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第32話

9-5


「俺には、腹違いの妹がいるんだよね~」

 来栖くるすはやはり作ったような笑顔のまま話し始めた。

「あ、腹違いっていっても、マイナスな意味じゃないよ? 俺の親父が、俺が小学校6年くらいの時に再婚してさ~。妹はその時の新しいお母さまの連れ子ってだけ。まあ、よくある話だし、今の時代、珍しくないよね~?」

「まあ、そうだな……」

 両親が離婚して再婚したってことか。

「でも、俺ってば、小学校時代にはもう配信者やってて、学校とかほとんどいってなくてさ~。そういうのが突然義兄になったら、内気な妹からしたら、距離感掴めないじゃん? だから、まあ兄妹っていっても、仲が良くも悪くもなかった……って、これも別に年頃の兄妹ならよくあるか」

 相変わらずへらへらと笑いながら、来栖は続ける。

「だからさ……ずっと気付けなかったんだ。妹が、小学校でいじめられいた、なんて」

 来栖は目をゆっくり細める。

 秋羽あきばの洞察眼から視るに、その小さな変化には来栖本来の感情が隠されていた。

 罪悪感、哀しみ、そして――ほのかな怒り。

「俺と妹は2歳差でさ、再婚したのは俺が小学校卒業する直前で……」

 2歳差ということは、来栖が小学校を卒業して中学に進学した時、妹はまだ小学5年生ってことか。

「妹のいじめが始まったのも、俺が卒業した後くらい……たしか、小学5年の時のクラス替えだったかな? 妹は元々明るくて友達も多い奴だったんだけど……新しいクラスは既にグループも出来ていたせいで、なかなか打ち解けることができなかったみたいでさ……あ、でも、ちゃんと行動は起こしたんだぜ? クラスが変わった初日から、席の近い子に話しかけたり、女子のグループに積極的に話しかけたり……でも、ダメだったんだ」

 ――こいつ、普段の態度からは想像もつかないけど……

 ここまで妹のことを一度も悪く言っていない。

 よほど大事な妹ってことか。

「そのクラスは、エリート思考っていうの? テストでいい点とらない奴は死んだ方がマシ! みたいな感じで……まあ、教師もハズレだったしな~。妹は運動が得意ってわけじゃなくて、マラソンとかも順位下から数えた方が早いし……でもさ……」

 そこで、来栖は初めて貼り付けたような笑みをやめて、明確な怒りと憤りを宿した目になった。

「それが、人間の価値を決めるわけじゃないだろ? なのに、あの教師は、クラスは……」

「……っ」

 今まで感じたことのない、強い怒りに、感情に敏感な秋羽は思わず息を呑んだ。

 どくんと、心臓が高鳴り、鼓動が早くなる。


『落ち着いて、アキくん』


 早まる心臓の鼓動に混じって、愛しい母親の声が脳内に響いた。

『大丈夫、怖くないよ。あの子の感情は、怖い感情じゃない』

 ――母さん……

『来栖ちゃんにとって、妹ちゃんはもっとも大事な存在。そんな大事な人が、自分の知らない所で傷つけられ、侮辱され、嘲笑われた……だから、来栖ちゃんは怒ったのよ。怒りは、愛情の裏返し……大事な相手だからこそ、その怒りは強く燃え上がる。やがて真っ黒な憎悪の炎になるほどに……』

 ――それは、俺もそうだ。

 もし赤西茉莉あかにしまつりを中心とした知り合いが、誰かに自分の知らない所で傷つけられたら、冷静ではいられない。法に抗ってでも、相手に報いを受けさせると思う。

 だがそれは――

『それは、間違った怒りの発散の仕方だよ。アキくんがそんなことしちゃったら、お母さん、泣いちゃうな~』

 ――はい、分かっています。だから俺は怒りに身を任せて、それを憎悪に進化させたりはしない。

 ――赤西が、母さんが、俺がそんなことをしないって信じていることを、知っているから。

 ――だけど、こいつには、俺にとっての母さんや赤西が、いるのだろうか?

