―――静かな寝室のベッドの上でブリュンヒルデはゆっくりと瞼を開ける。
そこはよく知る自分の寝室の天井でブリュンヒルデは徐々に意識がハッキリとしてくると同時に、自分が見せた痴態も記憶からフラッシュバックを引き起こしてガバッ!とベッドから上半身を起こす―――
「―――あら?気がついたの?」
ベッドの傍から聞こえた声にブリュンヒルデがその顔を向けると、
「……え?―――紅蓮様!?」
ブリュンヒルデのためだろう水差しをトレーに乗せてベッドの傍に立つ紅蓮を見て、主にそのようなことをさせてしまっていることに混乱しつつベッドから起き上がろうとする。
「ああ!いいから。もう少し横になっていなさい。レギンレイヴに診てもらったけど身体に異常はないそうだから」
「……申し訳ありません。不甲斐ないところを」
「ふふっ♪ いつもイェンリンを怒鳴り散らして政務をさせているブリュンヒルデとは思えないわね♪」
「面目次第もございません/////」
自分の主や仲間達の前で顔から火が出そうなほどの痴態を晒したブリュンヒルデ。
ベッドに上半身を起こしたまま前に項垂れてしまうブリュンヒルデを見て紅蓮は、
(……仕方のない子ね)
と生みの親として思いつつも笑みを浮かべながら、ゆっくりと語り出す。
「いいのよ。逆によかったわ。ブリュンヒルデ、貴女はいつも完璧を求める。それは素晴らしいことだけれど、自分以外の者達も完璧であれ!と押しつけてしまうのは少々傲慢よ。ちょうど良い落としどころを見つけて、それが相手のためにもなるように促す。そうでなければいつか、お互い破綻してしまうもの」
「それは……わたしはずっと、こうしてきましたから……」
困惑した表情のブリュンヒルデ。
すると紅蓮はブリュンヒルデのいるベッドの縁に腰を下ろして彼女を優しく見つめながら、
「ええ。すぐには変われないし理解もしなくちゃいけない。今まで積み重ねてきたことが、今の貴女を作っているのだもの。でも考え方の幅を広げることは出来るでしょ?」
「考え方……ですか?」
少し不安げな表情のブリュンヒルデが紅蓮を見つめ返す。
すると急に紅蓮がニヤリと笑ったかと思うと、
「ああ!―――そう言えばブリュンヒルデ。貴女、八雲さんに負けたら自分を好きにしていいと言っていたわよねぇ♪」
「ウェッ?!―――と、突然何を!?た、確かに、そう、申しましたが/////」
先ほどの勝負の条件について突然ブリュンヒルデに問い詰める紅蓮に本人はシドロモドロになって答えるが、自分がそんな愚かな条件を取り決めておいて、今更ここで反故にしてくれとは口が裂けても言えない。
「……」
「それじゃあ、八雲さんからの言伝を伝えるわね?」
「―――は、はい?!」
ブリュンヒルデはどんな醜いことや厭らしいことをやらされるのかと、気が気ではなかった。
「彼は『今回のことは俺もブリュンヒルデに恥をかかせてしまったから、お互い様ということで条件はなかったことにしよう』と貴女に伝えてくれって、それだけ言っていたわ」
「……へ?」
どんな仕打ちをされるのか、でも受け入れるべきと覚悟を決めていたブリュンヒルデにとっては本当に肩透かしな提案だ。
「ふふっ♪ なんて顔をしているの?なかったことにしてくれたんだから良かったじゃない?」
そう笑顔で言う紅蓮だが、ブリュンヒルデは複雑な思いで納得がいかない。
「情け……ですか?」
そう紅蓮に問い掛けると、
「う~ん、それだけじゃないかも?逆にそんな大袈裟なものでもないのかも。彼も言っていたでしょう?貴女は『純粋』だって。正直に言って貴女は八雲さんと対峙した時、勝てると思って疑っていなかったでしょう?」
すると負けた手前、気まずそうな表情をしたブリュンヒルデだったが、
「……正直に言えば、はい。そうです」
と答えると、紅蓮は笑みを浮かべて、優しくブリュンヒルデの金髪を撫でる。
「でも貴女は負けた。やり方はどうでも、貴女の首を取ろうと思えば取れるところまで彼は追い詰めた。彼はこうも言っていたわ。『勝負は時の運だから。これが切掛けで視野が広がれば次に負けるのは自分だろう』ってね。『勝利する者』は勝利するために何をしなければならないのか、それを彼は知って欲しかったんだと思うわ。でなければ今頃貴女の命はとっくに奪われているもの」
