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第54話

11-10


 引き続き、取り調べ室。


 白石秋羽しらいしあきばは、鈴木舞すずきまいの言葉が、頭の中で反芻していた。

「手伝ってくれた人……ねぇ」

 秋羽は自分が思っていたより低く鋭い声になってしまった。

 舞の目が怯える、あるいは緊張したように一瞬揺れた。

 が、すぐに彼女は肩をすくめて笑った。

「そう、手伝ってくれた人。でも、間違えないでね、刑事さん。アタシは誰かにそそのかされたんじゃない。あいつを殺したいって思ったのは私の感情だし、それを実行しようと思ったのは、アタシの意思だよ」

「それは、違うな」

「え?」

「お前が保坂絵里ほさかえりを殺す決断を下した理由を思い出せ」

「そんなこと言われても……」

「『鮮血ずきんちゃん事件』では、ある薬物が関わっていた」

「え? やく、ぶつ?」

「まだ性能は正確には分からないが、その薬物の影響で、感情が強くなり、決断がしやすくなる。だが、それは脳の錯覚で……みんながどんなに憎くても、許せなくても、それを実行しない理由……すなわち、理性の鎖を千切り、決断しやすくする」

 それが『鮮血ずきんちゃん事件』で加害者にして被害者である春咲はるさきエリカたちの遺体から微量だが検出された。そのことを知っているのは、見抜いた桃瀬太郎ももせたろうくらいだが。

