『愚者行進 リッカーマン』
炎月、星月、時月、黙月、老月、破月、閉月、霹月、赤月、新月、無月、従月。
この月日(読みのない記号)になる前の、大昔の物語である。
――舞台の幕がゆっくりと上がり、太鼓の音が空気を強く叩く。
星の大戦争は、星の魔女の誕生をきっかけに起こった。
彼女は都クラムで爆誕し、天外の『宇宙』を発見した。
こうしてその『宇宙』の情報や可能性をかけ、各国がクラムに攻め入ったことが星の大戦争の始まりである。
『宇宙』はあまりに広く、あまりに漆黒で、あまりに美しい。
あの未知なる物質『魔力』も、宇宙から飛来したとされている。
空は、人々にとっての憧れ。だから争いは起こった。
――青い塗装がされた木の板の手前に、黄色い光を放つ物体が漂っている。
これは星空を表現しているとカルは理解した。
星空は動き、そしてその奥にある宇宙を想像させた。
争いは世界各地で勃発した。
ある場所では隣の国が『宇宙』を狙っていると噂がたつと、すぐ王が動き出し隣国を攻撃した。
憧れは伝染するように、欲も伝染した。
そうして世界は、混沌に包まれる。
世界は暗雲立ち込め、破壊が進んだ。
後にラディクラムで聖書として扱われるものも、この時代に誕生した。
混沌は不可解を生み、混沌は人を引き裂いた。
そうして混沌は、更なる混沌を生み出した。
魔女である。
古の魔女が各地で、同時多発的に覚醒した。
――幕が下り、スポットライトが舞台を照らす。
そこには一人の顔を仮面で隠した少女が、祈りのポーズをとって天井を見上げていた。
「私はどれだけ燃え続ければいい」
――少女は縋る様な声色でぽつぽつと呟く。
「私は、どれだけ悲しみに身を任せ、人々を溶かして回ればいい?」
――その台詞を云った傍から、少女の体からは激しい灼熱が噴き出した。
本物の炎である。魔術で纏っているのだろう。
「『焦土の魔女』である私は!」
――少女は悲痛に叫んだ。
「いつまで燃え続ければいいのだ……ッ!」
――その少女の顔色は伺えない。
遠くて分からない。でも彼女が抱いている激情は、その台詞台詞に染み込んでいた。
彼女は苦しんでいる。彼女は混沌に生まれ、混沌に身を落とし、そして希望を掴み損ねた。
カルは彼女に同情した。その時、彼女の前方から一人の男が迫っていき、
「――ッ!」
――男は少女を剣で刺した。
「……あなたは?」
焦土の魔女は、眼前の男を見た。
男は高貴な風貌である。
しっかりと着込んだ山吹色の制服に、白い羽根がついた帽子を被っている。
その帽子は焦土の魔女の焔で吹き飛ばされる。
「私は、」
男は力強く名乗る。
「エリオスカ。杖の貴族のリーダーである」
――エリオスカと名乗った彼は、剣を刺した彼女に抱き着いた。
「苦しかっただろう。アグライア」
「ッ……私の、名前を」
「熱かっただろう。アグライア。かの美女、アグライア。そなたは心を痛め、痛みを発露し化け物と成った。だがその心はいつまでも、人のままでいたのだな」
「……ええ!」
――エリオスカはアグライアの背中を撫でた。
優しく撫でた。
エリオスカの顔は美しい美男子の様に見えたが、カルは周囲の反応からその人物が、天才役者のジェイムズであることを察した。
少女は一杯一杯になり、目頭に涙を溜めているような声を発した。
仮面で表情が伺えないのに、感情が直に伝わって来た。
「逝きなさい、アグライア。そなたの善性は、我々が語り継ごう」
――エリオスカの優しい言葉に合わせて、先ほど下がった幕が開かれる。
その奥には烈火に晒されて逃げ惑う人の声や、崩れる建物がまじまじと広がっている。
少女、焦土の魔女がどういう存在なのか。
それを視覚的に表していた。
その混沌の渦中で、エリオスカはアグライアに歩み寄ったのだ。
焦土の魔女、アグライアは死に行く。
――女性のナレーションが劇場に木霊する。
アグライアは心優しき乙女であった。
それを、誇り高く死なせたのはエリオスカである。
これは彼の始発点であり、彼の長い長い戦いの人生、そして終わりの物語である。