「勝利するために何をするか、ですか……私は知らず知らずのうちに自分の視野を狭くしていたのかも知れません。考え方も/////」
「それに気づけたのなら、彼と関わった甲斐があったというものね♪ さあ!八雲さんや皆が待っているから、いきましょう♪」
「え?行くってどこへ!?ちょっと、紅蓮様!?」
無理矢理に手を引かれ、ブリュンヒルデは紅蓮に寝室から引っ張り出されてその後を追いかけるのだった―――
―――紅蓮によって連れて来られたのは紅龍城の厨房のひとつだった。
「ここは、厨房?」
連れて来られたブリュンヒルデは思わず首を傾げていたが紅蓮に背中を押されてその中に入ると、広い厨房の中にはコートを脱いで黒いシャツの腕を捲り、前掛けをした八雲と同じく前掛けをした雪菜がまず目に入った。
厨房には見たこともない銀色の巨大な箱が置かれ、それが八雲の仕業だということは何故かすぐに気づけたブリュンヒルデは、
「……なにを、しているんだ?」
恐る恐る問い掛けると、八雲がブリュンヒルデに向かって答える。
「お、気がついたか?具合はどうだ?少しやりすぎたな。悪かった」
と頭を下げてきたことに驚いてしまったが、慌ててブリュンヒルデも、
「い、いや、こちらこそ重ね重ねの無礼、お許し願いたい/////」
慌てて仰々しく頭を下げていた。
「勿論。こちらこそ、これからよろしくお願いするよ」
アッサリと遺恨なく話を終わらせたところで改めてブリュンヒルデが、
「それで、それはなんなのだ?」
と銀色の箱を指差して問い掛けるとフロックが代わりにブリュンヒルデに抱き着いてきて、
「―――これは『冷蔵庫』っていう箱なんだってさ!ブリュンヒルデ!この箱に入れておくと食材が腐りにくくなるって凄い箱さぁ♪」
「お、おいフロック!まったく、しかしそんなことが出来るのか?」
纏わりつくフロックを諫めながらも八雲に問い掛ける。
「ああ、造りはそんなに難しいもんじゃないさ。これは―――」
そう言って冷蔵庫の蓋を開けてこの世界での冷蔵庫―――つまり水属性魔術と風属性魔術を用いて冷気を造り、その冷気の強弱で冷蔵したり凍らせたりして食材を保存するという造りだと説明する。
そんな八雲の説明にこの世界にはない発想だと驚かされるブリュンヒルデと、
「―――ねぇねぇ八雲!アルブムの白龍城にもこれ造ってよ!」
と雪菜がお願いすると八雲は嫌な顔一つせずに「いいぞ」と簡単に返事をした。
厨房にはフロックの他にゴンドゥルもいた。
「ゴンドゥルはどうして此処に?厨房にいるなんて珍しいと思うのだが?」
ブリュンヒルデが問い掛けると、ゴンドゥルはエメラルドグリーンの髪を揺らしながらブリュンヒルデに向かって答える。
「ええ、八雲様の造る魔道具が素晴らしくて色々お話を伺っていたのよ。この冷蔵庫なんて街の飲食店に紹介したら全財産はたいても買いたいって言って来ること間違いなしの代物だもの」
「確かに……街の者達にはとても重宝されそうな魔道具だ」
そこにフロックも混ざり、
「でしょ!でしょ!それに八雲様の造った黒神龍様の鱗で製造した武器『
鍛冶師の琴線に触れるものがあったのだろう、フロックは上機嫌だ。
「それで、その、八雲殿はそこで何をされているのだ?」
「うん?ああ、冷蔵庫の設置を頼まれて、ついでに『収納』に仕舞ってあった食料放り込んで具合を見ているのと、腹が減ったってノワールが言うから飯でも作ろうかと思って」
「―――貴方は料理もするのか!?御子なのに?」
「いや、別にするでしょ?こっちの雪菜も御子だけど料理得意だし?」
「えへへ♪ 改めまして白神龍の御子になりました草薙雪菜です♪ どうぞ宜しくお願いします!」
「あ、私は
挨拶をしたところで、八雲と雪菜が料理の準備をしているとフィッツェも前掛けをして厨房に現れた。
そしてもうひとり鎧を脱いで前掛けをした戦乙女スルーズがやってくる。
「お待たせいたしました。八雲様♪」
「こんな凄い魔道具を造って頂いた上に、料理まで手伝ってもらって申し訳ないです。御子様」
