十二時が刻々と近づいていた。
カルとザザはいわれた場所へ向かっている途中だ。
今日はよく晴れていた。
曇が一つも見当たらないくらい、よく晴れ晴れとしている。
だからか街は活気に満ち溢れていた。
「ねえザザ」
カルは歩きながら名を呼ぶ。
「もし、劇団の人たちが共謀してあの天才役者を殺したとしたら?」
「どういうことだ?」
ザザは首を傾げてカルを見る。カルは前方をじっと見ている。
「よくある動機だと思ったんだ。嫉妬は」
「……なるほどな。その可能性もあるのかもしれない。実際、『天才役者ジェイムズの狂演は、大陸に轟くくらい有名だ』。思い返せば、事件が起きた後に役者たちはさも平然とカーテンコールに来ていたが、それが共謀の証明に一役買う気もする。とはいえ具体的な証拠がないし憶測じみているから、それはまだ妄想に留めておいた方が良い」
「分かってるよ」とカルは伏目になっていう。
「……」
「……」
「カル。これは俺が、シャルロットから言われた言葉なんだがな」
「え?」
「シャルロット曰く、人は人として死ぬべきだそうだ」
ザザが云った言葉は、確かにシャルロットが言いそうなものだった。
カルは少し口角が上がる。
「俺はこの言葉をこう解釈している。人は人生の中で、人である事を忘れる場合がある。それは様々な要因がある。例えば労働だ。金が絡むと人は人ではなく労働力として加算され、世間からもその人物すらも自身を人ではなく労働力と認識する。他には飲食店を経営し、自分はお客さんを喜ばせる存在なんだと考え、機械的に調理を続ける人もいる。もちろんこれらに例外はあるものの、大抵の人間は自分に当然とある『人としての営み』を放棄する」
「シャルロットは多分、そういう人たちを否定しないよ」
「その通りだ。だからこれはあくまで、俺の解釈だ。人は自分に人としての営みが可能であることを忘れることがあって、だから、人として死ぬべきであるという当たり前をこなせない。人には知能がある。理性がある。想像力がある。だから決して、どんな人間も等しく、動物のように野生で突然のアクシデントにより死亡するというのは、あってはならないことなんだ」
「……でも、人ってそんなに偉いのかな」
「人は傲慢だよ」
ザザはぶっきらぼうにそう言い放ち、
「だから俺は、傲慢であれと言いたいんだ」
とザザは力強く呟いた。
(役割……)
カルはそのザザの解釈の全てに共感を示したわけではない。
一部は同意するも、少し違う気がした。
カルは思案する。
*
劇場に到着し、正面から中に入る。
ロビーへ顔を出すと、そこには昨日会った人が二人待ち構えていた。
「お待ちしておりました。ザザ・バティライト様、カル様」
一人は黒い短髪の爽やかな男性で、顔立ちはとても綺麗な人物である。
彼は礼儀正しいお辞儀を披露し、二人を歓迎する。
「すいませんねぇ、お時間を取らせてしまって」
もう一人はベージュの帽子と白いシャツを着た中年の男性で、彼は大きく構えて二人を出迎えた。
彼らは順に劇団所属の役者、ノエル・ヴィンセントと、駐在所の騎士の一人、エイモン・ウィンターズである。
この二人は昨日の事情聴取にも居たので顔と名前を憶えている。
エイモンの手間招きによりカルとザザは奥へ案内され、また昨日と同じ個室に案内された。
そしてエイモンは二人の前に大袈裟にお尻を下ろし、手帳を取り出してペンを握る。
「さて、昨日もやりましたが。また当時の状況を詳しく教えてください」
エイモンは傲然とした態度で問いを飛ばした。
「俺らは突飛な思いつきで劇を見たかったのだが、席が全て埋まっていて入れなかった。すると背後から山高帽子をかぶった青年が現れ、あの席のチケットを譲渡された。山高帽の男と俺らは面識がなく、最終的に不審に感じた俺が武器で切り付けたら、奴は『羽』を周囲にばら撒きながら逃走した」
ザザの説明を聴いて、エイモンは怪訝な顔つきになる。
「確かザザさんは傭兵なんだよね? その勘が男を不審と感じたから武器を取り出した」
「その通りだ」
「一応聞いておくけど自衛だよね? 殺すつもりとかは無かった?」
「もちろんだ」
「ふむ」とエイモンはペンを頭にぐりぐり押し付けた。
「確かに昨日の昼、『羽』が劇場の前でばら撒かれたのは証言者がいるし、その『羽』もここにある」エイモンはザザの前に羽を置いた。「これについて調べたが、使えそうな情報はなかった。まあ、一先ずお前さんのそれは信じよう」
「信じるのですか?」
そう訊いたのはエイモンの背後に立っているノエルである。
「信じる」
エイモンは言い切った。
「……分かりました」
「それで、その男についてはこちらも調べを続けている。重要な情報、感謝する」
「…………」
「…………」
「え? なんだ。この間は」
「感謝だけか? こちらは危険を冒して情報を渡したんだ。情報には価値がある。それを忘れないでくれよ」
ザザはエイモンをじっと見つめた。
しばらく考え、エイモンはこの人物が傭兵であったことを思い出し、大きなため息をついた。