人々は彼を『愚者』と非難した。
だがその愚者行進は、いつしか愚者団の行進となり、世界に平和を知らしめたのだ。
*
劇はつつがなく進んで行った。
杖の貴族はサーカス劇団の一員であったエリオスカが偶然発見した『魔術』を使い、無差別に人を助け、そして戦争を終わらせるために活動するという筋書きだ。
エリオスカは最初孤独であった、故に魔術を用いて人々を救うのも、いずれ限界がやってくる。
しかし、いつしか彼の活動に心を打たれた同じサーカス劇団員や、救われた者たちが一堂に会し、瀕死の彼の助力を行った事でそれらは団体となり、『杖の貴族』は『団体』として有名になった。
史実では彼らは突然姿を消し、華々しい英雄譚が途切れたままとなっている。
その原因は今になってはもう分からない。
魔女との戦いで死亡したか、崩壊の魔女の災害に巻き込まれたのかさえ、不明だ。
だが、彼らの事を記した戯曲『愚者行進』は現代になっても受け継がれ、愛されている。
この『愚者行進』のラストは、エリオスカ以外の団員が死亡し、最後にエリオスカがその身をもって魔術を封印しようと奮闘するも、仮団員だった少年の愚行により魔術は世間に広まり、エリオスカは死亡する。
*
――幕が上がると、荒海の激しい音と細かい水しぶきが乱暴に飛び交い、海食崖で膝をついたエリオスカは、涙を流しながら叫んだ。
「……全ての魔女を討ち屠った。その行為の末、世界はまた安寧を手にした。しかしこの力は、この魔術は残しては置けない」
その間、エリオスカの背後には一人の少年が近づいている。その少年は涙を流しながら、一つの剣を右手に恐る恐るエリオスカに近づく。
「いずれ誰か聡いものが、私と同じように魔術を発見するだろう……だが、今ではない。戦乱が収まりつつある今、この禁忌の技術は闇に葬らねば――」
――低いオルガンの音色が劇場に轟いた。
それは同時に雷鳴が、二人のシルエットを壁に大きく見せる。
少年の刃がエリオスカの背中を貫いていた。
エリオスカは言葉も零さずその場に倒れる。
少年はそこで大泣きし、彼の杖を拾い上げ、そして、少年は混乱する脳内で最終的に、エリオスカの死体を崖から突き落とした。
「うわっ」
――少年は嗚咽を漏らす。
そして思わず、少年は、少年も、エリオスカの後を追った。
愚者行進はこうして幕を下ろす。
万雷の拍手が刹那に響き渡った。
カルも同じように拍手をした。
しばらくしてから幕があがり、カーテンコールが始まった。役者がひとりひとり人間らしい顔をみせお辞儀をしていくが、
その中に、何故か天才役者ジェイムズの姿は無かった。
とたん、異変が始まった。
まず役者たちのカーテンコールを終えたあと、何故か劇場の出入口が開かなかった。
どうやら職員が観客たちを足止めしているようである。
その状態でカルとザザは数十分待たされる。
やっと出入口が開かれる。
観客たちは混乱しながらも歩を進め帰宅しようとする。
が、一部の観客は職員に止められ、何かを話した後に劇場の奥の方へ案内されて行った。
カルとザザはあの青年の企みかと睨み、その様子をずっと観察していた。
すると二人も職員に呼び止められる。
「お客様はあちらの席にお座りになっていましたか?」
職員はそう仰々しく訪ねてくる。
「ああ」「そうですけど」
カルとザザは短く応えると、職員がこちらへと案内してきた。
案内されるままに劇場の奥へ進むと、そこには人が集められた広い部屋があった。
恐らく稽古などに使う場所なのだろう。
集められた人々は観客が殆どであり、そこで職員からは待機してほしいと頼まれる。
その時、ザザは気が付いた。
「全員、俺らと同じ列の観客だ」
ザザの言葉を聴いてカルは他の人の顔を伺うも、実のところ同じ列に座った人々の顔は覚えていないのだった。
だがザザが云うのなら、きっとそうなのだろう。
ややあって数人の職員と、劇場の上でついさっきまで演技をしていた演者が部屋に入ってくる。
事情を全く察していない観客たちはそれに驚きと嬉しさの声を上げるも、演者の顔色は酷く蒼白としたものだったから、集められた観客はすぐにしんと押し黙った。
