「……へえ」
シャルロットはちょうどその頃、宿でゆっくりとお茶を飲みながら読書をしていた。
最近はカルに触発されて読書が趣味になりつつあるのだ。
もともと字を読むことが苦手だったが、一度コツを掴んでしまえばそれを克服することが出来た。
「……」
たまにシャルロットは机の上に置かれた本をチラ見する。
その本は、あの『時の魔導書』である。
これに文字が刻まれた時をシャルロットは思い出した。
あの年越しの夜、ザバクの居場所をいきなり書き記したこの本。
まだこの本が誰が作ったもので、何故あの時、的確に我々へ
ただカルの推測として、本の名前である『時』というのが関係しているのではと云っていた。
「……古の魔女の中で、唯一死亡が分かっていない魔女か」
――その名も、『時の魔女』。
好きな時間を渡れたと言われる『時間』を司る魔女。
それが、時の魔女。彼女は失われた星々の戦い。
あの大戦の後から消息が不明であると聞いている。
もしかすると、その古の魔女の一人、時の魔女が、この魔導書の所有者なのかもしれない。
その瞬間、唐突に宿の部屋の扉が叩かれた。
「……え?」
シャルロットは椅子から立ち上がった。
カルとザザは鍵を持っているはずだから、二人ではない。
なら、誰?
シャルロットは恐る恐る扉に近づいていく。
その間もドアは間断なく叩かれていた。
「……ど、どなた?」
「――――」
「あ、あの……」
シャルロットは扉を挟んで問うと、向こう側の人は一瞬静かに鳴ってから――、
「ボクだよ、ボク」
「え?」
扉の向こうから、少女の声が聞こえて来た。
シャルロットは首を傾げる。
「ボーク」
少女はそうやって自己主張をするも、分からない。
確かに聞き覚えがあるような気もするが、少なくとも直近に話した人物ではないようだ。
「ぼ、ぼーくさんって人は知らないんですけど、もしかして部屋を間違えていませんか?」
とシャルロットは小さく言ってみた。
「だーーかーーら!」
扉の向こうの少女は声を荒げ、そして大きな声で名乗った。
「ボクだって! 探偵、ニーナ・ヴァレンタインだ! 無名の魔女! 忘れたとは、言わせないからな!」
*
劇場を後にした三人は、少し歩いた場所にある喫茶店に入った。
ザザが先頭で店に入ると中から赤髪の女性が元気よく挨拶をしてくれる。
そうして喫茶店に、カル、ザザ、そしてエイモンが入店した。
三人は席について、コーヒーとケーキを注文する。
(あれ、なんかあの人見たことある様な……)
とカルは赤髪の女性店員をみて既視感を感じるも、答えが出る前にエイモンが口を開いた。
「さてさて、悪いね、着いてきてもらって。ちょうどさっき部下から調査報告が来たもんで、関係者であるお二人にも聞かせようかなと」
エイモンはそう言い、ポケットから封筒を出して振った。
そしてそれを開いて、中の紙をくしゃくしゃと広げた。
「山高帽とブロンド髪の男について」
エイモンはタイトルを読み上げ、一読しながらゆっくりと読み上げる。
「その男の目撃情報はほとんどなかった。シーラから遠く離れても、山高帽とブロンド髪の青年について、合致しそうなものはない。だが、調べている最中にとある興味深い情報を発見したので記しておこうと思う」
エイモンは一息挟んだ。
「一ヶ月前、北の技術都市で暴れた男と、背丈、髪の色、喋り方が似ている」
「ほう」
ザザが興味深そうに唸った。
「おかしいな。一ヶ月程度で北の技術都市から南の果てまで移動するなんて?」
ザザの疑問にカルは確かにと感じた。
真反対の都市から一ヶ月程度でこの場所に来れるのかと考えると、それが可能とは思えない。
「その通りだな。だから、俺の部下もこれは有り得ないと思っただろう。でも、合致しているものがこれしかなかった。何かのヒントにはなるかもしれん。して……」
エイモンは紙に視線を移してから、眼前の二人に戻すと。
「その男の名前は、『怪盗』ジェイ」
「怪盗だと?」
「そ、それはまた素っ頓狂な」
ザザは疑問符を打ち、カルはそう愛想笑いを浮かべた。
怪盗というのは、創作の常連的存在であるものの、一番現実からほど遠い存在だ。
カルは『怪盗』について創作でしか見た事がなかったから、余計馬鹿らしく感じる。
しかし、エイモンの顔つきはそうではない。