「分かった分かった。少しばかりの餞別だ」
「報酬と言え」
ザザは少額だがお金を貰った。
カルはちょとだけ呆れた。
それから事情聴取は続き、ジェイムズが最後に演じたあの演目の話題になる。
「観客席から見て分かったことは既に聞いたな。少年役のドリスタンは無実だと考える方が無難だとお前は云った。そうだろう?」
エイモンがザザ問うとザザは頭を縦に振った。
「あの状況からみて、あの人物が犯行現場と一番近かったが、一番犯人像から遠いと感じた」
「あの」
ザザの横で黙っていたカルが手を上げた。エイモンがカルに目線を移した。
「どうした?」
「一応、その。観客席側に座っていた僕らの証言の中に、『落下がリアルだった』というのがありましたよね」
エイモンとザザが頷いた。
「僕、落下がリアルだったっていうのが少しだけ違う受け取り方ができると感じたんです。その、これはあくまで僕の推測なので、あまり参考にならないかもしれませんが」
「構わない。話してくれ」
エイモンはカルの言葉に食い入るように促し、メモを取る。
「あのセットの真下で、誰かが本物の剣を上に掲げて待機していたんじゃないですか?」
「ほう?」
「死因が剣の貫通によるものなのは僕も知っています。そして崖の下では悍ましい光景、血痕があったのも聞きました。でも崖の下に落下したあと、剣で一刺ししただけではそこまで激しい血痕にはならないと思うんです。『落下がリアル』はまるで【落ちる様子】がリアルだったとも感じるんですが、本当は【落下した後の音がリアル】だったのでは? ……もちろん、僕は現場をみていないので、きっと、間違っているとは思いますが」
「それがあながち間違いではないとしたら、君はどう考える?」
カルの自信なさげな言葉に、エイモンは冷静と返した。
カルは目を見開き、エイモンの顔をみた。
「君の推理は実際正しい。我々も同じような結論に至った。現場の凄惨さや死体の倒れ方、剣の刺さり具合を統合して再現してみた。すると、落ちた後に彼女を刺しただけではああも酷い現場にはならないと結論が出た」
「つまり?」
「そう。君の推理は正確だ。犯人は崖の下で剣を掲げ、演技した彼女が落下するのを待っていた。そして彼女が落下してきたのを見計らい、彼女の落下地点に剣を向けて、殺したんだ」
エイモンはカルの目を見る。薄い赤さがある綺麗な瞳だ。
「君は、もしかすると」
エイモンはカルを見つめながら云う――。
「もう一つ、ある事に気が付いているな?」
「何?」
ノエルが不満げに言葉を漏らし、ザザがカルを横目に見る。
カルは静かに頷き、エイモンに向かって云った。
「犯行に使われた雨合羽は見つかったのに、直接的な凶器である『剣』はまだ見つかっていない。そうですよね?」
カルの言葉を聴いて、エイモンはにっと皺を寄せて笑った。
*
カルとザザは個室から連れていかれた。
エイモンが主となり、劇場の入り組んだ道を歩いて行った。
「どこへ?」
とカルが問うと、エイモンは云う。
「現場を見せてやろう」
「そんなことが、本当に許されるのか?」
ザザがカルの疑問を代弁していうと、エイモンは笑った。
「いいんだよ。こんな辺境の街じゃあ規則を重んじるだけ、報われる事なんてねえからな」
エイモンがノエルの抗議を跳ねのけて二人を案内しているのは、理由がある。
それは、カルとザザの推察力の良さだ。
エイモンは比較的優秀な人間だが、如何せん暇を謳歌している。
こんな街に左遷された身であるからだ。
元々彼はオリアナに居たのだが、諸事情があり周囲から嫌われていた。
その一端として掟破りな性格も、もしかするとあったのかもしれないが。
エイモンを先頭に小道具が置かれている広い部屋を通り抜け、メイク室を通り、そして彼らは舞台の上に立っていた。
「す、すごい」
カルは舞台の上から観客席を眺める。
想像よりもずっと席からの視線が集中しており、息を呑んだ。観客席の証明はついていない。
「演者さんって本当に凄いんですね」
思わず呟くと、ノエルが悪態をつきながら、
「役者は元来目立ちたがり屋が多いですからね。もちろん、そういう性分じゃなきゃやっていけないってだけでもありますけど」
ノエルは頭の裏を掻きながら云った。
エイモンの破天荒さに言及するのは諦めたみたいだ。
舞台の上は広く、様々な小道具が観客席から見えない脇に置かれている。
よく見るとそれら道具は、昨日の劇に使われていたものが多くあった。
「あの家の小道具って真っ二つになっていたんだ」
「ああ、あれは……」
カルが興味本位で呟くと、ノエルは「しょうがないな」と教えてくれる。
「大体の小道具は折り畳めたり、分解できるようになっているんだ。美術さんたちが色々やってくれていてね」
「なるほど……それって、どのくらいまで自作しているんです?」
「ほとんどが自作だよ。小道具も装飾も。そういう仕事なんだ。舞台美術っていうのは」
