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第16話

 5-2


 目的地である総合病院に辿り着き、タクシーの運転手に手厚く見送られた後、秋羽あきば茉莉まつりは真っ直ぐ殺害現場となった中上若葉なかがみわかばの病室へと向かった。

「あ、先輩! 白石さん!」

 人払いをしている警察官の群れから、緑区正義みどりくまさよしがノートパソコンを脇に挟みながら手を挙げた。

「緑区」

 茉莉が駆け寄ってきた正義を見ると、機嫌悪そうに目を細めた。

「お前、今の今まで、どこで何をやっていた?」

「え? 何って……じ、自分も、先輩達と一緒ッスよ。デスクワークしている時に、通報があって……それで、先輩に電話で連絡して……一足早く、現場に……」

 正義は明らかに目を泳がせながら言った。

「赤西?」

 茉莉は顔を一度伏せてから、鬼の形相で正義の胸倉を掴んだ。

「ひっ……」

「緑区、正直に言え」

「え? な、何の事ですか?」

「さっきの電話、署内にしては騒がしかったよな? 自動ドアの開閉の音と、音楽……それに、時々『いらっしゃいませー』や『ありがとうございましたー』みたいな声も聞こえてきたと思ったんだが……」

「そ、それは……」

「お前、まさか、カフェで仕事していたわけじゃないよな?」

「どうして分かったんスか? まさか、愛……」

「なわけあるか!」

 茉莉が正義を思いっきり平手打ちした。

「外で仕事をするなと何度言えば分かるんだ! 著内持ち出し禁止の資料もあるだろ!」

「赤西、やめろ! 時代的にアウトだ!」

 咄嗟に秋羽が茉莉の両手を掴んで抑え込むが――

「はぁ……今日もいいビンタ……」

 正義が床に膝をつきながら、とても嬉しそうだった。

「緑区、悪い事は言わない。お前は一度医者に診て貰え」

「えー、何で白石さんにまで、そんな事言われないといけないんスか~。自分がいつも先輩にどつかれているからって、マウントッスか? 負けねえッスよ?」

「どこの国に、暴力振るわれることでマウントとる奴がいるんだよ」

 そう秋羽が返した時、背後に冷たい気配を感じた。

 おそるおそる振り返ると、いつも著内にいる筈の茶園豊ちゃえんゆたかが立っていた。

「げっ……」

「お前達は……」

 慌てて秋羽は茉莉から手を放し、耳を塞ぐ体勢をとるが、時既に遅し。

「何をやっているんだああああああああ!」

 一撃目。

「ここは病院だぞおおおおおおおおおおおおお!」

 二撃目。

「警察としての自覚があああああああああ! ないのかああああああああああ!!」

 惨劇、間違った三撃目。

 茶園の喉を犠牲にした叫びに、病院の棟全体が揺れ――のちに大震災の余震だ、怪奇現象だという騒ぎになったのは、ここだけの秘密だ。


       *


 場所は病院の応接室。

 そこで茶園にこってりと絞られた秋羽と正義、そして何故か免れた茉莉がそれぞれソファに腰をかけて、状況を整理していた。

 ちなみに、茶園は説教疲れで、頭に濡れたタオルを置いて倒れている。

「それじゃあ、状況をまとめるぞ」

 元凶その1である茉莉が、何事もなかったように話を切り出した。

「被害者は中上若葉、死因は心臓あたりを刺された事による出血死……飛び降りた時の外傷は直接的な死因ではないようだな」

「病院内で刺殺か……また過激な事するッスね」

 元凶その2である正義がノートパソコンに何かを打ち込みながら言った。

 ――というか、何でこいつこんなに元気なんだ? 

――俺は耳も心も痛いというのに……不平等だろ。

 秋羽の心の声が聞こえたのか、ちょうど秋羽の正面に座っていた正義は突然顔を上げると、白い歯を見せながら秋羽に笑いかけた。

「鍛え方が違うッスからね」

「鍛え方って何? 性癖の?」

「お、オマエら……まじ、めに……」

 その時、秋羽の隣で満身創痍になっている茶園が壊れた喉を絞り出しながら言った。

「す、すみません」

 流石に可哀想だったので、秋羽は素直に謝る。

「中上若葉はただの飛び降り……世間向けでは転落事故という事になっている。別に殺されかけたわけではないから警護の必要もないと思い、誰でも入れる形にはなっていたが、まさか第三者によって殺害されるとはな……」

 茉莉が髪の毛をかき上げながら言った。

「だが、いくら無警護状態だったとはいえ、院内で刺殺するとは……一体、誰が……」

「え? 犯人ならもう捕まってるッスよ?」

「……は?」

 秋羽と茉莉が同時に正義を見た。

「犯人が、もう捕まっている?」

「はい。当たり前じゃないッスか。人を刺したばかりの人が、被害者の血のついたナイフ握って、院内ウロついていたら、いやでも注目浴びるッスし~。普通に、現行犯逮捕ッス……あ、現行犯とは違うか? たしか、自分で警察に電話してきたから、この場合、どうなるんだ?」

 自問自答を始めた正義を、隣に座っていた茉莉が真横から、正面にいた秋羽が前から同時に小突いた。

「それを先に言え!!」

「痛い! だって聞かれなかったし……というか、先輩はともかく、白石さんはパワハラで、モラハラッス! 訴えてやる!」

「ふ、不平等だ……」



「じゃあ、話を戻すが……」

 そう茉莉が話し出し、それを左頬に平手打ちの跡を作った秋羽と、両頬に平手打ちの跡を作り、心なしか嬉しそうな正義が黙って聞いている。

「意識不明の重体だった中上若葉を刺殺した犯人は自ら警察に通報し、身柄は私達がここに来る前に抑えられ、既に警察著内……今は取り調べの最中って所か?」

「あ~、どうッスかね。まだ始まってないんじゃないんスか? だって……」

 正義が秋羽と、秋羽の隣でまだ休憩中の茶園を見た。

 たったそれだけで、秋羽は理解した。

「なるほど。たしかにな……このままだと、ただの刑事事件……でも、そうじゃないんだろう?」

 秋羽はそう言うと立ち上がった。

「犯人は、未成年……という事だろ?」

「流石に分かるッスか」

「まあ、流れ的にな」

 正義は口元を手で覆う。

「緑区?」

「いえ、すみません、ちょっと……」

 正義が口元を手で覆いながら、目を伏せた。

「……まったく、相変わらず、甘いな、お前は。刑事には向いていない、いや、お前のような奴こそ、本当は必要なんだろうが……」

 珍しく茉莉が労わるように正義の肩に手を置く。

「お前はここで少し休んでいけ。後で茶園さんと一緒に戻って来い。私達は一足先に、真実を拝みに行く」

「はい、すみません、先輩……」

「だから謝るな。お前は、そのままでいい」


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