さて旧伯爵邸の「小さな酒蔵」だが、かなり崩れていた。
入り口は板が打ち付けられ、建物の後ろ側は勝手に大きくなってしまった木の大きな枝の下でぐしゃりと潰れていた。
「こりゃあ、雪で押しつぶされた様ですねえ」
この辺りはチェリ王国の中でも山地で気温が低く、珍しく雪が結構積もるのだという。
それが元の伯爵夫妻が居なくなった後、放置されていた木がすくすくと育ち、その枝に降り積もった雪で、建物の後半分が押しつぶされたのだろうと。
「ともかく開けるか」
地元の人々の手も借りて、打ち付けられていた板を剥がす。
すると中の籠もった空気がもわりと飛び出してきた。
「う……」
匂いで思わず鼻と口を塞いだが、それだけじゃない。目も痛い。
「まずい、閉めろ!」
バルバラも目を瞬かせていた。
慌てて閉めて、一度剥がした板を扉に立てかける。
「……何だあれは」
「目鼻口に刺激、かつては何ともなかったけど……」
「先生」
毒が関連している、ということでトルツ先生をも連れてきていた。
皆目がひりひりする、ということで、井戸の方へと移動し、そこで話すことにした。
「開けることもできないから特定は難しいが、一つ仮説を言ってみてもいいかな?」
無論、と俺達はうなづいた。
「何かしらの毒が元々伯爵夫人の酒樽にあった。聞いた話を総合しただけだから、何だけど――微量の毒がだんだん溶け出す様にしてあったのではないか、と思われる。それが酒樽を壊したことで、外に飛び出し、その後締め切った中で毒が空気に溶け出してしまった…… と考えられる」
一つの考え方だ、と先生は繰り返し言った。
「だが調べることができないというのは、なかなか歯がゆいな」
バルバラはコップに汲んだ水で何度も目をばちぱちとさせて洗う。
「おおもとの毒が溶け出すのがゆっくりのものだったのか、粘土か何かに埋め込んで少しずつ出る様にしてあったかも、どうもこれじゃ特定できない。ただ、水の中に入れておけばそれなりに形を保っているが、空気に触れるとすぐに乾いてしまう様なものかもしれないな。もしくは、酒と一緒にあったことで変化したか…… ともかく、もう二十年も昔の話だ」
「二十年経ってもこんなになっているもので、伯爵夫人は殺されたと?」
「かも、だね。もしかしたら、他の理由があったのかもしれない。伯爵は単に自分ばかり良い酒を飲む妻が気に入らなかったのかもしれない。その辺りは判らないよ。まあ、何にしてもこの酒蔵は元通りに板を打ち付けておいた方がいいことは確かだ」
「そうですね、あと、マクエラン侯爵に、この木を何とかしてもらいましょうか。下手にこの後半分が壊れても良くなさげだし」
ぱっと開けただけであの様だ。
建物全体が壊れる様なことがあったらどうなるのか。
結局謎は一つ残ってしまった。