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第380話 ディオスタニアに迫る妖気

―――インディゴ公国の首都、オクターブ城下


美しいオクターブ城の城下に一際立派な宮殿が存在する―――


インディゴ王家に連なるローゼン公爵家の豪華な宮殿に、オクターブ城から戻った馬車が正面に横付けされて、そこからひとりの少女が下車して宮殿の豪華な扉に向かう。


宮殿内に入った少女、この宮殿の主であるルシア=フォン・ローゼンは暗い表情で宮殿の廊下を進むと、


「―――お帰りなさいませ、ルシア様」


ルシアの姿を見て長い赤髪を後ろに纏めた同じ年頃の美しいメイドが主の帰還の出迎えをした。


「ただいま、ウルスラ……」


力ない声で応えるルシアの様子に、彼女を幼い頃から知っているウルスラ=カルテットロウはすぐによくないことがあったと察する。


「お疲れのことでしょう。どうぞお部屋でお休みくださいませ。すぐにお茶をお持ち致します」


長く仕えているからこそ、ここで深く問うことはしないウルスラはルシアが休まるように部屋へと促す。


「ありがとう……」


力ない足取りで二階の自室へと向かうルシアの背中を見送ってから、


「またバサラ様が何かなさいましたか……本当にお二人は……」


やれやれといった様子で溜め息を吐いたウルスラは、そう言って厨房にお茶の用意に向かっていった―――






―――自室に戻ったルシアは旅装束を脱ぎ捨てて、普段の軽装に着替える。


白く透き通るような素肌に青いレースの下着姿になったルシアは、部屋にウルスラが用意して置いてあった普段着に着替えようとして、そのまま力なくベッドに倒れ込んだ……


「……バサラ」


ルシアの頭の中には同じインディゴ公国王家に連なる公爵家の当主バサラ=クロイツのことが渦巻いていく。


幼い頃から兄妹のように育ってきたバサラとルシア。


それ故に今の相容れない関係性にルシアはいつももどかしい思いをしている。


本来は同格の公爵家であるローゼン家とクロイツ家は、ふたりの両親の世代までは何事もなく平和に過ごしてきた。


両家での交流もあり、ふたりも幼馴染の関係と言っていいほど一緒に遊んでいたほどだ。


しかし―――


そのようなお互いの関係に変化が訪れたのは、四年前にクロイツ家に訪れた不運が発端だった。


バサラがいつも通りローゼン家を訪れてルシアと平穏な時間を過ごしていた頃、クロイツ家に賊が侵入し、バサラの両親を殺害して高価な物を盗んでいくという事件が起こる。


ローゼン家から実家に戻ったバサラが目にしたものは―――


誰も息をしていない我が家……


真っ赤な鮮血が壁や床に飛び散り、ドス黒く色が変わり出したところで使用人と共に血の海に沈む両親の姿だった。


―――この事件は後にクロイツ公爵襲撃事件としてインディゴのみならず隣国のヴァーミリオン皇国や今のリオン議会領にまで響き渡り、公爵家が襲われるという大事件として歴史に刻まれる。


ヴァーミリオンでバサラと顔を合わせたイェンリンも、この事件のことは記憶には残っていたが謁見の際にそれを思い出すことはなく、バサラのことを初見ではクロイツ家の生き残りだとは認識出来ていなかった。


その事件以来、ルシアの両親はバサラの精神状態や立場を重く見て、バサラをクロイツ家の当主として据えるとすぐにクロイツ家存続のためにバサラの周辺の警護を固め、後見人として尽力する。