ノエルは細い指を広げ、肩をすくめて言い放つ。
「この場所で殺人があったのか?」
ザザが問うと、エイモンが背中を向けて慎重そうな声を出す。
「いや。厳密に言えばこの舞台の上ではなく、舞台の上に設置されたクッションルームだ。クッションルームは自由に動かせるようになっていて、今は裏の方に移動させてある」
「では、どうしてこの場所に連れて来た?」とザザが背中で語るエイモンに尋ねると、エイモンは舞台の真下に指を指し、
「その場所で血だらけの雨合羽が見つかったんだ。当日の場所でいうなら、クッションルームの出入口があった箇所。床下に雑に捨てられていた。問題は、どこに凶器が捨てられたかだ」
エイモンは人差し指を立てて意味深に云った。
その場に立っている三人は、エイモンの仕草に注目した。
「カルくんの言う通り凶器の『剣』がまだ見つかっていない。だが、あの短時間で凶器を隠せる場所と言えば、この舞台上しかないだろう」
「その時、舞台に入れたのは何人くらい居たんです?」
「少年役だったドリスタン。親友役のガレン。ミレイア役のカリオペと」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! そこまでこの子に教えなくともよいでしょ?」
エイモンが髭を触りながら順番に情報を語り出したところを、ノエルが叫んで静止させる。
「確かにカル様の勘が良いのは認めますが、ただの子供ですよ? まだ表に情報も出していないのに、何故全てを伝えるんです!」
「訊かれたからだ」
「いやいや、だから!」
「『黙れ』――」
刹那、野太くよく通る声が舞台上を通過した。
その場にいた四人は声の方向へ視線を投げた。
舞台から見える観客席の中心に腰かけている男が、全員の顔を見て唾を吐き捨てるように云う
。
「まるで、『ハトに豆鉄砲』だな」
男は椅子から立ち上がる。
「あの人は……」
観客席の照明がついていないのですぐには分からなかったが、観客席に立っている男は昨日、ジェイムズが他殺されたと告げてきた『監督』であった。
「監督のヨリック・ベンソンだ。以後よろしく。『ノエル』。直接的な悪意は悪意しか生まないが、間接的な悪意は善意を生むことがある。この言葉は誰の引用か分かるだろう?」
ヨリックがゆったりとしたテンポ感で云うと、ノエル・ヴィンセントは叫ぶ。
「もちろんであります! リッカーマン『愚者行進』です」
「よろしい。簡単すぎたな。では、俺がこの言葉を『どういう風』に捉えているか分かるか?」
「……それは、分かりません」
「答え合わせをしてやろう」
ヨリックは語りながら観客席を下り、両手をズボンのポケットに入れながらやってくる。
彼は前髪を首の捻りで飛ばし、階段を上って舞台に立った。
「この言葉の意味は、『悪意』はクソなのに、『善意』を生み出す可能性があるということだ。考えて自分なりの答えを出さなかったな。流石は天才に届かなかった男、ノエル・ヴィンセントだ」
「聞いていた通り厳しい方のようだ。ヨリック監督」
「厳しい?」と、エイモンの言葉に疑問符を打つのはヨリックである。
「まさかエイモンさんは、俺がノエルを批判したと思ったのか。それも、そうか。まあいい」
ヨリックは息を吐いてから煙草を取り出し、ライターで火をつけて煙を吸った。
「役者っていうのはな、『自分の為に』役を演じてはいけないんだ」
「ほう」
「自分が感動したから。自分が共感したから。それ、『お前が』共感しただけで、『キャラクター』は全然違う。俺は役についてはよく厳しくしているものでな。だから、俺の劇では個人の考察を一切捨てている。全体を俺が見て、俺が役を理解して指導する。役者はそれをこなし、表現する。役者の自己的な主張は『多くの場合』、あまり当てにならない。――その点、『ジェイムズ』の演技は『光る物があった』。俺は彼女にだけ、『自己主張』を『許している』」
ヨリックは静かに舞台の奥を見た。
じっと、見つめ、薄ら笑いを浮かべた。
「哀しいものだな。もう彼女の豪語を聞けないとは。年寄りを置いて、先に逝きやがって……」
ヨリックは渋々と呟いて、煙草をくわえる。
「ヨリック監督……ここは禁煙ですよ」
「こんな時に『無粋』だな、ノエル。いいだろう。俺はジェイムズと共に煙草を吸う仲だったんだから」
エリック監督はしばらく煙草を吸うと、吸い柄を持参した水筒の中に入れた。
そして彼はエイモンに視線を移して、
「エイモンさん」
「はい」
「必ず、犯人を捕まえてください。俺は劇団の資産がなくなったことが許せないんじゃない。人として、仲間を損なったことが残念でならんのです」
エリックは小さな瞳でエイモンを見つめた。
その瞳は最初、なんてことのない大人の目元に見えた。
だがエリックが言葉を云い終ると、まるでその瞳がうるうると泣き出しそうな風に見えて来て、エイモンは深く頷く。
カルは(これが役者を指導する監督の技量なのか、それとも……)と、無粋な事を考え、頭をすぐに振った。