―――惨劇は続く。
「それでは―――首都殲滅といこうか」
グレイピークの冷淡な宣言だけがその場に響く―――
三匹の妖魔による惨劇を目の当りにして普段冷静なバサラも、その右腕であるカイトも呼吸をすることすら忘れそうなくらいの緊張感に包まれていった。
(シニストラの三妖魔だと……こんな化物をあの帝国は飼っているっていうのかよ!)
バサラの額や頬を冷たい汗が流れ落ちる。
「だが、まずは一番邪魔になる貴方を始末するのが先のようだ。クロイツ公爵―――」
グレイピークがそう告げた瞬間―――
「―――掛かれェエエッ!!!」
―――バサラの隣にいたカイトの号令で三妖魔を包囲していた諜報部隊『シークレット』の隊員達が一斉に突撃した。
「愚かな……」
そう呟くグレイピークが纏っている灰色のコートを翻すと、襲い来る諜報部隊に向かって突進する―――
「ウオォオオ―――ッ!!!ぴぎゃっ!?」
「なんだ!?コイツはぁあ!!―――ぷぎょっ!?」
―――部隊の隊員達とすれ違った途端、その隊員達の身体が次の瞬間に細切れの肉塊と血溜まりとなって地面にボトボトと落下していった。
コートの袖口から伸びる二本の刃がまるで風の様に隊員達の合間を吹き抜けたかと思うと、その刃が人間を細切れにしたのだ―――
「お前……その、腕は……」
グレイピークの袖口から出た刃は手首から先が刃に変わったものだと気がついたバサラは、この妖魔もまた人間ではない恐怖の対象だと再認識させられる。
人体を喰らうグスターボ―――
人や物を石化させるグルマルス―――
自らを武器に変えるグレイピーク―――
この場で見た限りの能力だけでも充分に生き残るのが困難だと嫌でも理解させられた。
「カイト!―――手榴弾だっ!!」
「―――ッ!!」
バサラの号令でカイトと諜報部隊員達は腰の袋から小箱を取り出して、全員が火属性魔術を展開して小箱に細工するとそれを三妖魔に向かって投擲した。
「なんだ?下手な小細工は―――」
三妖魔の足元に投げられた小箱を見て、それでも何ら動揺する様子を見せないグレイピークだったが、その小箱が次の瞬間、炎と轟音を伴って大爆発する。
数十個のバサラ製手榴弾が何度も爆音を上げて、周囲の建物から地面まで彼方此方を抉りながら破壊の波を打つ。
バサラの開発した手榴弾は火薬と砂、それに粉塵爆発を誘発するための細かい粉を調合して、導火線代わりの火属性魔術を施すことで巨大な爆発力を生むものだ。
本来は自国の首都の街中で使用するような兵器ではないが、三妖魔の異能の前に使用を決断するしか道がなかった。
「―――閣下!ご無事ですか!!」
爆発に騎乗していた馬が一斉に慄き、暴れ出したためバサラもカイトも馬を落ち着かせることに手間を要したが目の前には燃え盛る建物や抉れた地面、どこかでバラバラと物が焼け落ちる音だけが続く―――
「あの化物共も、あの爆発では流石に―――」
―――カイトがバサラにそう言い掛けたところで、カイトの目の前には灰色の妖魔が突進していた。
「―――ッ!!カイトッ!!!」
バサラがカイトの名を叫ぶと同時にバサラの目の前でカイトの右腕が宙に舞う―――
「―――グガァアアッ!!!」
―――切断された右腕から噴き出す出血に苦悶の表情で叫び声を上げながら落馬したカイト。
バサラは手にした剣でグレイピークに上段から斬り掛かるが、その腕から生えた刃で受け止められる。
「咄嗟に躱したのは流石と言っておこうか。だが、それではもう生き残るのは絶望的だぞ」
本来はカイトの首を狙って刃を走らせたグレイピークだったが、カイトはギリギリでそれを防ぐために右腕を犠牲にして首を繋げたのだ。
グレイピークの口にした通り、周囲ではグスターボに襲われ、喰われていく隊員達―――
―――グルマルスに石化されて更にはその拳で砕かれる隊員達と阿鼻叫喚の戦場とも呼べない地獄絵図が広がっていく。
バサラは馬上から地面に下り立ち、落馬したカイトを見ながら自分自身も体験したことのない恐怖に襲われる。
馬上では『身体加速』が使い辛いことを考慮して馬から降りたバサラだが、目の前の三妖魔に対して決定打となる手がないことが余計に恐怖と動揺を加速させる。
(クゥッ!手榴弾を受けて生き残るなんて、どうやって……あの土を操る妖魔か!壁でも造って耐えたのか!!)
