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12「安心は恐怖にぬりつぶされる」

 シャルロットの問いに男は肯定する。どうせなら否定してほしかった。あの男がただ森に迷った一般人なら、どれだけよかったものか。男は両手を広げた。


「俺は『ジグラグラハム』ってんだ。以後、よろしく~」


 男はやけに陽気に名乗り、一歩一歩を歩き出した。

 男の長身がくねくねと大きく揺れながら歩いている。第一印象は場違いな哄笑男だ。


「ジグラグラハム……司教さんって、覚えづらい名前が多いわね」


 と嫌味を言いながらシャルロットは杖を前につきだす。


「そうかな? そうかも?」


 ジグラグラハムは可笑しそうに云った。

 全身を止めず、彼は丁度落ちる滝の近くを進み、シャルロットの方を目指す。

 そして彼は、人差し指をふと立てた。


「覚えづらい名前といっても、俺の名前は愛称みたいなものなんだ。司教になると人として扱われなくなり、もっと上位な存在として称えられる。これは名誉なことでね。きっと君たちからすれば分からないとは思うけど。そう。きっと賢い君たちなら、色んな事に憶測やら推測を既に作っているだろう。だから、一つ面白い話を教えてあげる」


 ジグラグラハムは躁的に喋りながら、ついに滝に足をかけた。

 (どうやってこちらに渡ってくるか)と、二人は油断しないように男の動きを目で追っていた。


「――実は司教って元々全員が女なんだ」


 そう彼が云った瞬間、ジグラグラハムは――滝の上に足を着け、歩き出した。


「は?」


 まるでそこに透明な地面があるかのように、ジグラグラハムは滝の上を歩いた。

 異様な光景だった。彼は今、空中に浮いている。


「全員が女……?」


 カルはジグラグラハムの発言に理解が追いつかず、首を小さく傾げた。

 ジグラグラハムはまたほくそ笑む。


「――冗談だよ。実は司教は全員女だったぁなんて、あるわけないじゃないか。でもそうだ。ほとんどのメンバーはラディクラムで生まれて育っているね。ああそう。ラディクラムって凄い国でね、様々な生活補助や安全な治安維持が……」

「黒魔術!」

「あ」

「蒼穹の道しるべ!」


 耐え切れなくなったシャルロットの号令に連動し空から断片が落下するも、ジグラグラハムはそれを見上げ、断片を視界にとらえてみせた。

 すると、蒼穹の道しるべは突如空中で静止し、ジグラグラハムは前を向いてまた歩き出す。


「シャルロット……」


 カルがその光景に思わず声を漏らす。


「いきなり酷いじゃないか」


 ジグラグラハムは止まらない。


 「それにシャルロットと言ったね。じゃあ君があの素晴らしき友人のハーブクレイアを倒したのか。はは、凄いじゃないか」ジグラグラハムは音をたてて拍手する。「彼ほど勤勉で働き者はいなかった。だが君らに負け、彼は聖装を失くしてしまい、今ではどこを彷徨っているのか分からない。もしかして、君たちが彼の聖書を奪ったのかな?」

「……何の話?」

「……君たちではないのか。まあいい。骸拾いスカベンジャーの類だろう。でさ、俺はとても申し訳ないと思っているんだ。ハーブクレイアには悪い事をした。本当は俺より勤勉で働き者の彼こそ、もっと上の番号にあてられるべきだったんだ。だというのに、適正ってのは無差別で無責任で無感情で無遠慮だ。俺の肩書は、本当は彼に与えられるべきだったというのに」


