「成る程……そんなことが……」
信長の話によると、今は弘治二年。
1556年であった。
時田がいない間に信広と竹千代の人質交換が済まされ、尾張の虎と呼ばれた信秀が死去し、信長が跡を継いだ。
そして、正徳寺の会見にて信長と斎藤道三、そして明智光秀は面会を果たしていた。
「確かにあの道三という男、底が知れぬ。それに、明智光秀と言う者も才能に満ち溢れている感じがしたな」
「私も久々に会いましたが、まるで衰えを感じさせぬ佇まいでしたね」
しかし、そのように楽しげに話す内容とは裏腹に、二人の表情にはどこか不穏なものが浮かんでいた。
「どうしたんですか?」
「……いや、どうやら向こうも俺の事を気に入ったらしくてな……『我が息子たちは信長の門前に馬をつなぐ事となるであろう』と、申したそうだ」
この言葉の意味は、いずれ我が息子たちは信長の家臣となるであろう、という意味であった。
因みに、信長の事を探れと言われた時田は、道三に報告する事をすっかり忘れており、そのまま六年の時を跨いだのであった。
「それが……義龍様に漏れたと?」
信長は頷く。
「それは……義龍様からすれば快く思われませんよね……」
「あぁ。それに例の噂もある」
「あの、義龍様が土岐頼芸様の息子であるという噂ですね?」
「ええ。まぁ、その噂もあって増長していた義龍を見かねて父上も他の息子を優遇したりと、軋轢が生まれる原因を作ったというのもあるんだけど……」
帰蝶は義龍の事を兄とは呼ばなかった。
それは、自らが尊敬する父と義龍が決別したからである。
「道三殿も土岐頼芸を再び追放したりと美濃国をまとめるために奔走していたが……土岐頼芸の撒いた種は、大きかった。道三殿が弟たちを優遇しており、自分の立場を不安に感じた義龍が弟達を謀殺したのだ」
「それに激怒した父上は既に兵をまとめて大桑城に籠っています。雪解けを待って、義龍と一戦交えるつもりだと」
「……兵力差は」
信長が暫く考えた後、口を開く。
「義龍軍は、一万七千程……対する道三殿は、三千程だ……いや、三千にも満たぬかもな」
「それじゃあ……勝ち目は……」
信長は頷く。
しかし、信長の瞳は、決して諦めてはいなかった。
「帰蝶。時田。安心せよ。儂も必ず援軍に行く。必ずや、道三殿を救ってみせる」
「……お願いします。どうか父を、お助けください」
帰蝶が頭を下げる。
しかし、時田は道三が助からないという歴史を知っている。
「……信長様。平松商会はどうしていますか?」
「ん? ……そうだな。そちらについても話しておこう」
信長は時田がいない間も平松商会の面倒を見てくれているはずであり、時田からすればそれが道三を救える唯一の希望かもしれなかった。
「実はな……今は動けぬのだ」
「え」
信長から出た想定外の言葉に思わず驚きの声が上がる。
「お主のお抱えの山口小次郎が寝返った。今川にな。我らの動きが筒抜けになる可能性があるし、平松商会の幹部とも言えるあの男がいなくなったことにより全体的に疑心暗鬼に包まれ、組織自体が存続の危機だ。これだけは俺にもどうにもできん」
「……は?」
唯一の希望は、一瞬で無くなるのであった。