場所は皇雅が元いた世界…日本の地に変わる。そして時は約三か月前に遡る―――
四月上旬、学生の中での世間では新学年新学期の日。皇雅が通う学校の
藤原美羽。年は二十二歳。肩に乗るくらいに伸びた黒髪で170㎝はある長身の彼女は、先月まで大学生だった新米教師だ。彼女が受け持つクラスは、三年七組のクラスだ。受け持つとは言っても、副担任という役目でだが。
受験を控えた年でもあり他の進路のことなど色々大変な年でもある高校の三年目。その学年のクラスのうち一つを、副担任とはいえ最初のクラスとして受け持つことになりとても緊張して不安モードの美羽だったが、彼女が受け持つクラスの担任の教師が、学年主任で教師歴二十年のベテラン教師であり、彼のお陰でどうにか不安を消せるようになった彼女であった。
美羽が新任教師でありながら三年のクラス担任に選ばれたのは、年が近い分、勉強や進路のことを気軽に相談しやすいと学校側の取り組みによるものでもある。
始業式の日、彼女が補佐するクラスの担任――
この時が、美羽にとって人生初の先生側としてのホームルーム。そしてここから始まる教師人生。期待と不安に駆られている私に浜田先生に気負うな、と声をかけられて落ち着きを取り戻し、いざ教室に入る。
*
入室した私を待っていたのは、好奇な目で私を見る生徒、美人教師だーってハイテンションで声を上げる男子生徒(女子も混ざってた)ばかりだった。
中にはこちらを一瞥してから窓の外へ視線を戻す生徒もいたが、気にする間もなく、自己紹介に入る。
短縮授業を終えた放課後、私はクラスの生徒たちに質問攻めをくらっていた。
どこから通っているのか、大学はどんな感じだったか、彼氏はいるのか、受験期に入ったらどう過ごせばいいのか、高校生の頃はどんなだったのかなど、とにかく色々質問された。彼らの質問に丁寧に返していると、クラスの中心にいる大西君が、次の日曜日に私を入れての進級祝いおよび私の歓迎会をやろうという話になった。
今時の高校生はこういうことしてくれるのかと驚きつつ、週末は特に予定無いので、生徒たちの厚意をありがたく受け入れた。
この時、教室にはまだクラスの全員が帰っていないものだと思っていたので、一人既に教室から抜け出していたことに、私は気付かなかった。
日曜日、最寄駅の近くにあるアミューズメント施設で遊ぶことになった私たち。驚くことに、クラス全員が集まってくれていた。全員固まって移動すると他の利用者の邪魔になるので、四つグループに分かれて私がそれぞれのグループにローテーションしていく形でみんなとふれあった。
最後のグループ……大西君と彼と特に仲が良い生徒たちと遊んでいる時、クラスの顔と名を全員把握していた私は、この最後のグループで全員と遊べたと思っていたが、ここでようやく一人いないことに気付いた。
そのことを大西君に訊くと、彼らは一瞬顔を顰めて答えた。
(甲斐田のことすか?あ―あいつは...具合悪いって言うんで、欠席っす)
どこか歯切れ悪く答えたきり、ここにいない甲斐田君のことは触れることはなかった...。
翌日の授業日。ホームルーム時に浜田先生が朝の挨拶をしている傍らで教室を見渡して目的の人物を探す。そして窓側の最後尾の一つ前の席に彼――
彼は窓の外を退屈そうに眺めていて先生の話をまるで聞いていなかった。ホームルームが終わり先生が退室してからは、机から一限目で使う教科書と読書用の本を取り出してそれを読み始めた。
特に気になる点は無かったので、私は浜田先生に続き教室を後にした。
昼休み。クラスの女子生徒に誘われていたので教室で安藤さんや鈴木さんと昼食を摂ることに。料理をするかしないかの話に花を咲かせている中、私は甲斐田君の席を見やる。そこに彼の姿はなかった。
安藤さんにクラスのみんなは昼はいつも教室で摂っているのかと聞くと、基本みんなはここか食堂かで食事するらしい。二年生の時のクラスのまま進級したからか、皆それぞれグループを作っているため一人でいることはないらしい。
じゃあこの前の遊びで欠席だった甲斐田君は?と聞くと、安藤さんたちは急にテンションを低くさせてしまう。彼のことは、このクラスではタブーだったのだろうかと思い、それ以上訊くことはしなかった。
周りの生徒たちも、甲斐田の名を聞いた瞬間空気が悪くなったきがした。
(昨日の大西君といい、今の反応といい、甲斐田君のことになるとどうしてこんなに空気が悪くなるのだろう...)
放課後、そのことを浜田先生に尋ねてみたら、先生もどこか気まずげに答えてくれた。
(甲斐田は...去年のある出来事をきっかけに、クラスで孤立してしまっているんだ。去年は俺は彼の担任ではなかったから詳しくは知らないのだが、当時は職員会議で問題に挙げられた案件でね。
甲斐田は自分に降りかかる火の粉は自力でかき消すような生徒らしくてね、いじめ問題にはならなかったが、彼の強か過ぎる態度が災いして、クラスでずっと孤立して誰にも心を開かなくなってしまっている。担任の俺でさえもな)
あのクラスにそんな過去があったとは微塵も思っていなかった私は、驚愕したのと同時に悲しくも思った。そんな私に、浜田先生は頼み事をしてきた。
(藤原先生……新任早々こんなことを頼むのは重く難しいことになるのだが、甲斐田のことを気にかけてあげてほしい。彼をクラスの輪に入れてる行動はしなくていい。彼らとの溝はそれだけ深いものだからな。甲斐田の相談相手、雑談でも良い。あのクラスの中でせめて一人だけでもそういう人がいれば、彼にとって少しは助けになれると考えている。もちろん俺もできる限りのことはする)
浜田先生の頼み事を私はもちろん引き受けた。
生徒に勉強を教えることだけが先生の仕事ではない。むしろ、こういう問題を抱えている生徒の助けになって、できれば解決してあげることこそが学校の先生の務めだと考えている私だ。
甲斐田君もその中の一人。私が率先して彼の味方にならなければならない。
私はそう決心した。
けれど、彼はクラスで一人ぼっちでも、味方がいなくても、全く気にしなくて平気で、ちっとも苦しんでいないということには、まだ知らないでいた…。
翌日から、私は周囲に誰もいないタイミングで甲斐田君に声をかけた。こういう子に接触する時は、周囲に誰もいない時の方が良いと分かっているから。
(甲斐田君!苦しくて辛いと思ったら私に打ち明けて良いからね。私は、君も見てるからね!あと、合うか分からないけど趣味とかの雑談にも付き合えるから!)
出会い頭にこんなこと言われた彼は、「……?」と訝し気な視線を寄越して軽く会釈して去って行った。
いきなりだったかなと思ったが、とりあえずファーストコンタクトはこれで良いかと自分に納得させる。