スルーズは赤い髪をして茶色い大きな瞳をして、それでいて大人びた顔のお姉さんとしてはフィッツェと同じような雰囲気を持つ紅龍城の料理番も賄っている戦乙女だった。
彼女の通り名は『強き者』だ。
だが、なによりふたりに共通しているのは―――胸がデカい!という点だ。
その胸を見ただけで男なら揉みくちゃにしてやりたい!挟まれたい!挟んで欲しい!という欲求すべてが脳内を駆け巡ることは必然と言えるほどの乳がそこにはあった。
「―――挟んでもらいたいの?」
突然耳元で笑顔の雪菜にそう囁かれた八雲はビクン!と反応してから、
「は、はあ!?べ、別にぃ。そんな事思ってなんていねぇしぃ~/////」
と知らばっくれてみるものの、その泳いだ目線が答えを言っているようなものだ。
「―――そ、それより!腹ペコな子達が待ってるから、料理始めようぜ!!」
と誤魔化しながらも調理に入るのだった―――
―――そして食事のための広間に料理が次々と並んでいく。
イェンリンからは『カレーがいい!!!』と駄々を捏ねられたが、初日からいきなり第三次カレー戦争は引き起こしたくない八雲が拒否した。
だったら他の美味い物を作れ!―――と、まるで亭主関白な旦那のように言われた八雲は腹が立ちながらも料理は嫌いじゃないので、どうせ作るなら自分が使いやすい厨房にしようといきなり冷蔵庫を設置したり、シンクと水道まで設置したりピザ窯まで造ってしまった。
そんな厨房をフル活用して庶民的な料理にしようということで、雪菜も手伝って和洋中と出来得る限りの料理を作っていく。
フィッツェとスルーズも得意な料理を次々と仕上げていく。
普通の日本人の目から見れば芋の煮転がしからベヒーモス肉のステーキまで、ジャンルを問わず並べ置かれる光景に違和感しかないが、そこにピザやパスタまで並んでも珍しい料理には違いないこの城の住人達には見ているだけでも十分楽しめるものだった―――
―――そしてイェンリンの乾杯の音頭と共に食事を始めると、チビッ子四人はいつものポジションの、
ノワール=シェーナ
アリエス=ルクティア
フレイア=レピス
ダイヤモンド=トルカ
といった幼女フォーメーションが組まれている。
全員がニマニマと笑みを浮かべながら、それぞれ子供達にご飯を食べさせていく。
「この光景は……私達は何を見せられているんだい?御子様」
「何を言っているんだ?フロック。これからはこれが日常風景になるんだぞ?」
そんな会話を交わす八雲とフロックは話題を変えようという空気から終始、武器の話をしながら食事をしていく。
そんなふたりの姿を遠くから見つめるブリュンヒルデは、自分でも表しようのない感情に苛まれていた。
そんなブリュンヒルデの元に紅蓮がスゥと近づき小声で、
「―――そんなに八雲さんが気になるの?」
と囁くと、ブリュンヒルデは慌てて、
「ウェ!?ぐ、紅蓮様!?そんな、私は別に/////」
と目線が彼方此方に泳ぎながら誤魔化そうとすると、
「あらあら♪ これは初めて嫁に出す娘はブリュンヒルデになるのかしら?」
「はぁあ!?な、何を突然仰っているのですか!?私はそんなこと……」
そんなブリュンヒルデに、ふふっ♪ と笑みを溢しながら紅蓮は行ってしまう。
その紅蓮の様子にブリュンヒルデはさらに困惑し、八雲が誰か別の女と話しているところを見ると憂鬱な気持ちが募っていく……
ヴァレリアやシャルロット、ユリエルとはレギンレイヴが一緒に楽しそうに食事をしている。
そんな中、食事をしていたイェンリンが八雲達に、
「―――八雲。留学の件だが、手続きが少し必要だから三日後から学校に行ってもらう。よいな?」
と知らせてくるので八雲は、
「ああ、それはかまわないけど、でも学校に行って普通に勉強していたらいいのか?」
と学校についてまだ詳しく聞いていなかったことに気がつく。
「そうか、まだ学園について話していなかったな。食事が終わったら皆に話すとしよう」
詳しくは食後でということになり皆はまた食事に戻った。
それから食後のデザートとして八雲と雪菜合作の菓子がテーブルに給仕されていく。
