「う……」
次に目が覚めた時はベッドの上だった。
しめられたカーテンの隙間からは薄明るい光がさしこみ、室内はオレンジ色のテーブルランプの灯りがユラユラと揺れている。
「私……一体どうしたのかしら……?」
右頬に少しヒリヒリした痛みを感じ、徐々に記憶が蘇ってきた。
(そうだったわ……私、お父様に叩かれたのだわ……)
今迄散々父親に冷たい態度や心無い言葉を投げつけられてきたが、暴力を受けたのは今回が初めてだったのだ。
怒りに任せた父の平手打ちは強烈で、意識を失う程だった。
あの時のことを思い出すだけで、恐怖が蘇ってくる。
今や、父親へ占める思いは相手にされないことへの悲しみよりも怖さが勝っていた。
そしてそれと同時に、セラヴィの姿が思い浮かぶ。
(セラヴィに会いたい……大丈夫だよって抱きしめて慰めて貰いたい)
「セラヴィ……」
ゆっくりベッドから起き上がるとアンジェリカのベッドに頭をつけて転寝をしているヘレナの姿が目に入った。
「え!? ヘレナッ!?」
その声に眠っていたヘレナが目覚め、上体を起こすとアンジェリカの手を握りしめてきた。
「アンジェリカ様! 大丈夫でしたか? 何処か痛む所はありませんか!?」
「大丈夫よ。それより、ヘレナ。今迄私についていてくれたのね?」
「ええ、当然です。何しろ旦那様に叩かれた衝撃で意識を失われてしまったのですから。それにしても酷すぎます! 旦那様はローズマリー様の虚言話を信じ……アンジェリカ様に平手打ちするなんて……お気の毒な……」
その目に涙が浮かぶ。
「ヘレナ……」
「あの時、変われるものなら、私が変わって差し上げたかったです。意識を失われた時には、もう……心臓が止まりそうになるほど、驚きました……」
ヘレナは、叩かれた衝撃でまだ少しだけ赤みが残るアンジェリカの頬にそっと触れた。
「ありがとう、ヘレナ。心配させてごめんなさい。もうどこも痛いところは無いから大丈夫よ」
身体の痛みは何処も無かった。強いて言うなら、心が痛かった。
「それなら良かったです」
ほっとした笑みを浮かべるヘレナ。
「ところで、今は何時なの?」
部屋の中はすっかり暗くなっており、テーブルランプの置かれたベッドの周囲だけが明るい。
「そうですね……今は22時を少し過ぎた頃ですね」
「え!? もうそんな時間だったのね? ごめんなさい。ヘレナは忙しいのに、ずっと私に付き添ってくれていたのね?」
「謝らないで下さい。私の仕事はアンジェリカ様のお世話をすることですから。今から入浴されますよね?」
「ええ、そうね。入りたいわ」
父に叩かれ、転倒したせいで服も身体も汚れていた。
「分かりました。すぐに用意してまいりますね」
ヘレナは笑顔で返事をすると、部屋を出て行った。その後姿を見つめながら、アンジェリカはポツリと礼を述べた。
「ありがとう……ヘレナ」
もしヘレナがいなかったら、自分はこの屋敷で耐えられなかっただろう。
「折角新しい家族が出来たのに。これではますます私の居場所が無くなりそうだわ……」
もう唯一の希望はセラヴィとの結婚しかなくなっていた。
「セラヴィ、早くあなたと結婚できればいいのに」
愛しいセラヴィの姿を思い浮かべ、ポツリと呟く。
けれどアンジェリカはまだ知らない。
更なる悲劇が自分を待ち受けているということを――