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第76話 麗子様は圧迫面接を受ける。


 ――コーン


 鹿おどしの乾いた音が室内を突き抜けていく。


 ――チロチロ


 微かに聞こえてくる水音が静寂の中で異様に響く。


 だだっ広い和室は絢爛豪華とは程遠い。しかし、細部まで凝らした木彫りの欄間らんまや床の間に飾られた山水画の掛け軸、随所にさりげない意匠が散りばめられている。円窓えんそうから僅かに覗く春の庭は緑で彩られ、なんとも私の心に響く。


 これぞ正に侘び寂び。

 風情がありますわぁ。


「ずずっ……」


 お茶を口に含めば青い匂いの中にほのかなこうばしい香りが鼻腔を抜けた。舌に転がせばタンニンの苦味の奥からアミノ酸の旨みがふんわり口腔内に広がる。


 いい茶葉使ってますねぇ。


 あったかいお茶が体内を巡り、緊張した筋肉が弛緩するのがわかる。ホッと一息つくと、やっぱり日本人で良かったなぁって実感するわね。


 お茶請けの主菓子は練り切り。定番の上生菓子ね。春をイメージして桜色と白色を基調にしたほんのり可愛らしいデザインも私の琴線に触れるわ。


 ふむ、最初に愛らしいお菓子に黒文字を差し込む瞬間というのは、罪悪感やもったいないとか感じたりするものよね。


 ――ザクッ!


 だが、切る!


 だって、食べたいんだもん♪


 ――パクッ!


 うむ、美味!


 白餡が舌の上で溶けるように広がり、和三盆糖の滑らかで上品な甘さが口いっぱいに満たされる。


「ずずっ……」


 お茶を口腔内に流し込んでさっぱり。まだまだ何口でもイケるわね。悪くない組み合わせだわ。このお茶の銘柄と主菓子の和菓子屋はどこかしら?


「ぬしは清涼院のところの娘だったな」

「久条のご老公にはお初にお目見え致します。清涼院麗子にございます」


 ちっ、美味しいお菓子とお茶で現実逃避してたっつーのに、リアルに引き戻しやがって。何だこのクソジジイは。


「ふっ、幼いのにずいぶん堂に入った振る舞いよ」

「過分なお言葉痛み入りますわ」


 私は湯呑を茶托に置くと澄まし顔で老人に礼を述べる。ホントは心臓バックバクだけどね。あー、もう帰りてぇ。


 いま私は七十前後の好々爺っぽい老人の前に座らされてるんだけど、周囲は剣呑な雰囲気を漂わせる大人達に囲まれてんのよ。しかも、全員が久条家の縁類ときたもんだ。完全に四面楚歌じゃ。とほほ。


 おい、お前ら、子供相手に恥ずかしくないんか。私の胃に穴が開いたらどうしてくれる。慰謝料請求すっぞ。


「敵地にあって泰然自若として肝の据わっている娘だ」

「あら、我が清涼院家が久条家と敵対関係にあったとは存じませんでしたわ」


 老人の褒め言葉におほほほと笑って誤魔化した。てめぇの魂胆は見え見えなんじゃ古狸め。


 大人達に威圧させて私を怯えさせ、そこで良い顔すれば子供くらいコロッと落ちるって考えてんだろ。さらには油断を誘って私から言質を取ろうってか?


 今のに恐れいりますなんて迂闊に返してたら「やっぱり清涼院家は久条家に含むものがあるんだな」とでも指摘して敵認定するつもりやったんやろ。小学生相手に大人気ねぇヤツ。


 暑ければ上着を脱いで構いませんよって言っておいて脱いだら出て行けって言う圧迫面接と同じじゃねぇか。理不尽この上なし。


 まさか前世で時代遅れの会社の入社試験で受けた圧迫面接の洗礼が役に立つ日が来ようとは。


 それにしても、なんで私はこんなとこにいるんだろう?