「―――八雲、これは何だ?」
ノワールが問い掛けるのを見計らっていたかのように八雲がニヤリと笑みを浮かべて、
「よくぞ訊いてくれたノワールさん!これぞ子供から大人まで皆大好き!!―――『プリン』だ!!!」
「―――な、なんだってぇええ!!!」
そんな夫婦漫才を誰もが冷ややかな目で見つめている……
「……さ、食べようか」
冷めた声で皆にデザートを促すイェンリンの言葉に皆がスプーンを手に取ると、ちゅるん♪ と口に入れた瞬間―――
「なにこれぇえ!!超美味しいぃいい♪」
という声が部屋の中を響き渡る。
中世の世界に近いこの異世界にはプリンが存在していなかった。
いずれは開発されていたかも知れないが、そこまで待つくらいなら自分達で作ろうとなって、お菓子が得意な雪菜とそれを手伝う八雲、そして作り方を覚えたいとフィッツェとスルーズが作り方を覚えながら手伝った。
当然ながらプリンを知っているユリエルは泣きながらそれを食べている。
「―――ど、どうなさいましたの!?ユリエル様?お腹でも痛いのですか?」
「ううっ……違うのぉ……まさかプリンがこの世界で食べられるなんてぇ……神よ、感謝致しますぅう!」
困惑するレギンレイヴだったが、泣くほど嬉しいものなのかと思ってプリンを口に運んだ瞬間あまりのおいしさに幸せの絶頂を感じた。
ノワールはシェーナの小さなお口にスプーンに載せて、ぷるん♪ ぷるん♪ と揺れるプリンを、
「シェーナ、あ~ん♪」
「……あ~」
と口元に運び、それにシェーナがパクリと口に入れる。
すると―――シェーナの表情がキラキラ☆と輝きだして、
「……ちょ~!おいちぃ☆!」
と過去に例のないくらいの感動した表情での『おいちぃ』を頂いた。
そんなまるで日本の学校にある他校との交流レクリエーションのような食事はプリンの誕生によって最後まで賑やかな食事で幕を閉じたのだった―――
―――食後にイェンリンの言った学園についての説明が大きな談話室で行われた。
参加しているのは八雲にノワールと
イェンリンと紅蓮、フレイアとブリュンヒルデにスルーズ、それとレギンレイヴにゴンドゥルが参加していた。
そして雪菜に白雪にダイヤモンドといった関係者全員が集まっている。
チビッ子達は先にお眠になったのでベッドに四人で寝かせておいた。
「―――まず学園のことを話す前に八雲。余の義姉妹達にお前の、いやお前と雪菜のことを説明してやってくれ」
「うん?ああ、分かった。長い話になるが―――」
そうして八雲は自分と雪菜の出自についてと、これまでのことを話して聴かせる。
特に戦乙女達は初めて聴く話なので途中何度も質問が入り、余計長く掛かってしまった。
「蒼神龍様の御子……マキシ=ヘイト。その者が黒神龍様の御子を狙っていると?」
ブリュンヒルデがイェンリンに問うと、
「可能性が高いというだけだが、現に雪菜は誘拐されかけている。余の勘では八雲が標的になっていることはほぼ間違いない」
というイェンリンの返答に一同がシーンとなる。
「そこで余は御子が全員集まる形にもっていくため、今回強引だったがヴァーミリオンへの留学にふたりを連れ出した。御子の留学もそれほど珍しい話でもない。特にここヴァーミリオンでは御子の留学受け入れを過去にしているからな」
「分かりましたが、我らは何をすればいいのかしら?」
ブリュンヒルデがイェンリンに指示を仰ぐと、ニヤリと笑みを浮かべたイェンリンは、
「お前達には何人か臨時講師として学園に入ってもらう。そこでお前達にはティーグルの王女ヴァレリアと公爵令嬢のシャルロット、そしてフォックの聖女ユリエルの護衛をしてもらいたい。八雲は余と同じく自分で切り抜けるくらい出来るが、姫達は普通の人族だ。大切な預かりものでもあるから、万全を期したい。頼むぞ」
「―――分かりました」
戦乙女達はイェンリンの指示に従う意思を返事する。
「ところでその学園って、なんて名前なんだ?」
そう問い掛ける八雲を見てイェンリンは笑みを浮かべて答えた。
「―――バビロン空中学園だ」
その初めて聴く学園の名前に八雲は期待と不安の入り混じった感情が沸き上がってきたのだった―――