。
市場では色とりどりの布や果物が並び、店員たちは威勢よく客を呼び込んでいる。
花壇に咲く鮮やかな花々が風に揺れ、そのそばを行商人や子供たちが忙しなく駆け回っていた。
シャルロットはローブを着込んで、お昼ご飯を食べられる場所を探した。
できれば美味しい店がいいんだけど、と内に秘めながら外観の良い食べ物屋さんを見つけ出した。
店に入ると、どこやら見た事がある女性が二人立っていた。
シャルロットはその二人を目があった。
「またあなたと再会するなんて、本当に嬉しいですわ」
そうやってシャルロットの体面に座り込んだのは、赤い髪をコック帽で隠している女性、リリカである。
この人物はオリアナに来る前に出会った冒険者パーティーの一員で、エレドとアラルドの喧嘩の際にアラルドの傍についていた人物である。
関りというと深い訳ではないが、共に食事会で自己紹介して雑談はした仲であった。
「うちのケーキは美味しいから、是非食べて頂戴よ」
リリカさんは上品な言葉でそう無邪気に微笑んだ。
「ここはリリカさんが経営しているお店なんです?」
シャルロットが尋ねると、リリカさんは頷いた。
「ええ、旦那と一緒にやっているの」
細い指を組み、きらきらと笑みを浮かべた。
そういえば、あのパーティーの中でアラルド以外は故郷に婚約者を置いてきていると言っていた気がする。
リリカはややあってケーキを置くから持ってきて、シャルロットの前に置いた。
すると眼前の人物が、ウフフと笑みを浮かべて言う。
「前にあった時も、こんな具合でしたよね。シャルロットさん」
大きくて丸い黒い瞳にクリーム色のボブヘアに変化はなく、丸縁メガネもたいした変化は見受けられない。あのカシーアで会った彼女と、何一つ変化がない人物がそこにはいた。
天使のような声で、女性は囁いた。
「お久しぶりね」
カシーアで一度依頼を出してくれた女性、メリアがそこには座っていた。
*
メリアはゆっくりとしたテンポでケーキを崩し、口に運ぶ。
そうしてしばらく咀嚼をした。
「美味しいわね」
とリリカに向かって百点満点の笑顔を送った。
リリカは嬉しそうにして、別の客の接客へ向かった。
「……まさか、こんな場所で知り合い二人と再会するとはね」
「旅っていうのは偶然の塊ですからね、あら、ほんとに美味しい」
シャルロットの言葉に、メリアは内心楽しそうに返答した。
思いがけない。確かにそうだ。
リリカやメリアという旅の中で出会った知り合いは、旅の中であるが故に再会することは難しい。
旅をするということは、場所を巡るということだ。
出会いもあれば別れはある。
再会も。
「あのリリカさんとは二ヶ月前ですが、考えてみれば私とはカシーアで出会ってから五ヶ月くらい経ったかもしれませんね。あれからどうです? シャルロットさん。あなたは、自分の信念通り生きているのかしら」
メリアは目の前でコーヒーを飲みながら、言葉を選んで言った。
「そうね。この数ヶ月は色んな事があったわ。でも、うん。信念から外れた感じはないわよ」
そう言うと、メリアは安堵の表情を浮かべ「よかった」と頷いた。
シャルロットは彼女の表情をみて、自身も安心する。
「……確か、メリアさんも旅の人なんですよね? お仕事はあるって言っていたけど、何をしているんです?」とシャルロットはケーキを食べながら訊いた。
「私はパティシエをしてるの」
メリアはやや考えてからそう云った。
「パティシエというと、お菓子を作ったり?」
彼女は頷いたが、どこか言葉を選ぶような素振りを見せる。
「甘いものが好きなの。甘いものが好き……なのかな」そう言いながら、一瞬だけ遠くを見つめる。「無論、私はまだまだ見習いでね。美味しいお菓子を作るために、こうやって旅をして回っている」
「へえ! そうだったんですね!」
「もし次も再会することがあったら、私の試作品を食べさせてあげるわ」
「本当ですか⁉ ありがとうございます!」
シャルロットはぽりぽりと食べ進め、ケーキを完食した。
するとその時、メリアは口を開いた。
「そういえばシャルロットさん、次の旅はどこへ行くのかしら?」
「目的地です? どうして?」
「興味本位ですよ」
メリアは特に特別な意味合いを籠めずにそう首を傾げた。シャルロットは言った。
「……西の帝国、リリモトですね」
「リリモト? それまたどうして?」
「まだ行ったことがないので、そっちにも顔を出してみようかなって」
――シャルロットは嘘をついた。
「…………なるほど」
メリアは静かに頷いてから、シャルロットの顔を見た。
「でしたら、リリモトの城門近くにあるカティサラっていうお店はおすすめよ! あそこのタルトが本当に美味しくて!」
メリアはそう喜々として伝えてくれた。
「そ、そうなんですね。パティシエ見習いのメリアさんが云うのなら、行ってみようかな~」
自身がついた嘘とはいえ、なんとも言い難い背徳感が気持ち悪かった。
シャルロットが何故嘘をついたのか、それは、行き先がバレないようにするためである。
これは目の前の女性、メリアを疑っているのではない。
あくまで相手関係なく『情報を漏らさないために徹底している』だけであった。
次の目的地ラカイムで行われる魔女の茶会は、司教についての情報交換の場だ。
だが、もしその集まりが司教側に漏れていたら、『魔女の卵が全員集まっている』という事実は司教たちにとって好都合だろう。
故に、可能な限り、シャルロットたちは魔女の茶会について漏らさないように注意しなければならないのだ。
喫茶店での食事が終わり、リリカに一言告げてからシャルロットは退店した。
メリアは途中の道までついてきたが、「じゃあこれで」と潔く解散し、二人はまた旅に出た。
この先、こういう再会は一体、何度あるのだろう。
もしかすると、これが最後になる人もいるかもしれない。
シャルロットは振り返る。リリカさんの店がある方へ。
「…………」
建物や人混みに喫茶店は紛れ見えなくなっていた。
シャルロットはこういうものなんだと言葉を呑み込んで、その人混みの流れに身を任せた。