「実はな。あんまり噂にはなっちゃいねえが、この世界にも『怪盗』と名乗る物好きがいる」
エイモンは書類を机の上に置いて、両手を組んだ。
「西の黙示録を盗み、ケイデスの王冠を盗み、リヒトライヒ邸から古文書を奪った。オリアナの水門の鍵を、アナベルの指輪を、空上のバドルソードを、王宮テーブルマナー完全版を、――全て、その『怪盗』が盗んだ物達だ」
(そ、そんな人物が本当にいるなんて)
「……知らなかった」
「それも仕方ない。別に特別、知名度がある訳じゃないからな」
エイモンは背もたれに体重をかけ、天井を仰いだ。
カルとザザはエイモンが机に置いた書類を手に取り、一緒に読む。
「確かに俺らが接触したとき、『羽』を使って逃亡していた。あれは常人技ではなかった」
「そうだね。確かにあれは普通じゃない。もしかすると、本当に……」
「だがー」
エイモンは天井を仰ぎながら云って、またカルとザザを見つめる。
「この劇場の件に、こいつが関与しているというのは少し早計な気がする」
とエイモンはコーヒーを飲みながら考える。
「どうしてです?」とカルは首を傾げた。
「っ……こいつは有名なんだ。『殺し』はしないって」
エイモンは熱々のコーヒーに狼狽えながら応えた。
「とりあえず、一旦情報をまとめようと思う」
エイモンはケーキがついた口でそう仕切り。
エイモンは杖を振って『怪盗』についての報告書裏に文字を刻む。
「容疑者は多くても九人」
■容疑者
・少年 役 ドリスタン・ボウマン
・親友 役 ガレン・リードチャー
・ミレイア 役 カリオペ・シンセサイズ
・マクスウェア 役 ノエル・ヴィンセント
・サイクレ 役 カナベ・ロクサベス
・星の魔女・焦土の魔女 役 カーミラ・アブラエル
・ドレイア 役 ブラーベ・トプソン
・舞台美術 サシーヤ・ドラゴ
・舞台監督 ヨリック・ベンソン
■アリバイ
ドリスタン――舞台の上で演技中だった。証人は観客席の全員。第一発見者。
ガレン――舞台美術のアシスト。証人は他の舞台裏の職員たち。
カリオペ――メイク室でカーテンコールに合わせて準備中。証人はメイク師。
ノエル――舞台脇でカーテンコール待機。証人はカーミラ。
カナベ――控室で休憩。証人はなし。
カーミラ――ノエルと共にカーテンコール待機。証人はノエル。
ブラーベ――お手洗い。(メイク室についているトイレに行っていた)証人はメイク師とカリオペ。
サシーヤ――小道具の整理。証人は他の美術班
ヨリック――関係者席。証人は劇場関係者
「多いな……」
「そうだな。もちろんだが舞台中は、裏でせわしなく大勢の演者や裏方が行き交っている。だがその中でも舞台の状況に詳しく、また少しでもジェイムズの近くにいた人物たちを絞った。本当は裏方も容疑者ではあるんだが、劇場関係者に話を聞くと裏方は常に人数が足りていないらしく、あのタイミングでは一人抜けただけでも目立つそうだ。だから、裏方は含んでいない」
「なるほど……だからこの九人が容疑者なんですね」
カルは難しい顔をして書き出された紙を凝視した。
九人の容疑者。流石に多すぎて混乱しそうだ。
だからこの場合、一番直接的な証拠である凶器を探した方が、もしかすると事件解決は早いのかもしれない。
とカルは想う。するとエイモンがケーキのスプーンを突き出した。
「俺の勘で言うのなら、あの監督は少し怪しいと思っている」
「それは俺も同感だ」
エイモンの言葉にザザが賛同する。カルは二人の意見に疑問符を打った。
「まずあいつは口達者だ。喋り方から何を強調するべきか分かっているようなやり手だった」
「それこそ、『怪盗』かもしれない奴と同等かそれ以上の技術を感じた。俺は、というよりエイモンさんも似たようなものだろうが、職業柄、悪意には敏感なんだ」
エイモンはザザの言葉に激しく同意した。
「それに俺らの前でわざわざ死者に憫察しやがった。見せつけるようにな」
「俺もそのあたりは気になった。意図的な行動だとしたら、あれは策士だ」
互いの意見は共鳴し、そしてそれは議論へと繋がった。
二人は互いに監督が犯人である仮定してアリバイ、そして凶器について再現している。
だが、その傍らでカルは、自分の思考に浸っていた。
(……僕にとってあの人は、
本当にジェイムズさんが死んだことを哀しんでいるように見えたのに。
やっぱり大人の経験的な勘に、僕は勝てないのかな?