 ジグラグラハムは喋りつづけた。

 その語りには享楽的な快楽を感じていた。

 彼の語りは止まらない。それに連動し、シャルロットとカルの焦燥感は加速する。


「くっ、黒魔術……!」


 シャルロットは唱え、紫の剣がジグラグラハム目掛け直進するも、それはまたもや突如空中で停止し、その場に漂い続ける。

 ジグラグラハムは漂っている剣を避けて歩き、ついにシャルロットたちがいる岸に足を下ろした。


 「シャルロット!」とカルは彼女の名前を叫んだ。

 だが、もう声が届かない気がした。

 まるで、世界のルールそのものが狂い始めたような感覚があったからだ。

 しかし呼ばねばならない。

 伝えなきゃならないことがあった。それは、周囲に起こりつつある異変について。


「周りを見て……!」


 その言葉にシャルロットはぞっとした。

 恐る恐るジグラグラハムから視線を外し、森や川に視線を投じると。

 ――小さな砂利が粒ごとに音もなく浮き、滝に流れる水が形を成さず空間に漂い始めた。


「こ、これは……⁉」


 異様な光景だった。まるで、世界の法則が崩れ、何かが決定的に違っているような。


「どうしたんだいシャルロットさん。何かが浮いているのは見た事がない? 君はずうっと少しずつ浮上しているというのに」


 その言葉でシャルロットは足元を見る。

 ――確かに自分の足は少し浮き、地に足をつけていなかった。


「何、これ⁉」

「むべなるかな。たぶん、んじゃないかな。俺が良く分からない事をペチャクチャ喋っているから。でも申し訳ないんだがこれは俺の性でね。俺はお喋りすることが好きなのさ。もしよかったら付き合って来てくれよ、シャルロットいや、――シエスタさん」


 ジグラグラハムは名を呟いた。

 過去に忘却したはずの名前を、彼は何故か知っている。

 シャルロットに一気に血が上り、取り乱して魔術を連発するも、いずれも全て彼の直前で時間が止まったように静止する。

 声になっていない叫びをする。恐怖が体を突き動かす。


 気が動転する。目の前の色が失われ、そして耳元で恐怖が音色を奏でていた。

 浮いている。無重力のように浮いていた。

 ――地に足を着けないというのは、これほど怖い体験だったんだ。


「俺はシャルロットさんを憂うよ。そこの少年も同様に憂う。これは負け試合。圧倒的格差。司教の卑怯さ。権能の強烈さ。身勝手な行為。最善な終わり方。さあもう少し上昇しよう。高みを目指し、そして高みの見物をしたい



 高く上れば上るほど、

  相手を見れば見るほど、

   足場を探せば探すほど、

    安心を求めれば求めるほど、

    更に高度は増し、

   敵はもっと近づき、

  地面は無情に離れ、

 安心は恐怖にぬりつぶされる」



「おっと、自己紹介が足りてなかったね。今明かすよ」



「俺は第五の司教『落下』のジグラグラハム。――段落堕落集落暴落、君はどの"洒落"なんだい?」


 ジグラグラハムの狂気的な挨拶は見事に二人の不安を加速させた。

 既に五メートルほど浮いた体は、どれだけ宙で暴れても為すすべがない。

 『落下』。その名前で、二人はこの浮遊の結末を予期した。


 奴は、重力を操り、人を落とすことで戦いを制することができる司教。

 最初から聖装を使って目の前に現れていたんだ……。



 *



「あれ?」


 瞬きをすると、場面は変わっていた。


「……なんだこの場所は」


 ジグラグラハムは目をしばたいた。

 あたりを見回すと、そこでやっと初めて気づいた。


 瞬きの内に、風景が変わっていた。アンティークな椅子が置いてあり、暖炉がぱちぱちと火花を生む。深緑の絨毯と赤いカーテン、濃い茶色の塗装がよく見える。


 時刻は夜の十二時、彷徨う野兎が屋敷を見つめる。

 鐘が鳴り響く夜の十二時、屋敷の中で人が叫ぶ。


「面白い。こんな技を使うなんて、シエスタさんはやるじゃないか。それとも、これは別の誰かの遊びかな?」

「ボクにしてみれば、君みたいな矯激すぎる人は凄く好みなんだ」


 声が聞こえ、ジグラグラハムは振り返った。

 そこには小さな探偵が、碧眼を彼に向けている。

 屋敷の中心で、探偵役と司教が邂逅する。

 そう、ここは推理領域。


「さーてさて」


 彼女は万年筆と手帳を取り出し、ニヤリと笑った。

 それに誘発されジグラグラハムも不敵な笑みを浮かべた。


「今回はどんな謎をボクに見せてくれるのかな?」


 ニーナ・ヴァレンタインの推理領域により、ジグラグラハムとシャルロットとカルは十二時の鐘が鳴る屋敷へ召集された。

 これから始まるのは、謎が謎を呼ぶサスペンスミステリだった。



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