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わらしべ悪者事件 3章

第21話

5-7


 春咲はるさきエリカをいじめていた中上若葉なかがみわかばを、姉の春咲アリスが殺害した。

 それが、今分かっている真実である。

「となると怨恨か? だけど、何で今更? 妹を自殺まで追い込んだ相手に復讐するにしては、時間が経ちすぎていないか?」

「そりゃあ、そうだ。春咲アリスは、その事を知らなかったのだから」

 桃瀬ももせははっきり言った。一切の迷いがなく、まるで自分の事のように把握している素振りで。

「春咲エリカがそういうタイプの人間だったかは今となっては分からないが……いじめの根本的な原因のひとつに、いじめを認めたくない気持ちというものがある」

「認めたくない?」

「今の社会では、そこまでひどくないが……逆算して彼女達がいじめられていた時期では、まだいじめはそこまで重視されていなかっただろ。たかが2、3年前だが、それだけの時間があれば社会の見方は大きく変わる。今は被害者の逃げをよしとして、いじめが原因で不登校になれば、迫られるのは学校だが……」

「確かに、ちょっと前までは違ったな。いじめられる方にも原因がある、いじめられる弱い奴が悪い、いじめられるスキのある奴が悪いって」

「まあ、それは今はあまり変わらないが……そういった空気が強かった時期では、いじめられる事は恥ずかしい事で、誰にも知られたくない……自分はいじめられるような弱い人間じゃないってな」

「だから、妹のエリカは誰にも相談できず……姉のアリスも『鮮血ずきんちゃん事件』が報道されるまで知らなかったって事か」

「まあ、憶測に過ぎないが。あとは、お前も考えている通りだ」

「……遅延性の悪意か」

 遅延性の悪意は、秋羽が勝手に作った持論である。

 長い人生だ。誰かに恨みを抱く事もあれば、「死ねばいいのに」って思う事もたくさんある。しかし、大体の人間はそれを実行しない。

 悪意や殺意は、悪い感情として扱われるからだ。

 そういった事を思ってはいけない。そういった事を考えてはいけない。まして行動なんて以ての外だ。

 それが、社会が作ったモラルであり、人間が社会で生きる上、その考えはルールとして思考を縛る。だから、誰もが殺したいほど憎く思っても、それを実行する者はいない。

 ――それ以前に、感情に流されて誰かを殺した人間として生きていく方が、長い人生、デメリットが大きいからな。

 そして、人間は感情を忘れやすい生き物だ。

 怒りも憎しみも一過性。

 その時は爆発的に脳を支配した怒りも、心を縛った憎しみも、一瞬の事で、後には残るが、すぐに実行出来る程、感情は長くは持たない。

 カッとなって人を殺してしまった人の場合は、この「一過性の怒り」に流されるまま動いてしまった結果だ。

 だけど爆発的な感情は最初だけであり、どんなに殺したい程憎い相手も、ずっとその人だけ生きられるほど人間は器用じゃない。

 ――俺にも、覚えがあるから分かる。

 殺したいほど憎い相手がいる。どうしても許せない相手がいる。

 だからといって、その人だけを考えて生きてはいけない。

 ――復讐だけを考えて生きられるほど、俺は暇じゃないからな。

 それでも、生涯を捧げてしまう程に深い憎しみや怒りは存在する。自分の未来を考えられず、殺す以外の選択肢が思い浮かばなかった、孤独な人間は。

「一過性の感情による殺人者は、その時の事しか考えられない。だから第三者から見れば、分かりやすい」

 むしろ難しいのは、遅延性の悪意の方だ。

 一過性の感情に呑まれなかったとしても、その気持ちがなくなるわけではない。むしろ一生付き纏う影として、生涯付き合う羽目になる。

 ――子供の頃にいじめられた奴が、大人になってもいじめてきた奴のしてきた行動や言動全て覚え、いまだに許せないってやつだな。

 だからといって実行に移す者は少ないが。

「まあ、分かりやすい例でいうと、学生時代に受けたいじめが原因で人生めちゃくちゃになった奴が、大人になってから、テレビとかでいじめてきた奴が人生を謳歌しているのを見たら……一過性の感情が抑えられなくなるパターンだな」

 秋羽の言葉に、桃瀬が深く頷いた。

「ああ、分かるぞ。俺も中学時代に優秀な我が頭脳に嫉妬して、バカのひとつ覚えのようなクソくだらねえ遊戯を繰り返してきた野球部の太田、あいつだけは覚えているからな」

「あ、ああ」

「くくっ、どんなに努力しようとも、お前が出世する事はなかろう……ぐふふっ」

「お前、何もしてないよな?」

 やっぱり笑い方が気持ち悪い。

「当然だ。俺様は何もしていない。お、れ、さ、まは……くくくっ」

 桃瀬が黒い笑みを浮かべてきた。この件は触れないでおこう。

 ――俺も我が身が大事だ。

「まあ、ようするに、過去に恨みを抱いていても、それをなかったことにして自分の人生を大事にして生きていくのが、人間だ。だけど、ひょんな事で、心の奥底に隠した憎悪に火が付き、それが最悪の状態で表に出る事がある。それが、遅延性の悪意、だったな?」

「ああ、そんな感じだ」

 秋羽は桃瀬の言葉に頷いた。

 しかしその後、妙な違和感を持った。

 ――あれ? でも、やっぱり、なんか引っかかるな。

 もし春咲アリスが、『匿名探偵』の配信を見て、自分の妹をいじめていた中上若葉に恨みを抱いても、当の本人は誹謗中傷という形で報いは受けている。その上、自殺までした。放っておいても――

「見誤るなよ、白いの」

「え?」

「お前はまだ……本当の恨みに、触れた事がないだろ」

「本当の恨みって……」

「そのままの意味だ。だから、お前は白いんだ」

「また中二病発言か?」

「……ふぅ」

 桃瀬は分かりやすい態度で深く溜め息を吐いてきた。

 ――何だか、すごくバカにされている事だけは伝わってきた。

「白いの……お前は、白いままでいろ。白いまま、黒を白に変えろ」

「は? だから何だよ、はっきり言えよ」

「やだ」

「言っておくが、可愛くねえぞ?」


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