「こんな遅い時間に集まってもらって申し訳ない」
と、一番偉そうな白い髭を蓄えた老人が右手を上げて呟いた。
「皆さんに少し聞きたいことがあるんだ。それは最後の幕、エリオスカの死の瞬間、皆さんは何か不審な者を舞台で見なかっただろうか? なんでもいいんだ」
老人の聴き方や腕の仕草は、多人数へ話しかけるのを慣れている感じがした。
その問いは、その場の観客に様々な憶測を植え付けた。
カルとザザには覚えがなかったため、二人とも黙っている。
不審な点と言われても初めてみる劇だったから、何かおかしな部分と言われてもピンとこない。
「……支配人」
すると、白い髭を蓄えた老人を『支配人』と呼んだ女性の演者は、彼に耳打ちをした。
聴いた支配人は肩をぴくりとさせ、嫌気を含んだ表情で大きくため息をついた。
そして支配人は「みなさん、言葉足らずでした。具体的な状況を説明します」と告げ、
「役者ジェイムズが、演目中に死亡しました。他殺です」
後に彼が『舞台監督』であったことを知るのだが、その時の彼の云い方はまるで劇の中の役者のようだった。
だから、その場に集められた観客たちは、
自分まるでいま舞台の上で立っているような錯覚をして、
互いの顔を見合わせた。
*
悲報 天才役者ジェイムズ 演目中に死亡
昨夜八時頃、役者のジェイムズさんが『愚者行進』演目中に意識を失い、現場で救命活動が行われましたが死亡しました。関係者・騎士団は具体的な死因を伏せており、捜査が進められています。
と、大きな見出しで書かれた新聞を読みながら、シャルロットはコーヒーを飲んだ。
朝陽が上り宿の中に太陽光が漏れ出した。
鳥の囀りが聞こえ、街が喧騒に包まれ始めた頃、彼女はそのニュースが新聞になっているのを発見した。
しばらくして背後の部屋からカルが起床してくる。
シャルロットはカルにその新聞を見せた。
「具体的な死因は伏せているんだ」
「そうみたいね」
二人は昨日の深夜に帰って来た。騎士と劇団関係者の事情聴取に同伴し、帰って来たのは夜も更けた時刻。
シャルロットは二人が帰ってくるまで起きており、帰宅を迎えて夜ご飯をご馳走した。
そこであらかたの事は聞いている。
息をつき、シャルロットはもう一度新聞の文章を読んだ。
「死因を伏せるっていうことは、カルの云う通り他殺の可能性を調べているんだろうね」
シャルロットは新聞を机に投げ捨て言った。
「そうなんじゃないかな。少なくともその事件が起きた直後の劇団の人は、他殺であることを、まるで分かり切ったように言っていたから」
「なんにせよ、嫌な事件に巻き込まれちゃったわね。カルはもう落ち着いてる?」
目の前で人が死ぬというのは衝撃的なものである。
シャルロットも経験があるから分かるが、『死』というのはある意味は魅惑的であり、そして危うい存在だ。
それを目前にしてしまうと、自分が生きているのか死んでいるのか、そして『何故生きるのか』という人々の根本的なテーマが、ぐらりと揺るいでしまう。
『死』は、人を両足で立てなくする。
「実感がないから、僕は大丈夫。死んだって言われても死体を見せられたわけじゃないし、最後の瞬間も劇の一部だと思ってたから」
「改めて聞かせてよ、具体的に劇団の人たちから何を聞かれたの?」
「えっと」
カルはシャルロット前の机に座る。
「まず何か見なかったかって聞かれた。物語のラストシーン、ジェイムズさんが演じるエリオスカが死んじゃう場面で、変な事はなかったかって」
「どうだったの?」
「変な所なんて分からなかったよ。だってみんな演者なんだよ? 役に入り込んだ人に違和感を持つなんて出来なかった。だから僕らは「特に」って答えた」
「他の人は何か言っていた?」
「一人だけ、舞台からエリオスカ(ジェイムズ)の死体を突き落とすとき、演者がエリオスカの事を蹴って崖から落とすんだけど、その時の落下がちょっとリアルすぎたって言ってた」
落ちどころが悪く、首を追ってしまった……とか?