 秋羽は感情を抑えるように、胸元のロザリオのペンダントを握った。



「よくあるだろ、教師がスクールカースト下の雑魚に、みんなの前で何かやらせて……『はい、今のが悪い例です!』っていうやつ? それを、俺の妹は毎日のようにされてきた」

「うわ、最悪じゃーん」

 ずっと無言だった初夏ういかが初めて口を出した。

「初夏の時代にもいたよ~。そういう人の心が分からない、何でお前如きが教職やってんの? って感じのバカクズ」

 もう取り繕う気がないのか、口が悪い。

「学校のいじめってさ~、いつの時代も変わらないよね。いじめられる方に理由があるとかいうけど、あるのは所詮きっかけに過ぎない……そして、そのきっかけを与えるのは、いつだって担任教師っていう身近な絶対正義の大人、なんだよね」

 初夏は初夏で、クラスで浮きそうだ。

 もしかして、過去に――

「ちょっと、アキくん~。初夏をいじめる勇気ある奴、同年代にいると思う?」

「そうですよね。そうなりますよね」

 少しでも同情しかけた自分を殴りたい。

「流石、初夏おね~たま。分かってますね~」

「でしょ~?」

 お前ら、本当に仲いいな。

「俺の妹も、そんな感じでしたよ。最初に、担任教師がこいつはいじめていいってGOサインを出した。だから、全員の悪意が、妹ひとりに向けられた」

 来栖は冷めた目で、口元だけ笑って続ける。



「クラス全員の目の前で、妹は担任教師にバカにされ続けられた。お前らも怠けると、こういう奴になるぞってな……灰崎みたくなりたくなかったら、しっかり勉強しろ。灰崎みたいに、行きたい大学にも行けず、就職先も限られる、そんな風になりたくないだろ。灰崎みたいな無能で無価値な人間にはなるな! ってな……!」

 想像していたよりも酷い。

 いや自分が知らないだけで、もっと残酷に幼心を踏みにじられてきた子供が多くいるのかも知れない。

 かつての姫崎四季ひめさきしきのように。

「俺は、元々学校なんて行きたい時に行けばいいって感じだったから……無理して学校に行かなくていいって思ってた。実際、中学もほとんど行ってなかったからさ……でも、それは俺のような、持っている人間の傲慢だった」

「持っているって……」

 たしかに来栖は容姿も良ければ、学校の成績も良いと聞く。その上、配信者として売り上げも良く、お金に不自由していない。

 まさに天才だ。

「俺は多少出席日数が足りなくても、それを補える結果を出している。テストがある時だけは学校行って、必ず満点出してきた。だから、誰も文句言えねえし、文句あるなら俺の解けない問題作れよ、クソ雑魚教師がって思ってたし」

 想像以上に人外スペックだった。

 ――そりゃあ、舐めた態度とるわ。

「でも、それは俺だから言えること。妹は成績が良くない。だから、出席日数とか内申点で多少貢献しないといけない……小学生ながらに、そこは理解していたみたいで……まあ、あいつ自身、俺とは真逆の真面目な人間で、校則なんて破ったことないから、元気なのに学校行かないこと自体、あいつからしたら万引きするくらい悪いことになっていた」

 だから不登校という選択肢がそもそも妹にはなかった。

 そう来栖は最後に付け足した。

 ――でも、成績や将来を気にして学校を義務として行かないといけないなんて……

 ――小学生も、大変だな。

「ていうかさ~」

 その時、初夏が言った。

「初夏的には、そこも理解出来ないんだよね~」

「理解できないって、どういう意味ですか?」

 秋羽の問いかけに、初夏は冷めた目でこう返してきた。

「初夏は、いじめはやる方がバカでクズなんだって思ってる。だって、まともな人間は、いじめる理由やきっかけがあったとしても、じゃあ、いじめていいか♪ってならないし。いじめがやる方の頭が弱いだけでしょ」

 はっきり言った。

 言葉は悪いが、そこは賛成だ。

 誰もが思いとどまる心があれば、誰かを恨むことも恨まれることもなく、犯罪も起きない。

 『鮮血ずきんちゃん事件』だって、起きなかった。

 しかし、それが出来ないのが人間って難儀な生き物だ。

 誰かを比べずにはいられなく、誰かを見下さずにはいられない。

 自分を認めてほしくてたまらなくて、自分を肯定せずにはいられない。

 そのための方法が、集団でひとりを叩くという行為に直結する――愚かで短絡的。

 それが、人間なんだ。


 ――そのことを、俺はよく知っている。


 自白刑事として活躍する過程で、必ず遭遇してきたから。そして――


 ――『お前が憎い。私の最愛の人の命を喰らって生きる、お前が……』

 ――『こんなの、不平等だろっ……どうして、私の妻だけが、私だけが不幸なんだ』


 無償の愛に背かれた日に、いやというほどに見てきたからな。


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