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第53話

11-9


「……っ!?」

 桃瀬太郎ももせたろうが口を塞がれたまま、目を大きく見開く。

 緑区正義みどりくまさよしの手のひらの中で、何度も息が激しく吸われ、吐かれた。それでも正義は手を放さず、桃瀬を見下ろした。

 桃瀬の腹部にはナイフが突き刺さっている。しかし誰もそのことには気付かない。

「ふっ……」

 正義は優しく微笑む。相手が女性なら、つい胸をトキめかせるような、優しく爽やかな微笑みで――桃瀬を刺したまま、動かない。

「……っ」

 桃瀬は腹部の痛みに耐えながら、正義に手を伸ばす。

「へぇ、ただの引きこもり陰キャだと思ったけど……ちゃんと、それなりの知識はあるんだね~」

 桃瀬は正義のナイフを持った手を掴む。

 ナイフで刺された時、恐れるのは刺したままナイフを動かされて内臓を破壊されること。そしてもうひとつ、出血だ。

 今、正義がナイフを抜けば、出血の危険がある。そう判断した桃瀬は正義の手ごとナイフを握った。

 そして正義はそうすることが分かっていたように、笑みを浮かべる。

「さて、どうしようっかな~。ここで俺がナイフをかき回せば、内臓破壊されて、あんたは死ぬ。あるいは、ここで俺がナイフを思いっきり引き抜けば……血管傷つけて、大量出血で、あんたは死ぬ。あ~、こうなると……どっち選んでも、あんた、死ぬね?」

 そこで正義は桃瀬の口から手を放した。

 桃瀬は細くなる呼吸の中で――強気に笑った。

「つめが、甘いぞ……顔だけ、イケメンが……」

「え? 喋れるの? 陰キャのわりにやるじゃーん。でもさ、そっから、どうするつもり? 叫ぶ元気もなさそうだけど……」

 桃瀬は真っ直ぐ前を見る。正義の後ろでは、談笑している警官や、通話中の刑事もいて――気付いてもらえれば、正義を捕まえることはできる。

 だが、それは正義も分かっているはずだ。

 あえて、目撃者に現行犯逮捕されるかも知れないのに、ここで桃瀬を刺した。そこに意味があるはずだ。

 ――なるほど。それなら……

 桃瀬は、両手でナイフを握る。

「やっぱり、ツメが甘いな……」

「もう喋らない方がいいんじゃないの?」

「くくっ、この俺様の頭脳を、お前ら低俗な一般人と一緒にするな。IQが、違うんだよ、お前たちとはな」

「へぇ、それで?」

 正義が軽い笑みを浮かべる中、桃瀬はナイフを両手で握ったまま、小声で呟く。

「頼んだぞ……ローズマリーたん」



「ローズマリーって誰だ?」

 正義はようやく意識を失った桃瀬を見て、首を傾げる。

 しかし該当する人物が記憶の中にいない。

 ――まあ、いいや。俺はここまでしか命令されてないし。

 ――あとは白石サンが何とかするっしょ。

 ナイフを両手で握ったまま眠るように目を閉じる桃瀬に、彼がいつも持っている毛布を上からかける。はたから見たら、毛布にくるまってお昼寝している風にしか見えない。

 ――さて、またひとりリタイアっと。残るは……

「第二のお父さんと、メインヒロインだけか……クスクス、これじゃあ、また独りになっちゃうね、セガレちゃん♪」

 正義はそう小声で呟いた後、入り口付近で談笑している警官たちの傍を通り、堂々と扉から外に出た。


 しかし緑区正義は知らなかった。

 桃瀬太郎の高すぎるIQの数値。そして彼が最後にいった「ローズマリー」の正体を。


       *


 場所:桃瀬太郎の部屋、通称「科学捜査班(黒)」。


 主人のいない、電気の消えた部屋で、突然ノートパソコンの電源が入り、周囲を明るく照らした。


『マスターの声紋、コード番号、認証……人工知能、ローズマリー、起動……マスター意向により、マスターの権限をお父さまから、ホワイトストーンへと移動……ホワイトストーンの現在位置、把握……任務、遂行……』


 ノートパソコンから音声が流れる。無人の部屋では、その声に反応する者はおらず、ただ音声だけが寂しく残響した。



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