「でもね。それは劇団の人が否定してたの。何でも、死体の状況から死因が首の負傷ではなかったみたいで」
「……ふうむ。ちなみにカルは劇団の人が云っていた死因を知ってるの?」
カルは「うん」と頷いてから、
「剣が胸を貫いていたんだって」
「え?」
「その、シャルロットは劇を見てないから想像しきれないと思うんだけど、劇中でエリオスカが死ぬのは少年に剣で刺されるからなんだ。背後から刺されて、何も言わずにぱたりと倒れる。そしてその少年は気が狂ってエリオスカを崖から落とす。そして少年も後を追って」
「じゃあ、その少年役の人がジェイムズさんを殺しちゃったのかな?」
「それが違うんだ」
カルの言葉に、シャルロットは混乱した――。
「これは僕らの席の列とか関係なくて、少年役が剣をジェイムズさんに刺した時は貫通してなかった。画角的に刺さったように見せていた。だから実際は、剣はジェイムズさんの脇下突き抜けていたんだと思う。そして彼女はそれを脇で挟んで、絶命する演技をして、崖から落とされた」
「……つまり、今ある情報で推理をすると、ジェイムズさんは崖から落ちた後、何者かによって剣で殺された。ってこと?」
「うん。多分ね」
「実際に現場を見た訳じゃなくて、僕は観客だったから分からない部分の方が多いけど」とカルは付け加える。
「同時に、少年役の容疑は晴れている」
とたん、奥の部屋からザザが起き上がりそう云った。
「おはよう」
「おはよう」
「それで、少年役の容疑が晴れたってどういうこと?」
「なんだカル。まだあの事を伝えていなかったのか」
ザザはカルに視線を注ぐ。するとカルはため息をついた。
「嫌だよ。言いたくない。考えたくもない」
「そうか」
「え? どういうこと?」
「シャルロット。お前はグロテスク耐性はあるか?」
ザザはコートを羽織りながら尋ねた。
シャルロットは「ない訳じゃない」と言う。
「なら、心して聞け」
ザザはシャルロットが用意した朝食をキッチンから持ち出し、カルが座っていた椅子の横に座った。
カルはザザが座る直前に立ち上がり、散歩してくると云って部屋から出て行った。
「カルはこの事実を想像したくないらしい。仕方ないことだ」
「まだ経験がないからね。それで?」
「ああ」
シャルロットはザザの顔を伺うと、ザザはやけに溜めて言い放つ。
「酷い血痕だったそうだ」
「血痕?」
「エリオスカの後を追った少年役が死体の第一発見者なんだが、彼は崖の下でとんでもないものを見てしまった。それは、エリオスカ役のジェイムズが捨てられた人形のように倒れ、その周囲には激しい返り血が飛び交っていた現場だった」
「……なるほどね」
シャルロットはふと脳内に、凄惨な現場を思い浮かべた。
カルが嫌がったのも頷けることだ。
ザザは続ける。
「無論、そこまで返り血が飛び交っているのなら、普通に考えれば分かる通り『返り血』は殺人鬼の衣服にも付着しているはずだ。現にステージ裏の床下から、誰かが着ていた血だらけの雨合羽が見つかっている」
「ちょっと待って。少年役は服が汚れていなかったから無実って判断なら、雨合羽の発見と矛盾するくない? それが見つかったんなら、少年役が下に落下した後に雨合羽を着てジェイムズを刺し、その雨合羽を隠してから死体を発見した体にすれば……」
「その可能性を潰すのが『時間』だ」
ザザはシャルロットのひらめきを一刀両断した。
「ジェイムズが崖に落ちてから、少年役が死体を発見するまで四分くらいだったそうだ」
「あっ。でも少年役は上で狂った演技をしていたから……」
「そう。だから実際に彼が殺人を起せる時間は、一分もなかったんだ」
「そうすると、自然に少年役の人が犯人は、難しいよね」
シャルロットは背もたれに体重をかけ、天井を見た。
「まあ~私達は別にその事件の渦中にいるわけでもないし、気は楽ではあるんだけども、さ」
「……実は、そうでもないんだシャルロット」
「え?」とシャルロットは起き上がってザザの顔を見た。
ザザは朝食を食べながら、劇場に入る時に出会った青年について説明した。
「ちょっと待ってよ、もしかしてその人が犯人かもしれないって言いたいの? そうだとしたら、うちらがっつり関わってるじゃない!」
「断定はできないが、少なくともあの男がこの事件について何か知ってはいると思う」
そう落ち着いてザザは云い終ると、静かにお茶を飲んで息をついた。
宿の室内に静かな空気が流れた。
その空気には、見るなと言われた箱を開けようか迷っている時のような焦った感覚が含まれていた。
「とにかく、今日も取り調べはあるんだよね?」
ザザは肯定する。「カルと昼の十二時に劇場に集合することになっている」
「私は別に呼ばれてないから行かないけど、チビは付けておくわね。何かあったらすぐ向かうわ」
「ありがたい。今日の取り調べであの男についても話そうと思っている。格好とか仕草はよく覚えているからな」
また、室内に静寂が充満した。
言い表しがたい不安が水面で脈動し、波紋を広げてシャルロットを煽っていた。
シャルロットはそれを、(気持ち悪い)と形容した。