天幕を出るとパグリア前魔王は早速動き出しました。連れてきた部下たちに何やら指示を出しています。
「……でしたら、まずは今夜の宿に間に合うようにいたしましょうか?」
「うむ。頼む」
体の大きな魔族がパグリア前魔王に指示を仰いだ後、森の上空へと飛び立っていきました。
魔力も相当ありそうです。
キュオスティが連れていた魔族に、あのクラスはいませんでしたから、相当の手練れがこちらへきているのでしょうね。
私は周囲をグルリと見まわしてみました。
体のサイズでいえば、大きな者もいれば小さな者もいます。
しかし、いずれ劣らぬ魔力量を感じます。
魔族軍の精鋭部隊は、やはりこちらに来ていたようです。
数こそ少ないですが、いずれ劣らぬつわもの揃い。
ここにいる魔族相手となっていたら、私1人ではどうにもならなかったことでしょう。
今更ながらに、屋敷でのいざこざが大事にならなくてよかったと、胸をなでおろす私です。
「急がなくても、今夜は王宮に泊まっていただければ……」
「いや、そうはいかんっ」
レイナード王子の提案をパグリア前魔王が強い口調で即座に却下しています。
「お父さま、今夜くらいよいではありませんか」
ルーロさまがクゥ~ンという鳴き声つきでねだっていますね。
結果はパグリア前魔王の顔がより怖くなったことだけですが。
「嫁入り前の娘が、好いた男と同じ屋根の下でなど……はしたないっ」
「お父さまぁ~」
パグリア前魔王は、厳しい倫理観の持ち主のようです。
ルーロさまの泣き落としにも動じません。
「いい加減しないか、ルーロ。お前の望みは叶うのだから、少しくらいは我慢しなさいっ」
「でもお父さまぁ~。こんな暗い森で野宿するのは嫌ですぅ~」
「大丈夫ですよ、お嬢さま。今夜までには間に合わせますから」
さっき森の方へ飛んでいった魔族が戻ってきて、ルーロさまを慰めています。
「爺や、そんなこと言って大丈夫なのですか?」
「はい、ちゃんと手配してきましたので大丈夫ですよ」
爺やと呼ばれた魔族は、にっこり笑って答えています。
口元からはみ出た牙が、太陽光を弾いてキラリンと光りました。
頭に生えた二本の角と背中に生えた大きな羽は真っ黒です。
顔は濃い茶色で、瞳の色は金色。
首元の辺りが少し白く、そこから下は黒と、執事服を着た爺や風のカラーリングではありますが。
人間界の爺やとも、聖獣界の爺やとも、イメージはかけ離れています。
「爺やがそういうのなら、信じるわ」
信頼の厚さは同じようですね。
ルーロさまは渋々といった様子で頷いて、自分を納得させているようです。
「それならは、せめて食事だけでもご一緒に」
レイナード王子は食い下がります。
「いや、こちらも屋敷の準備が忙しいので改めてということで」
パグリア前魔王に軽くいなされてしまいました。
「では、せめて食事を持ってこさせます。どのようなものを食されるのですか?」
「それならば……」
爺やが説明しながら、さりげなくルーロさまからレイナード王子を引き離していきます。
やり手ですね、あの爺や。
「ルーロや。どのような屋敷がよいのだ?」
「わたくし、なるべく自宅に近いほうがよいです」
パグリア前魔王がルーロさまに話しかけて気を逸らしています。
将軍には策がないのか、レイナード王子とルーロさまを見ながら「ケッ」と吐き捨てています。
ルーロさまとレイナード王子が将来どのようになっていくのか分かりませんが、今回のことは一件落着ということでよろしいでしょうか。
よろしければ、私はそろそろ屋敷に戻りたいですけど。
「セラフィーナさま」
アーロさまの声が、私の背後からしました。
私の心臓がドキリと跳ねます。
振り返りたい。
でも、振り返りたくない。
どちら付かずの気持ちに、心が乱れます。
私は大好きなアーロさまが後ろにいるのに、このまま一言も交わすことなく人化を解いて飛び去ってしまいたい誘惑に駆られているのです。
伝説の銀色ドラゴンさまが私であったことを、アーロさまはどう思っているのでしょうか。
まだ私のことを『愛しいセラフィーナ』と言ってくれるのでしょうか。
それとも私がドラゴンであることを知り、アーロさまの好意は消え去ってしまったのでしょうか。
疑問は色々と湧いてきます。
しかし答えを聞くのは怖いのです。
私はココから逃げてしまいたい。
聖獣のため、魔族のため、人間のため。
他者のためなら勇敢に戦うことができます。
ですが、自分のこととなるとダメです。
私は、愛しいアーロさまのことが怖い。
アーロさまの気持ちを聞くことが怖い。
伝えなければいけないことも、確かめなければいけないことも、たくさんあります。
そのどれもが、自分のこととなると怖いのです。
人間の振りかざす刃も、魔物の鋭い牙も、ちっとも怖くはありません。
ですがアーロさまの発する言葉はきっと、私自身の奥の奥、自分ではどうしようもない深い所にまで届くことでしょう。
だから怖いのです。
アーロさまが私に向ける言葉や感情が怖いのです。
私は、一体どうしたらいいのでしょうか。