バサラの予想通り先ほどの大爆発を凌いだのは、グルマルスの土壁による防壁が爆発や轟音を防ぎ、まったくダメージを与えることがなかったのだ。
魔術と違い、相手の虚を突くことが出来る手榴弾は人間の軍隊相手であれば有効だったであろうが、目の前にいる人外の化物達には無力に等しかった。
それでもバサラは背中を流れる冷たい汗にすら気づかぬほどに恐怖に飲まれながらも、握った剣をグレイピークに向けて構える。
(こんな、こんなところで死ねるかっ!!俺は、俺はルシアを女王にするんだっ!!―――その時まで死んでたまるかっ!!!)
「ウォオオオ―――ッ!!!」
『身体加速』を発動して目の前のグレイピークに臨むバサラ―――
―――そのバサラの剣を両腕の刃で難なく受け流すグレイピーク。
加速された連撃を繰り出すバサラの斬撃を同じく加速していく刃で受け切っていくグレイピークは無表情で、焦りを顔に滲ませたバサラと比べても明らかに余裕がある。
そして―――
―――シュピッという風切り音の後、
『身体加速』ですら目にも止まらぬ刃の斬撃は―――
―――バサラの両腕を切り飛ばした。
「ウガァアアアッ!!!ウオォオオォッ!!!」
両腕を切り落とされたバサラが、斬られた両肘辺りの切断面から鮮血を噴き出して倒れ込む―――
「―――バサラ様ァアアッ!!!」
―――その姿を見て右腕を縛りながら蹲っていたカイトが叫び声を上げる。
自らの血溜まりに蹲るバサラ―――
当然だが腕を切り落とされた経験などないバサラに、今まで体験したこともない激痛が全身を襲う。
両腕を同時に失ったことで大量の失血に伴い意識までもが混濁していくのを、何とか強い意志だけで繋ぎ止めようと藻掻いていく。
「両手がなければ止血も出来まい……このまま放っておいても出血で死ぬだろうが……」
上から見下ろすグレイピークは、まるで虫でも見るような氷の瞳でバサラを蹴り飛ばす―――
「グハァアアッ!!!―――ゴホッ!グゥウウッ!!!」
―――大量出血しているところに腹部に打ちつけられた蹴りの衝撃で吹き飛ばされ、数m先まで転げ飛ぶバサラ。
辛うじて『身体強化』スキルを発動していたものの、そんなものは紙だと言わんばかりのグレイピークの蹴りに痛みと衝撃が二重奏でバサラを襲う―――
―――転げて空を見上げる形に寝転がるバサラだが誰も助けに来ない。
カイトも動けない―――
諜報部隊の隊員達も次々に殺されていく―――
たった三匹の妖魔に国一つが滅ぼされてしまう―――
それはつまりルシアも助からない―――
……それは、
(―――それは、そんなこと……させるかァアアッ!!!)