しかし、この事件が切掛けとなってかバサラの様子が一辺した―――


それまで歳相応の子供だったバサラが、その惨劇を目にした時から笑うことも減って、いつも何かを考え込むような様子が増える。


そして何よりルシアのことを妹のように可愛がっていたバサラがルシアを突き放すような態度を示すようになっていた。


それがまだ幼いルシアにとっては何よりも辛い思い出となる。


現在の王家、女王クレオニア=リアニス・インディゴは王家に生まれて女王の座に就いたが、夫を迎えることもなくここまできた。


王女の時代に決まっていた婚約者が王位継承の時に病死してしまい、その後すぐに女王に就いたクレオニアはその立場から簡単に夫を迎えることも出来ず、今まで時が過ぎていく。


その間に王家の血統であるローゼン家とクロイツ家にルシアとバサラが生まれたことで両家とクレオニアが話し合った結果、いずれどちらかを王座に就けるということで話が纏まり、クレオニアが子を成すことはなかったという経緯があった。


バサラが口にした、


「―――ルシアは女王になる準備でもしていろ」


という言葉は冗談ではなく本当にふたりのどちらかが王位に就くことが決まっているからである。


どちらが継承するかはまだ決まっていない。


しかし、バサラは両親を失ってから何故か頑なにルシアを女王にすると口にするようになる。


その理由も分からず、ただ困惑した日々を過ごしてきたルシアも、いつしかバサラのぶっきらぼうな態度にも慣れてしまい、今ではバサラは王に相応しくないとまで思い込んでいたのだが……


「やっぱり……バサラの方が、相応しい……」


今日オクターブ城で起こった内通者の断罪に堂々とした態度で詰め寄るバサラの姿に、不謹慎ながらルシアは胸がキュンと高鳴るのを感じていたのだ。


幼い頃は明るく優しいバサラのことを兄のように慕い、いつも時間があればふたりで過ごしてきたルシアにとってもバサラのクロイツ家で起こった惨劇は衝撃的であり、優しかったバサラの両親のことを思って何日も泣き続けたことも記憶に残っている。


それだけに優しかったバサラの変貌振りにルシアは今でも戸惑っている。


この国を背負うのはバサラの方が相応しいと今日の出来事で痛感したルシアは、ベッド上で藻掻きながらウルスラがお茶を運んでくるまでの間、子供の様に身を丸めて竦んでいることしか出来なかった―――






―――バサラがオクターブ城で断罪した日から三日ほど過ぎた。


戦線布告され降伏勧告の指定期日まで残り十日となった時に、事態は動き出す―――


「―――バサラ様、海岸線に不審な動きを捉えました」


執務室に来てバサラに報告するのはクロイツ家諜報部隊『シークレット』隊長カイト=ラーカイラムである。


「不審な動き……来たのか?」


バサラの言っている相手はシニストラ帝国のことである。


「まだ分かりませんが、恐らく」


普段の小気味良い報告ではなく、歯切れの悪いカイトの報告にバサラは少し違和感を覚える。


「どうした?らしくないな。いつもの報告と違って随分と歯切れが悪いじゃないか」


バサラの言葉にカイトも申し訳ないといった風に眉を顰めると、


「申し訳ございません……何分と向こうも少数で行動している部隊のようでして、その動向が掴み切れておらず、ただ海岸線に近い村で不審な集団を目撃した者がおりました」


「軍ではなく少数の集団……どんな集団だったんだ?」


「それが……目撃した者の証言によりますと、集団のひとりは女で容姿からダークエルフのようです。その他に三人の男達が連れ立っていたそうなのですが、それらは魔族の男達だったと。しかしその四人の集団の様子が余りにも異様な雰囲気を纏っていて、目撃した者達は誰もが冷や汗が流れるのを感じたと証言しています」


