——校舎へ続く道を桜の花びらがひらり、ひらりと舞う。
辺りが薄いピンク色に染まるのは、また出会いの季節がやって来た証左。
さて、私もついに五年生となった。
ここまで長かったような短かったような。子供は何かと不自由で早く大人になりたいと願うもの。特に若い時は無限に時間があると錯覚し、将来など悠久の時の彼方のように思えるものだ。
だが、アラサーの前世を持つ私は知っている。時間は加速するものなのだと。青春の日々なぞ一瞬で終わり、十代のガキからオジンオバン呼ばわりされるのだ。気がつけばあっと言う間に大人を通り越してジジババになってんだぞ。
——少年老いやすく学なり難し、一寸の光陰軽んずべからず
先人はよく言ったものだ。
つまり何が言いたいかというとだな、私には時間がないんじゃぁ!
なのにどうして私は新入生以外に誰も生徒の来ない入学式の日に学園に来なければならんのだ。
「みなさん、まだお休み中ですのに」
「僕らも来てるんだから頑張ろうよ」
「そうだぞ清涼院、俺達はお前と違って役員でもないのに手伝いに来てやっているんだぞ」
なに恩着せがましいこと言ってやがる。テメェらがその役員を私に押し付けたんやろうが!
くっ、このままでは半年後、こいつらは会長職も私に押し付けてくるに違いない。
本来なら私の代で
しかも、体育祭で競技に出ず裏方に回ったことが美化されて「さすが清涼院様は滅私奉公の精神に溢れていらっしゃるわぁ。おほほほ」って現会長の
さらに「バザーにも積極的に参加されているとも耳にいたしました。素晴らしい博愛精神ですわ」などと巴御前が余計な追随までしやがった。
言えねぇ。バザーの材料費をチョロまかすして私腹を肥やしているなんて言えねぇ。
おかげで「清涼院様は慈愛の心までお持ちなのね」と上げたくもない御台様の株が爆上がり。マジ女神、マジ女神と周囲からも賞賛の嵐。
まあ、私が女神のように美しいってのに異存はない。
しかし、困った。
もちろん私が体育祭で裏方に回ったのは不名誉な二つ名を返上する為だったし、バザーに参加したのも将来の軍資金作りの為だ。
だが、この褒め称えられている中、実は違うんですなどとは口が裂けても言えねぇ。しかし、このままでは秋に
チクショー!
自分で自分の首を絞めちまってるじゃねぇか。
おかげで今回も入学式を仕切ってくれと御台様からの直々にご指名を受けちまった。めんどくせー。
「それではピアノ伴奏の準備に行ってくる」
入学式につきもののピアノ伴奏。当然だが私は楽器ができぬ。それで奏者を誰にするか迷っていたら滝川が引き受けてくれた。
はっきり言って滝川はピアノが上手い。ドラマやアニメでもヒロインちゃんにリストの『愛の夢』を捧げるシーンが特に秀逸で、滝川は超絶技巧で情感たっぷりにピアノを弾くのだ。
これには私の乙女心もズキューンって撃ち抜かれたもんよ。
まだ小学生の滝川だが、既にピアノの腕前は学園中に知れ渡っている。滝川がピアノを演奏すると知って生演奏を視聴できない滝川ファンの子達が嘆いておったわ。
そんな滝川がピアノ伴奏を快諾してくれたのは正直助かった。だが、一つ解せぬことがある。
「滝川様が伴奏を引き受けてくださるとは意外でしたわ」
マンガの設定を抜きにしても滝川と私は敵同士。実際コヤツはワレを嫌っていたではないか。
「何か変か?」
「ええ、滝川様は人前で演奏されないと思っておりましたが?」
それに滝川のピアノはプロ級だが滅多に人には聴かせない。もともと美咲お姉様の為に磨いた腕だ。聴かせる相手も美咲お姉様のみ。だから、美咲お姉様が中等部へ進学した現在、滝川はピアノ伴奏を封印していたはず。
いったいどういう風の吹き回しだ?
「清涼院にはスイーツの件で世話になったからな」
滝川がにやっと笑った。イケメンだけにサマになっとるがな。楓ちゃん辺りなら黄色い悲鳴をあげて倒れていただろう。
まあ、私にはこれからもスイーツを寄越せよって顔にしか見えんがな。こんなスイーツバカに熱を上げる子達の気がしれん。
「ピアノは任せておけ。この日の為に練習を積んできた」
続けて背を向けて滝川がぐっとサムズアップする。どうしてコイツはキザな振る舞いも絵になるのだろう。早見ファンの椿ちゃんも今のを見たら浮気してたやもしれん。
まあ、私はこれっぽっちもトキめかないがな。こんな中身お子ちゃまなコミュ障ピットブルに1ミリも心は動かん。
滝川が颯爽とピアノへ向かう。椅子に座り鍵盤蓋を上げ、譜面台の楽譜を開き、続いてポロロロンっと軽く弾いて音を確認。その一挙一動を皆が見惚れるように注目している。
「ずいぶん自信たっぷりでしたわね」
「この日のために得意曲を練習していたそうだよ」
得意曲?
やはりリストの愛の夢だろうか。美咲お姉様に捧げようと必死に練習したらしい話はマンガでもあったな。それともエルガーの愛の挨拶だろうか。ドラマやアニメでもちょくちょく弾いていたのはそこら辺だったはず。
しかし、入学式で愛の曲はいかがなものか。
「滝川様の得意曲とはやはりリストの愛の夢なのでしょうか?」
「うん? まあ、美咲さんのために愛の曲は練習していたけど、和也は何でも上手だよ」
「そうなると得意曲とはいったい?」
「和也が一番得意なのは……」
何故か早見の表情がみるみる険しくなってきた。
「どうかなさいました?」
「えっ、いや、何でもないよ。うん、何でもない」
「?」
いったいどうしたと言うんだ?
「和也でもまさかここでアレは……ないよ、ねぇ」
そして、そのまさかが起きた。
——デーン! デロデロデッデッデーン……
突然、講堂に響き渡るおどろおどろしい
「ま、まさかこの曲は!?」
「ああ、やっちゃったよ」
私はあんぐり口を開けて愕然とし、早見が隣で天井を見上げて顔を覆う。
「シューベルトの『魔王』ではありませんか!」
「これ和也の
いくら得意っつーてもコレはねぇだろが!
続けて滝川は嬉々として魔王が、魔王がと情感たっぷりに歌い出しやがった。その感情移入っぷりは中身アラサーの私でもゾクッとするほど。
「ちょっ! どこまで真に迫っているんですの!?」
「また腕を上げたなぁ」
新入生はみんなちっちゃな子供だ。しかもまずいことに名士名家の子女で教養も高い。なまじっか理解できるため、おぞましさ倍増、恐ろしさ倍増。あまりの恐怖に顔が青くなり、ガタガタ震えている。
子供が連れ去られる段になると、ついに泣き出す子まで続出。入学式は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
しかし、滝川はお構いなし。演奏を続けた。
「……我が子はついに生き絶えん」
最後に子供を殺した魔王滝川は満足気な笑顔を浮かべ……そして、伝説となった。