5-4
容疑者となった未成年を自白させるために生まれた部署『自白班』の部屋に戻ると、開口一番、
――というか、何でまだいる?
「言っておくが、取り調べ室は部外者立ち入り禁止だぞ」
「分かってますって。俺はここで
馴染んでやがる!
「ハイクルちゃん、お菓子いる?」
「はい! ありがとうございます!」
ソファでまったりとした様子で、同じ『自白班』の
――ていうか、何だ、そのご当地キャラみたいな名前は……
「わぁ、これ、すげえ有名な奴じゃないですか~! たしか、朝のうちから並ばないと手に入らないとか……本当に貰っていいんですか? 初夏お姉様」
「いいよ、いいよ。貰いものだし~」
「え? それって初夏お姉様のためにわざわざ並んだんじゃ……」
「じゃあ、目的達成じゃん。だってこの初夏のために時間を割いたんだから。それだけで、幸せでしょ」
「それもそうッスね! じゃあ、いただきまーす」
来栖が嬉しそうにクッキーに手を伸ばした。
それをしばらく見ていると、初夏がこちらを振り返った。
「あ~アキ君。大体の事情はさっきアカちゃんから連絡貰ったから知ってるよ~。まあ、今回もアキ君の専門かなって思うから、あとはよろ~」
「あ、はい……」
もう気にしたら負けな気がしてきた。
秋羽は近くのデスクに置かれている容疑者の個人情報が書かれたファイルを手にした。
自白法によって、未成年の取り調べは全て『自白班』が行う事になっている。
たとえ事件担当の刑事だったとしても、容疑者として浮上したのが未成年だった場合、任意の取り調べすら出来ない。
容疑者が未成年だと発覚した時点で『自白班』に連絡し、未成年の個人情報と事件詳細について書かれたファイルが刑事課から送られてくる。
そして、それを元に取り調べを行う。
大体の流れがこんな感じだ。
秋羽は用意されたファイルに目を通しながら部屋を出て行こうとした。
「わらしべ長者」
が、その時、クッキーを頬張っていた来栖が小さく呟いた。その視線は真っ直ぐ秋羽に向かっており、秋羽が振り返ると、彼はニコリと笑った。
「……って、知ってる?」
「え?」
「昔話だよ。今昔物語集と
「そこまでは知らなかったけど、大体の話なら知ってるよ。たしか、色々と物々交換していくうちに、最終的に億万長者になるやつだろ」
秋羽が答えると、来栖は静かに語り始めた。
「ある一人の貧乏人が、最初に持っていたワラを物々交換していき、最後には大金持ちにななってハッピーエンドって話。現在だと、大したことない小さな物から物々交換をしていくうちに価値ある物になって、最終的に一番欲しかった物を手に入れる事が出来る、みたいな勝ち組エスカレーター現象への比喩表現として使われている。あ、勝ち組エスカレーター現象は命名したの俺だから、とらないでね~」
「とらねえよ」
配信をやっているだけあり、来栖の語りは心地いい。
思わず聞き入ってしまった。
「ちなみに、今のが『観音祈願型』って呼ばれているよ。これが一番有名だよね~」
「観音祈願型? 観音なんて、出てきたか?」
「あ~やっぱ原話は知らない感じ? 一応、物語の初めに主人公の貧乏人が観音様に祈る所から始まるんだよ」
「そう、なんだ……」
それは知らなかった。
対する来栖は時々クッキーを食べながらも、話を続ける。
「それから、次に有名なのが『逆玉の輿型』って呼ばれているやつで……最初にワラとミカンを交換した赤ん坊を連れたお母さんが、若い美人と従者になって……その後、長者の娘だった事が判明! そしてパパの申し出で、な、なんと! 彼女の婿になる! ってやつね。その後も、逆玉だからって調子に乗らずに真面目に働いたから、人々からわらしべ長者って親しまれたって話」
やはり彼の語りは無駄がなく、つい聞き入ってしまい、秋羽はいつの間にか彼の話に夢中になっていた。
「あとは『三年味噌型』。これは2つをごっちゃにした感じで、主人公の貧乏人が、最初から金持ちのお嬢様と結婚しようとして……結婚の条件として『ワラ三本を千両に変えてみよ』っていう難題を押し付けられて……旅の過程でワラが蓮の葉、三年味噌、名刀、最終的に千両とトレードして、無事約束を果たして結婚するってやつね」
そこまで言うと、来栖は作ったような笑みをやめ、無表情に近い顔で秋羽を見た。
「最初は些細なことだよ。その些細で、小さな何かが、大きな何かに変わる」
「お前……何が言いたいんだ?」
「え~何って……俺はただ、引っ掻き回すのが好きなだけだよ。俺が言っている事は、ある人にとっては価値があって邪魔になるもので、違う誰かにとっては無価値で聞き流しちゃう……だからさ、あんたも刑事なら、気を付けてよね」
来栖はそこで声色を一気に変え、低い声で言った。
「ちゃんと見極めろよ。もうワラは交換された。あとは、結末まで真っ直ぐ、堕ちていくだけ」
「……っ」
軽蔑、憎悪、ほのかな怒り。
それが秋羽が感じた、来栖の持つ感情だった。
――何で、俺は今……こいつに、恐怖した?
今までそんな感情を誰かに抱いた事なんてなかった。
だからこそ、秋羽は黙ってしまった。対話の対決において無言こそ敗北となる事を、誰よりも知っていた筈なのに、つい黙ってしまったのだ。
「お、れは……」
絞り出した声はあまりに弱々しく、来栖の目には侮辱の感情が追加された。
「はーい、そこまで!」
その時、初夏がぱんと手を叩いた。
「もう、アキ君。仕事放棄して、高校生と仲良く楽しくお喋りだなんて~、茶園班長が知ったら、また雷どっかーんだよ?」
「いや、楽しくお喋りしていたわけじゃ……」
「ほらほら、行った、行った。自白にはタイムリミットあるの、忘れたの? 取り調べが明日からなら、今のうちに、オタク君にヘルプしにいった方がいいんじゃないの?」
「それ、桃太郎の事ですか? 絶対に本人の前で言わないでくださいね」
「だってオタク君はオタク君でしょ。初夏、オタクに優しいギャルじゃないし」
「それは、まあ……」
秋羽が言葉を濁すと、初夏は追っ払うように手を払う仕草をしてきた。
「ほら、行った、行った」
「分かりましたよ、もう」
何だか追い出された気がして、秋羽は引っかかったが、そのままファイルを持って退室した。負けたような気持ちのまま。