「ダークエルフと、三人の魔族……シニストラ軍の斥候部隊か?……いや、それにしては随分と目立ち過ぎている。一体、何を考えているんだ?」


カイトの報告内容にバサラも不安が生じてくるが、ここで軽はずみな判断は出来ない。


「その集団の居所は分かっているのか?」


「はい。監視の者を付けております」


「分かった。引き続きその集団の行動に注意しておいてくれ」


「承知致しました」


そう返事してカイトは執務室から退室していく。


「シニストラ帝国……油断は出来ないな。次の準備に取り掛かる……」


執務机の椅子から立ち上がったバサラは、窓の外の景色を眺めながら呟くのだった―――






―――インディゴ公国の首都から少し北に上ったところにある海岸線


過去に砦として使われていた石積みの廃墟に只ならぬ気配を放つ四つの影があった―――


「……ルドナ様、この先を進んだところがディオスタニアです」


三人の男達のひとりが廃墟の中の台座に腰掛ける女に告げる。


すると目の前で跪く三人の男達を見下ろしながら、その座っている女―――魔神ルドナ=クレイシアは不敵な笑みを浮かべる。


「フフフッ……お前達、首都が見えたら好きに遊んでいいぞ。そう……食い物も女も、すべてが私のものになるのだ。ならば私の下僕であるお前達―――『三妖魔』が好きに地獄を創ったとてかまわん」


「ありがとうございますルドナ様」


首都の道筋を告げた灰色の髪をした精鍛な空気を漂わせる若い男が深く頭を下げる。


「ゲヘッ♪ お、おんな、女だぁ♪ す、好きにしていいってぇえ!ゲヘゲヘへへへッ♪」


三人の中で一番大きな身体をした太った男が涎を垂らしながらゲラゲラと笑う。


「おいおいグスターボ、俺の分もちゃんと残しておけよ。人の女は獣と違って格別の美味さだからなぁ」


グスターボと呼ばれる太った男に文句を言っているのは金髪のチャラけた雰囲気を漂わせる美男子だ。


「さあ、三妖魔達よ。インディゴの首都を地獄へと変えるぞ。そこに眠るものを手に入れるまで……いや、手に入れてからも地獄を創れ。男を殺せっ!女を犯せっ!そして犯した女も殺せっ!あらゆる生き物の魂を―――この魔神ルドナ=クレイシア・アンドロマリウスに捧げよっ!!!」


「―――ハハァ!!!」


ルドナの命令に三妖魔達は深く頭を下げて返した―――


魔界の七十二柱アンドロマリウス伯爵の血統に連なる魔神だったグラハムド=アンドロマリウスにワザと喰われ、その体内で同化し、魔神の力を乗っ取ったルドナはアンドロマリウスを名のる。


魔界という異次元の世界に住む魔神は、相手の身体を喰らうことでその能力と地位を奪っていくのが当たり前の世界だ。


その知識をも手に入れたルドナは魔界の風習に則って自らその名を名のることにした。


そして目の前で只ならぬ妖気を放つ男達は、ルドナが魔神の知識を用いながら新たにこの世界で生み出した妖魔達である。


人の姿はしているものの、その放つ妖気は見た者を硬直させるほど異様な存在だ。


「さあ、進軍を開始するぞ」


不気味な笑みを浮かべる魔神と三人の妖魔達が砦を出てディオスタニアへと向かう―――


―――四人が外に出た瞬間、


ズザザザッ!という激しい音と同時に、廃墟であった砦が砂の様に細かく砕けてそこに砂の山を作って消えた―――


三妖魔のひとりが繰り出した能力で砦が崩れ落ちたのだ。


だが、崩れたのはそれだけではない……


「覗き見なんて趣味が悪いねぇ」


三妖魔のひとり、金髪のチャラけた雰囲気を漂わせる美男子が、岩陰に潜み、自分達を窺っていたカイトの部下である諜報部隊の監視者を見ると、そこには人ではなく人型の岩だけが佇んでいる。


「そこで崩れ去るまで反省してな」


笑いながら去って行く金髪の男……


つい先ほどまで人間だったその諜報員は、いつの間にか岩に変えられ、二度と動くことは出来なくされていた。


―――不気味な能力を隠し持つ異能の集団。


その足の向かう先は、インディゴ公国の首都ディオスタニアだった―――




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