 滝川のバカに拉致られたからか。アイツめ、私を強引に久条家の本邸へ引き立ておって。そんで待ち受けていたのは久条のご老公と敵意剥き出しの大人達。


 どうやら美咲お姉様と木衛家のボンボンとの婚約騒動に巻き込まれたらしい。あたしゃ無関係じゃねぇかよ。


 ホントどうしてこうなった?


 当の美咲お姉様と久条パパママは申し訳なさそうな顔をしているし、同席している滝川パパママもどうやら私に同情的なようだ。


 まあ、私がここにいる理由を作ったのはその美咲お姉様なんだけどね。


 どうやら美咲お姉様が木衛このえまもるは嫌だとご老公と大喧嘩したらしい。口論の末にヒートアップした美咲お姉様が口を滑らせ、木衛守を小学生の私よりも劣るような人物とこき下ろしたそうな。


 これには木衛守も激怒して、木衛家も参戦して口論はさらにヒートアップ。最後はだったらその清涼院麗子を連れてこいって話になったんだって。やめてよね。完全にとばっちりじゃん。


 一応、久条パパと滝川パパは止めてくれたらしいけど、ご老公の鶴の一声で私は滝川に拉致られて今に至るってわけ。


 誰だって現実逃避したくなるのも無理ないって思うわよね?


 あっ、この湯呑とっても良いですわぁ。自然な土の赤茶色が素朴さの中に温かみを醸し出していて。備前焼かしら?


 いい仕事してますねぇ。


 そんな私の現実逃避をどう解釈しているのやら。ご老公クソジジィは柔和な笑みを浮かべてる。だけど、その目は笑ってねぇ。明らかに私を値踏みしてやがる。


「ふむ、さすが高司の秘蔵の姫君といったところか」


 あたしゃ清涼院家の娘じゃ。お母様の高司家とは関係ありませーん。


「久条のご老公、それは褒め過ぎではありませんか?」


 横から二十代半ばくらいの男が口を挟んできた。コイツが例の木衛守なんだって。どうやらご老公が私をしきりに褒めるのが気に入らなかったらしい。


 アホか。この爺さんが額面通りに私を褒めているわけねぇだろ。こりゃ予想以上に真正のバカボンだな。


 ほら、ご老公も苦笑いしてんじゃん。


「これは美咲の言う通りだったか?」

「お言葉ですが、その判断は早計ではありませんか。僕が清涼院ごとき身分卑き家柄の子供に劣るわけがないじゃないですか」


 おう、てめぇ、我が清涼院家にケンカ売っとんのか、あぁん?


 過去の栄光にしか縋れん木衛家ごとき没落華族が、ナマ言ってっと潰すぞ――私のお兄様が。


 えっ、お前が報復するんじゃないのかって?


 イヤン、私はか弱きお嬢様でしてよ。そんなオソロシイことできるわけありませんわ。


「お父様、もう試すまでもないでしょう」


 和服の似合う久条のおじ様参戦。どうやら口出しするタイミングを計っていたみたいね。


「今の二人を見て分かりますよね。守君に美咲は任せられません」

「久条さん!?」


 この横槍に木衛守が焦って声を張り上げる。だからそういうとこやぞ。さっきから目上の者の発言を妨げるなど完全なマナー違反。品性のカケラもねぇ。


「木衛家の僕こそが美咲さんに一番ふさわしいはずです」


 コイツはマジで終わっとんな。大阪で言うとこのアカンタレってやつ?


「僕がこんな子供と同列だって言うんですか!」

「ふぅ、お話になりませんわね」


 ああもうメンドクセー。どうせあたしゃ小学生だ。もう好き勝手やらせてもらうわ。それでもし家同士の問題に発展したら全部タヌパパンに丸投げしましょう。


 全てが敵になっても愛する娘を守ってくださいますわよね?


 信じておりますわ、お父様。


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