 ――忘れがちだが、あいつ、あれで科学捜査班だしな。

 しかし独断が多いため、あの薬物のこともちゃんと報告しているか怪しいものだ。

 ――それに、今はそれよりも……

 薬物の話に戻すと、『鮮血ずきんちゃん事件』の連続自殺事件では、秋山菊乃あきやまきくのは一番最後だったため、薬物の効果が薄れて、踏みとどまれた。

 それが『鮮血ずきんちゃん事件』のシナリオ。

 ――あいつが、どこまで読んでいたかは分からないが。

「これは、表沙汰に報道されていない内容だから、ここだけの話で頼む」

「あ、はい……」

 舞が放心したような顔で頷いた。

 ――よし、一歩心の距離が近付いた。

 「秘密の共有」は、共有相手との親密度を上げる。

 悪い例だが、不倫をする人は秘密を共有する間柄を楽しんでいる奴らが多い。

 同じ秘密を共有することで心はぐっと近づき、そこに愛に似た感情が芽生える。それが人物に対する愛か、秘密の共有という遊びに対する愛かは人によるが。

 しかし、それは相手が対等の場合だ。

 秋羽と舞は、取り調べる刑事と容疑者であり、対等ではなく、常に腹の探り合いをする関係である。

 だから、相手の心を開かせるには相当な時間が必要になるが、今の秋羽には桃瀬がいうところの「好感度上げ」をしている余裕はない。

 そこで、秋羽が使ったのが「秘密の共有」と「秘密の暴露」である。

 相手の隠し事をあばくに、根掘り葉掘り聞いた所で、相手は本当のことは語らない。

 つまり――


 ――まずは、こちらの手札を見せる。


 秋羽が警察という立場でありながら、表で報道されていない内容を伝えることはだいぶリスキーであるが、同時に秘密の告白を受けた相手の気を引くことが出来る。


 ――さあ、俺は秘密の暴露をした。今度はお前の番だ、鈴木舞。


「いや、でも、薬物って……アタシは自分の意思で、あの人は手伝ってくれただけで……」

「意思、か。だが、お前はさっき自分で言っただろ。『理由が思い出せない』って。それが答えじゃないのか」

「答え……」

「お前は、お前らは……薬物による影響で、一時的にある一定の感情のみが昂り、その感情にのみ従って動いていた。そして、その感情こそが……憎しみだ」

「そう、だけど……春咲はるさきアリスって人は、妹の仇のためで……理由としては正当で……あれ、だけど……」

 舞の作ったような表情が崩れ始める。

 ――これも薬物の影響かは分からないが……

「鈴木舞。答えなくていい。俺の話を、聞いてくれ」

「……」

 舞は無言で秋羽を見た。頷くことはなく、ただ真っ直ぐと見つめた。

「俺達は、今回の事件は連続であり、単独の事件だとにらんでいる」

 時系列順に整理すると、最初に罪を犯したのは灰崎来栖はいざきくるすだ。

 この時の凶器はネットであり、被害者は中上若葉なかがみわかば

 しかし殺しにはいたらず、中上若葉は二回、殺されることになった。

 そして第二の殺人の加害者は春咲アリスで、凶器はナイフ。

 犯行動機は二名とも復讐。

 そして中上若葉と同じグループにいた保坂絵里。

 彼女を殺した加害者は、今、目の前にいる――

「繋がっているようで、繋がっていない。この意味が、今になってようやく分かったよ。お前たちはバラバラだった。だけど、それをある一筋の糸がつなげてしまった。それが……報道だ」

「報道って、ニュースとかのこと?」

「そうだ。実際、春咲アリスは報道をみて、妹の仇にあたる中上若葉が死にかけていることを知り……報道を通じて、殺せる可能性を垣間見た」

 その前の灰崎来栖も、自分自身で調べはしただろうが、きっかけは報道で『鮮血ずきんちゃん事件』の全貌を知ったからだ。

 全ては報道、情報――それを媒体に、全く関係ない憎しみを宿した人間たちを奇跡的に繋げてしまった。

「保坂絵里が、自分が被害者みたいに振る舞い、全ての罪を逃れているのを見たお前の中で、小さな憎しみの火種が生まれた」

 特に、彼女の身近な人間が復讐という形で殺されているのなら、なおのことだ。

「他の子が、同じ町にいる同い年の人間が、復讐で殺されたのなら……保坂絵里もそうあるべき。保坂絵里を殺していい理由を、お前は見つけてしまったんだ。だから、お前は……」

「……ネットで、変なメッセージが来たことがあったの」

「え……」

 突然、舞がぽつりと呟いた。

「SNSのDMなんだけど……最近はそれ系のスパムかと思ったんだけど、名前が『エリ・ホサカ』になっていて……一瞬、アタシは本人かと思って、そのDMを開いた。そこで……」

 思い出しているのか、語りながら絵里の瞳から生気のようなものが消えていった。

「『憎いのなら、殺せばいい。だってキミたちには、それが許される。少年法が、自白法が、キミたちを救う。これは、若いキミたちにしかできないことだ。若さは武器だ。憎いのなら、その憎しみをぶつけてしまえ。もう誰に遠慮する必要はない……自由になれ』」

「そう、書いてあったのか?」

「……」

 舞は虚ろな瞳のまま、ただ一点を見つめたままだった。

 ――俺を、見ていない?

「おい、鈴木舞!」

 秋羽は身を乗り出し、舞の両肩を掴んだ。

「あ……」

 軽く秋羽が舞の肩を揺さぶると、飛び起きたように舞が目を見開いた。

「あれ、アタシ、また……」

 また? これが初めてじゃないのか?

 秋羽も専門でないため、はっきりとしたことは分からないが――


 ――今の、トランス状態ってやつじゃないか?


 『トランス状態』は、通常の生活時とは全く異なる意識に変化した状態のことを指す。「変性意識状態」と呼ばれ、 催眠や儀式的な行為で引き起こされる意識状態のことだ。

 霊能力者が儀式などでそういう状態を見せることができる。

 所謂、霊感商法やカルト宗教で洗脳を受けた人が、これに似た症状になる。

 ――俺も、知識であるしかないから、はっきりと分からないが。

 それに、演技という線もある。

 そう思った瞬間、秋羽はその考えを否定した。

 ――いや、今のは、確実に……俺を見ていなかった。




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