―――脳裏に浮かんだ最後の想像がバサラの中の魂を再び燃え上がらせる。
虫のように藻掻きながら、バタバタと地面を這い蹲って立ち上がろうとするバサラ。
「往生際が悪いようだな……バサラ=クロイツ」
バサラを蹴り飛ばしたところまで近づいて来るグレイピークが、芋虫を踏み潰すかのようにしてバサラを踏みつけた。
踵が突き刺さる腹部に強烈な痛みと圧を感じ吐血しながらも、鬼の様な形相と化したバサラはグレイピークを睨みつける。
「ほう……まだそんな反抗的な目が出来るとは、お前はこの期に及んでまだ諦めていないのか?」
「当たり前だっ!このクソ野郎!!―――テメェの首に噛みついてでも絶対にコロスッ!!!」
バサラの言動はこれまでの冷静沈着な公爵といったものではなく、まるで下町にいるゴロツキのような舌を巻いた口調だった。
「公爵とは思えん言葉だな……そう言えば、この国にはもうひとり、公爵がいたな?」
グレイピークのその『もうひとりの公爵』という言葉にバサラの動きはピタリと止まる。
「冥府への土産に教えておいてやろう。我等の主の目的……それはもうひとりの公爵ルシア=フォン・ローゼンだ」
驚愕の事実にバサラは一瞬、痛みも忘れて硬直したが、次の瞬間怒声を上げる。
「―――何故だっ!!!ルシアを、何故狙う!!!理由は何だっ!!!」
「それはその娘が『神剣の守護者』だからだ」
「神剣の……守護者だと……なんだそれ!そんなもの、聞いたこともないぞっ!!!」
初めて聴いた言葉にバサラはグレイピークに問い掛ける。
「本人も知らないだろう。何しろそれは我が主たる魔神にしか『神剣』の存在は感じ取れないものなのだからな」
「―――魔神だとっ!!!そんな伝説の存在がお前の主だというのかっ!!!」
太古に勃発した『魔神戦争』を神話としてしか伝え聞いたことがないバサラにとっては、魔神など御伽話の創作としか思っていないくらいの存在だったのだ。
「そうだ。我等三妖魔の生みの親にして最強の魔神アンドロマリウス様……その主の命に従って我等はこの地に来た」
「ふざ、ふざけるなァアアッ!!!そ、そんなもの知るかっ!!ルシアには―――ルシアに手を出すんじゃねェエエッ!!!」
踏みつけられながらもグレイピークに怒声を上げるバサラに、グレイピークの刃が喉元に突きつけられる。
「冥府への土産話は終わった。よもやお前を助けに来るものなど―――」
グレイピークがそう言い放とうとした瞬間―――
「―――ッ!!」
下から見上げていたバサラの目線の先、どこまでも広がる大空を斬り裂くようにして真紅の巨大な物体が空中を翔ける―――
「なんだっ!?あれは一体……」
同時にその存在に気がついたグレイピークが空を見上げていると、空中から何かが落下してくる。
そのふたつの落下物は地上に近づくにつれて人だということが認識出来たところで、音もなく地面にストンと降り立っていた―――
「―――随分と遅れたみたいだな」
金の刺繍が鏤められた黒いコートを纏う青年と、
「―――これでも準備を急がせたのだ。余のせいではない」
真紅の刺繍を鏤めた白いコートに身を包む金髪に栄える赤いメッシュの髪を揺らす美女。
「来て……くれたのか……」
地面に横たわるバサラが現れた二人を見上げながら呟く。
黒い闘気と真紅の闘気を身に纏ったその男女は、『殺気』を伴う視線をグレイピークへと向ける。
「グゥウッ!『殺気』だけでこの重圧とは……お前達……何者だ?」
ふたりの『威圧』を越えた『殺気』を受けて、グレイピークは生まれて初めてのプレッシャーを感じつつ問い掛けた。
そんなグレイピークに、
「―――これから冥府に行くお前が知っても意味ないだろう?」
黒いコートを着た青年は、死にゆくお前には何もやらないと言わんばかりに、名乗ることはなかった―――