いや、ここでこうやって萎縮したら僕らしくない。
大人だからって盲信するのは違う。
僕は、僕の考えで生きていていいんだ。
だから、僕はあの人の気持ちを信じて、考えてみよう)
カルはコーヒーを飲んだ。そしてコーヒーに揺れる反射した自分を見つめる。
(『雨合羽』、『凶器の剣』、『時間』、『舞台下』、『容疑者』。
まず検証が足りてない場所から考えよう。
犯人は演技で落ちて来たジェイムズさんを掲げた刃物で突き刺した。
その後、返り血を浴びた雨合羽は床下に雑に隠したが、
きっとその時、上で演技していたドリスタンさんが下に降りてきそうだった。
時間がない事を察した犯人は雨合羽だけ隠し、凶器をどこかに隠した。
凶器は血に濡れているはず。
でもこの犯行が計画的だったら、きっと凶器を隠すための手段があったと思う。
ではそれが、なんだったか。
この辺りでアリバイと噛み合わせて考えてみよう。
少年役のドリスタンさんは当たり前だけど犯行は不可能だ。
この人は排除してもいいだろう。
ガレンさんは舞台美術の手伝いをしていたなら、きっと可能なのかも。
でも他の裏方の人が彼の正確なアリバイを分かっている。
カリオペさんはメイク室にいた。
メイク室は舞台に案内された時に通ったけど、一応、犯行現場とは近いから可能かもしれない。
証人が一人だけなのも、共謀すればクリアできる。
あ、でも違う。この人の証人はメイク師さんだけじゃない。
ブラーベさんだ。
つまり、カリオペさんとブラーベさんは排除される。
ノエルさんとカミーラさんはどちらも犯行が出来るような位置にいる。
カーテンコール待機?
っということは舞台の脇、あの赤い幕の近くにいたんだろう。
舞台美術のサシーアさんは裏方が手を離せない状況だったんなら、
この人も白ということになる。
じゃあ、監督のヨリックさんは?)
(いや、ちょっと待ってよ。何かが変だ。変、というより、これなら……)
「もしそうだとしたら――」
「ん」
カルが小さく呟いたとたん、エイモンは店内から外を見て声を漏らした。
「なんかあの子供、迷子っぽいな。ちょっくら行ってくる」
「え、あ、分かりました」
エイモンは店を出ていき、人混みに入っていった。
カルは自分が気が付いたそのことを、一途に考えている。
すると、カルは隣に座っているザザから肩を叩かれる。
「っ。どうしたの?」
「カル」
ザザは窓の外を見て、名を呼んだ。
カルもザザと同じ窓を覗き込んで、人混みを注意深く観察した。
最初は何をザザが見ているのか分からなかったが、エイモンを発見してからは容易かった。
エイモンは一人の子供と話している。
カルと同じくらいの背の高さで、中性的な顔立ちをした男の子。白いシャツに黒パンツ、綺麗な蒼目とボサボサな青髪が彼の個性を表している。その左目には、黒い眼帯をつけていた。
「オトくん……?」
その少年は、幼女探偵の弟のオトだった。